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金持ちをやめなければできなかっただろうこと

二度金持ちになったことがある。結構な金額を自由にできるほど金はあった。けど大金持ちというわけではなかった。貧乏は積極的に避けたいが、逆に金持ちであることにはもともと価値を感じていなかったのかそうでなくなることに頓着はなかった。
金持ちになった経験とそうでなければ接触できない世界にアプローチできたことは収穫だったと思う。だが周囲の金持ちはほぼ全員と言っていいほど「金持ちであること」に縛られ、しかもその状態を維持しようとまた縛りを課していた。外車を買い、海外旅行に行きまくり、ラグジュアリーホテルに泊まる。シンガポールかドバイに移住して余裕がある風の生活をアピールするしょうもない者は00年代にすでにいた。
金があれば金があることに相当縛られると理解している金持ちはほとんどいないと思う。

俺には金を獲得するセンスもコミットもなく、自分にそういう力がなくても応用や人の力と共に稼いだ。だけども、それもやりたくてやったというより、必要に迫られてやったのだと今では思う。
もう一度金持ちになってもいいけども、同じやり方ではやりたくないし、別にそうならないならそれで構わない。


金持ちでなくなったことだけが条件ではないけども、色々なタイミングなども重なって今ウクライナにいる。和平交渉アピールの茶番も進んでいる中だがまだ戦時中だ。戦争中の国に行くこと。身を置くことは年齢が遥かに若かった頃から思っていたことだった。
それで最近思うのは、今もまだ金持ちだとしたら、その他の条件が同じでも果たしてウクライナに来ただろうか?ということで、よくよく考えてみると金は条件に過ぎないから来たのだとは思う。だけどそうするかどうかは今よりはもう少し迷ったように思う。

自分の中の乱暴なまとめは、金持ちやめていないと条件的にこうはなってないなという考えになってる。ウクライナにはただ生活をしに来た。戦争の悲惨さがどうとか、ジャーナリストのように踏み込んで取材とか、そういうのは全然ない。どこで生活するか、暮らすか、何を目的にそうするのかは、世界中のほとんどの人が・・・・というより歴史上の必須条件として「仕事と住居は切り離せない」というところにある。俺は金持ちにしろ、仕事と住居の癒着にしろ、そういった「さも人間が守らないといけないと思い込んでいる不自由」をもともと嫌っていたのだと思う。


特にオチはない。そう思ったというハナシ…


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海外リアル旅生活😎松原靖樹
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