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「なぜオレ😎」4〜6まとめ記事

Facebookに週1で骨太投稿してます。本気モード重めの投稿。
こんな内容↓

・どういう生き方をしてきたのか それはなぜか
・個性や本質を扱ってきたのはなぜか
・なぜウクライナに行くのか

↓1〜3話

4話から6話をここでまとめます。

【なぜオレ😎04】劣性なのに傲岸不遜のこと


今回はまず、苦手で、心が不安定なことを書きます。

​■病気になったことがあり、そのとき長い期間助けてくれた人がいました。この「助け」はそれ以降の人生をまるっと変えてしまうほど人生を大きく左右しました。
この話が何かを書くのは、魅力的ではあるけども長くならないわけがないので、ここでは「そういうことがあった」とだけ書いておきます。

それで、それは、
マイナスのオレを受け止めてくれ、向き合ってくれたということでもあるわけです。で、

オレは、
これが、​

【全然できません】

マイナスにある人に手を差し伸べるところまではできる。
だけど、まず技術的に何をやっても上手くできない。上手くできないから気合いと根性で何とかしようとすると、そもそもマイナスの状態にある人はそんなことを求めていないのでいろいろ間違う。
なら心を無にしてやろうとすると、全然いい結果が取れない。そのぐらい向いていないし、できないし、下手くそです。

あるとき割り切って
オレは「助けられる側」に回ろう、としました。

「決めた」というほどバシッとはしていないけど、「別にそれでいいか」ほどゆるくもない。
へ理屈を言うなら、助けることが得意な人はそのこと自体別に普通と思っていることに気がついて→助けられる人がいなければ成り立たないよな?と頭で考えたりはしました。それが理由ではないけど。そんなこと"も"思った。


■能力的なことでいうとできないことは腐るほどあって、いざそれが目の前にやってくると吐き気を催し実際めまいがするレベルです。

ひとつ前の投稿で書いた英語やコミュニケーションは難があるし、別に言葉を話すことができなくても普通に乗り切る人を知っている→それもできない。
でもそれよりも告白しておくことは、心の内側では結構ドキドキすれば、もう全てを投げ出したくなるほど嫌な思いをしていること、そういう状況に子供の頃からウンザリしてきたことは、人生を通じてずっとあるということ。

おそらく、だけど
一般平均的に人はこういう傾向の心内をあまり持っていないと思う。の、リクツを書くと長くなるので端折る。

​話のポイントを吐き気とめまいに戻そう(そこポイントやった?)。


​このことで興味深いことがあってまずエピソードを。
高校卒業してワーホリでオーストラリアに行って、日本食レストランでバイトをはじめた。厨房の社員のおっちゃんで料理長だったか・・・のことが嫌いだった。理由は覚えていない。めちゃくちゃ嫌いでたぶん態度にも出ていて
ある日ホールの責任者の社員の大人に呼ばれて・・・前後の話は覚えてないけど・・・こう言われた。「君が料理長嫌いってことは、料理長も君のことが嫌いってことだよ」。

​そこだけ覚えているぐらいだから、相当刺さるものがあった。でもその刺さるものは反省とか啓発みたいなものじゃなくて、むしろ逆で、そのとき俺は自分の中の信念とか軸とかいうものに、半強制的に気付かされた。

「俺が人を嫌うのは良いが、相手が誰であれ人が俺を嫌うとか悪く思うなどあってはならないことだ」「お前如きが俺を嫌うなど身の程を知れ」
とそのとき思った。​

若者の傲慢さ・・・だと10年単位で何度も問い直した。
自己中心的な人格ではないかと個性や人格や人の在り方を体系的に学んだ(そのために学んだわけではないけど)。どこからメスを入れても自己中とか人格に難アリで片付けられるような特徴ではなかった。


この考えは今でも強く持っている。持っているというか、ある。最初からあった。
仮に軸とか心の深いところとか、信念とかだとしても、現代社会でやっていくのにそれが前押しではな・・・・と思って、社交性を学び笑、上手くやっていくことをだいぶと培って育んだと思う。が、それでもこの信念のようなものはほんの0.1ミリも揺らがなかった。
その姿を見て感じて

