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座敷童子のさんまくん

さんまくん

という知り合いがいる。本名ではないし、明石家さんまでもない。彼は愛媛でバーを営んでいて、愛媛ではたぶん、さんまくんとは呼ばれていない。

それはある秋の日だった。

当時わたしは京都の大学生で、旬の食材を使った料理を出す小料理屋と居酒屋の中間みたいな店でバイトをしていた。ちょうど秋刀魚がメニューに出始めたころ、開店直後に、20代の男性がひとりでふらっと現れた。オフィス街、といっても老舗の呉服屋さんなんかが並ぶ通りにあるお店で、仕事帰りに寄ってくれる近所のおじさまたちが常連に多いお店だったので、若い男性のひとり客は珍しく、しかも初めて見る顔だったので、カウンターの席に案内した時から印象に残っていた。

すらっと細く、黒髪は適度な長さでさっぱりとしており、清潔感のある服装。好青年、という言葉がぴったりな人だった。喫茶店で、あるいは鴨川のほとりで、文庫本でも読んでいそうな。

その人はその日のおすすめメニューに目を通すと、"秋刀魚の塩焼きをお願いします"と言った。ビールとかじゃなく、最初から秋刀魚。飲み物はお茶で、と言う。変わった人だ。

オーダーを通してお茶を出し、しばらくして、いい具合に焦げめのついた秋刀魚を彼のもとへと運ぶ。彼は、ありがとうございます、と、控えめな笑顔で丁寧にお礼を言ってくれた。

ちょうどその頃ぱらぱらと常連のお客様さんたちがグループで入ったりして、注文をとったり料理を運んだりしていると、

"ごちそうさまでした"

と声が聞こえた。

ん??あれ?秋刀魚だけ??
滞在時間20分?!

なんか気に入らんかったんかな、常連さんたちが来はったからアウェーな感じになってしもたんかな、せっかく来てくれはったのに…

と思って、レジで"なにかありました?"と聞いてみたら、いやいや、このあと仕事なんですがその前に秋刀魚が食べたくて寄ったんです、と。そしてお会計を済ませると、ふわっと風のようにお店を出て行ったのだった。

あとに残ったのは、わたしのそれまでの人生で(いや、それ以降現在に至るまでを含めても)一番きれいに食べられた秋刀魚の骨だった。魚をきれいに食べるコンテストがあったら、間違いなく世界で戦えるレベル。もはや芸術品のように、それはそれは、見事な秋刀魚の骨だった。

あまりにも颯爽と現れて、颯爽と去っていったので、店長や他のメンバーと、あれは大人の座敷童子だったんじゃないかと本気で思いかけたぐらいに不思議な空気を纏った人だった。
その日の仕事中も何度か話題に上がったのだけれど、なにせ初めての来店だったし、予約でもないので名前もわからず、我々は安易な発想で彼を"さんまくん"と呼ぶことにしたのだった。

また来てほしいね、と誰もが思っていた。

***

今でも秋刀魚の季節がやってくると、この日のことを思い出す。いや、秋刀魚の季節に限らず、今日みたいな梅雨が始まりそうで始まらない6月の夜なんかにも、時々ふと思い出す。さんまくんのこと、きれいに残った骨のこと。京都の空気。

ちなみにさんまくんとは、わずか数時間後に再会を果たすことになる。お店のすぐ近くに隠れ家のようなバーがあり、わたしたちは時々、お店を閉めたあとそのバーに飲みに行っていた。あの日も、夜中の12時ぐらいに、店長とわたしとバイトの男の子とで、さんまくん不思議な人だったねえと話しながらバーの扉を開けたら、そこにいたのだ、さんまくんが。しかもお客さんとしてではなく、バーテンダーとして、カウンターの向こう側に。わたしたちが口を揃えて、"さんまくん!!"と叫んだのは言うまでもない。彼は大人の座敷童子ではなく、そほバーに新しくバーテンダーとしてやってきた人だった。

そして彼は今、地元の愛媛で、自分のバーを営んでいる。

***

もしもわたしが、どこかでばったり出会った人の記憶の中に残っているとしたら、そしてその人がわたしの名前を知らないとしたら、わたしは何と呼ばれているんだろうな。

願わくば、なにかしら、いい思い出であったならいいな。

#出会った人たちの記録 #思い出 #記憶  

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