語れないと愛がないみたいな風潮がイヤ
昨今はSNSやYoutubeが普及した結果、自分の好きなものについて発信する人が増えているような気がする。
趣味や推しについて熱心に語る様子を見て、そのものへの愛の深さを感じるが、その裏返しとして、あまり語れないと愛がないだとかニワカだとかみなされてしまうような空気を感じる。(私が勝手に感じてるだけかも。)
しかし言語化する能力と愛の深さは比例しない。
むしろ熱量という点においては、言語化できない段階にピークがあると私は思う。
悩みを解消する方法として、紙に書きだしてみるという方法がある。
なんとなくモヤモヤするのを言葉にして整理することで客観視できるというものだ。
言語化するとなんとなく感情でとらえていたものを冷静に見ることができる。
その時点で熱のピークは過ぎ去っている。
これは本来どちらが良いか比べるものではない。
「なんかわからないけど好き」でも構わないし、「他人と共有したいから言葉にしたい」でも構わない。
言語化できる方が愛が深いという判断はぜひやめていただきたい。
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