あ、これはほんまもんやなと認めるしかなくなった。


オーストラリアにいた時の18の俺は、もちろん今よりブロックバリバリで、心も弱かったし頭も悪かった。能力的にできることなど今の100分の1もなかった。それを誤魔化すような生き方、ものの考え方をしていた。
実際あの時の自分が18歳の息子として近くにいるだけですごい嫌な気持ちになる。そうだと言えるほどには何かが根本的にあかんかった。

​そんな自分が5年で飛躍的に改善するはずもなく、平たい言い方をするとその後ずっと尖った生き方をしていた。


​■何が言いたいかというと、そのぐらいできることもなく、心も清らかではない笑としても【そういうことは全く関係なく】俺にはこの時に気がついた不遜的な何かがあり、それはおそらく生まれた時からあり、カラーを変えず存在し、
心が揺らいだり、上手くいかなかったりしても、逆に心が清らかで超上手くいっているときも、変わりなくそこにある、いる。

ただ、これまで一度も傲岸不遜を人に見せたこと、出したことがない。いやいやあるでとか、見てたらわかるで、という人は漏れ出ている10%ぐらいを目にしている。それでも人より強度があるからわかりやすいのだと思う。

​じゃあ普段どうしているのかというと、基軸とまでは言わないけど俺には「謙虚さ」という資質と、後から学んで身につけた学習能力があって、外向きにはこの力が手を貸してくれている。
ここはやや面倒なこともあって、特に日本社会に合わせると身がもたないので、謙虚などあまり気にしなくていい外国に出た。おかげで気は楽になった。​

それで

商品とかサービスに強み発掘とか、コンサルとか、SITとかMIPとかいろいろあるけども、それを「どんな人がやってるんですか?」の背景が
→はいこんな人です・・・ということになる。

で、関連とか力学がいまいちよくわからないけど、23年に復帰した時に過去関わった人数百人が「感謝してます」「転機は松原さんのおかげです」と声をかけてくれた。今だから言えるけど、そのとき金銭状況"も"本気でヤバいレベルまで落ちていて、声をかけてくれた中の一人が「今私にできることはこれです」と50万振り込んでくれたりした。個人的には、主観的には感謝だけども
今回言いたいこととは少し外れるので、客観的にこのことを言いたい。

​できないことや能力低いことや、なんなら社会不適合者である俺が
地頭がよく、この性質に合った生き方をしてルートを拓いてきたのだとしても、
「だとしても」
傲岸不遜がどっしり構えていて
マイナス(弱者)を助けることなど全然できなくて
講座とかコンサルとかでその人のことを他の専門家など比較にならないほどやることやりまくって
結果いい効力が生まれて、その後の人生が良くなった人もいて
後からその時のことを感謝する人がたくさん出てきて
といって、別にそのこと自体を特別とも思っていなければ、自分の手柄だとも思っておらず
むしろこういう冷たさと無関係の位置付けがあり

​しかし曲がりなりにも成り立ち、一応生き抜き
死にかけていた時はありえないほど助けてもらえ
50万振り込んでもらい
社員なのに外国で自由な生活をさせてもらい
(といって別に強くなったわけでも生活能力があるわけでもなく)

という俺が

​  やっていけるのは何でなんですかね?

​■いつも考えると一度は思うことは「いつまでもこのままでいられると思うなよ」だったりする。心理背景や資質かどうかの話はスルーして、とにかくそう思う。
でもいつもやってこられている→ことを考えてみると、自分の力だけでは全然無理だと客観的に事実を見ている。もちろん感謝も湧き上がる。といって「そこにばかり甘えてそれで行こう!」とはならない。

かといって安定的な生活を作っていこうなどいう芽生えは、海岸の砂つぶほども出てこない。そうなるとやることは、自分がどういう人間で→だから何をしてどうやっていくかだけで
それも環境や状況によって違ったものになるから、ともかく現状とマッチングしながら考えていく。その連続ばかりやっている。誰もがやっていることかも知れないけど。

​つまり、

​  合理的に考えて
  成り立つはずがない

​のだが、成り立ってしまっている。完全な形ではないけど、自分の力ではないところに妙な力学が働いている。飛行機の揚力は航空力学の世界でも見直されていて、やっぱ飛ぶはずがない→のに飛んでいる、になってる。
親近感を覚える。

