私は森が好きだ。街には発情した人間が多すぎる。
愛とは、
私はもう三次元で恋愛をする気はありません。
しかし、生殖機能を保有していることは事実であり、それについて対策されることは至極当然のことと言えます。
二次元に向ける(ともすれば性欲を孕む)愛を、三次元に向けない確証が得られないのであれば、それを立派な錦の御旗として振りかざすことは、何も間違っていません。
素晴らしい自己愛です。
忌憚なく。
そのような誠意に答えるのであれば、私はむしろ、生殖器機能を失う必要があるのかもしれません。
強姦罪(現在は名前変わったけど)の存在は、性感染症と妊娠のリスクによって暴行罪と分けられていると考えています。
もともと強姦罪だったときには妊娠が母体に与える影響を持って、制定されたという側面もあります。
逆説的に言えば性暴力とは妊娠のリスクを孕んだ、性感染症のリスクを孕んだ暴力という意味でしか無く、
それ以上は横方向での被害なわけです(私は屈強な男にレイプされることと、私が屈強な男に骨折されられることは、平等に恐ろしいことであるということです。平等に)
さてここからが本題です。
「パイプカット同盟」というアイデアをふと思いつきました。
私が求めるのはプリミティブな愛であり、そこにおけるセックスとは交尾以外の意味を持ちます。
私の過去のツイートを引用しましょう
ご理解いただけるだろうか。
セックスは愛情表現だか、愛情表現はセックスではない。
そして、私の愛とは奉仕と観測であり、それは相互的に存在する。
二義二義的ではない。
にぎにぎしたいのだ。
でも交尾したいわけじゃない。
私の見出した森
私は生成AIに感謝している。
しかしそれは、ラーメンを自分で作れなくてもインスタントラーメンが食べられるという話であって、
ラーメン屋からレシピを盗んでインスタントにして販売する悪魔を肯定するわけではない。
私が否定するのはAI呪詛師だ。
軽蔑すべき敵である。
だからこそ、このような存在のために生成AIの扱いとは慎重にならざるをえない。
この、「平和にも使える危険物を振り回す輩のせいで、それを正しく使うものが割を食う」というのはナイフでも銃でも、そして私の股間の銃も同じである。
そして、敵であるならば軽蔑するのではなく憎めるなら憎むべきだ。
右頬を殴られたら私は左頬を差し出すことはないが、右頬を殴られないようにする。
ここに「パイプカット同盟」の意義が生まれるのだ。
この同盟はどのようなものですか?
今日歯医者なのでとっとと済ませます。
歯医者さん楽しい。
パイプカット同盟は、二次元を愛し三次元を愛さない男性が、避妊手術を行い、妊娠する能力を失うことで結成されるであろう手段だ。
この行動を取った事により、同盟参加者が性的暴力の加害者になることを想定する必要が、下がると嬉しい。
厳密には、この参加者による性的暴力の被害を、通常の暴力と同じベクトルで想定できたら嬉しい。
勿論そういうわけにも行かないし、別に暴力を軽く見ているわけではない。
でも、性欲を二次元で満たすという誓いと、それを立証する行動は、
「突然性欲をむき出しにして襲いかかってくる」ということを総指定しなくて良くなる、合理的な方法なんじゃないだろうか。
もちろん、去勢が性犯罪の減少にあまり影響がないという言説は百も承知だ。
そのうえで、指標として、思想を示すために、こういう構想を立ててみた。
まあ、まず実現しないと思う。
机上の空論積んだ積んだ。
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