​間違ってる前提で思うことは、結局のところ傲岸不遜な性質・・・・具体的に「俺は人をどう思ってもいいが、人が俺をどうとか思ってはならない」というあり方(考え方ではない)が、
結局のところこの一連の色々を生み出す大きな%を占めてるんじゃないだろうか?と強引に結びつける。

​字面だけ読むとネガティブな性質に思えるけど、ニュートラルにみると「そうであることをそうである理解」していて、そのじゃじゃ馬を乗りこなすように人生の時間の大半を使ってきたと言えるかもしれない。

これがある時は
謙虚さの自制心がすごいものと映るかもしれないし
本気で向き合うことの真摯さと、傲岸不遜が本気で向いてくることの恐怖心を持たせるかもしれない。
どこかでこの傲岸不遜の有用性、というか存在してほしいとわかる人がいて、助けずにはいられない・・・・言い方が違うな、資産として失ってはいけない、という気になるのかもしれない。
嘘なく生きているからとか、人生視点で物事を考えているからとか、頭が良すぎるからとか、本当に大事なことは自分の損得を超えて譲らないという姿勢とか、そういうのはおそらく末端現象で
不遜には不遜である、そうであることを肯定できる何かの材料みたいなものがちゃんと揃っている必要があり・・・でなければそもそも重宝されるわけがない・・・そこを維持することにおそらくすごい何かをたくさん使っていて

そういう存在の力の何かが、なんやかんや働いて、どうにかこうにかなってるんじゃないだろうか、などと思う。

​などと思うので、同時に
そこから考えると、正しくこれを判断できる人の数少なくないか?現実には俺を嫌い誹謗中傷する人もいて、そういうのは論外だとしても(お前は料理長か!)
本質的な視点や、自分に革命を起こす人だからすごい、みたいな限定的な考え方も間違っているなと思っていて、もうすこし存在ごとちゃんと認めればいいのになと、方や思っている。

​これがすなわち傲岸不遜(の一部。2%ぐらい)。


【なぜオレ😎05】体のこと


つい昨日「生まれた時から体が重い」という人と話した。オレも思い出せる限りほぼ同じで、そのあたりのこと書こうと思う。

実のところ土曜からずっと不調で寝込んでいた。(ので画像なし)
たぶん子供の頃はエネルギー代謝が大人と違うことと、スポーツをしていたりしたことで体にごまかしが効いたのだと思う。
小学中学と長距離走では数年、短距離も2年ぐらいは校内で一番早かった。ところが特に長距離は毎回嫌で嫌でたまらなかった。今から考えると肺も弱め?で、家庭環境に問題があったのにタバコに走らなかったのはこれが原因かもしれない。
今もタバコの煙の一部を吸っただけで肺が苦しくなる。というか25メートルぐらい向こうで誰かが吸っていても気がつく。

貧乏と寄るべなき不安定な若い頃の生活で、とにかく生きていくためになんでもやった。サッカーをしていたこと→体育会系の根性もややある方で、生き延びるためにかなり無理をしてきた方ではないかと思う。
どの程度か簡単に書くと、なぜ他の家庭では子供が大学に行くお金を出せるのか不思議だったし、中古にしても友達が車を買えることがミステリーだった。もとい免許をとりに行く金もなかった。

18で外国に出た頃には激しい肩こりがあった。その後バンコクに住んで頭痛になった。
会社を興した時は1日18時間働いていた。その頃から定期的にオステオパシーに行き、ブロック解除の技術を受けていた。が、いつも重く、きつく、頭にモヤがかかっていた。頭痛は週1〜2ペースだった。

​簡単にまとめると肉体は重りでしかなかった。今では重すぎることは減ったけど、それでも重くないと重いが半々ぐらいだと思う。

​そんなこともあって、おそらく
頭を使う方にウエイトが傾いた気がする。もともと一生経営者をやるつもりでいたのだけど、早々に無理になったのに体(と頭)の重さが関係していると思う。
このあたりの調整はたとえば、旅ユーチューバーのように数日で移動などできないところに表れていたり、満員電車で通勤するなどハナから除外されたことにもあると思う。
動くのであれば効率を考えるようになり、長時間の移動はなるべく避けるようにしていたりする。それでも明日にはバスで8時間強の移動があったり、パリに出たときは15時間のフライトだったりした。前後は休むようにしていたり工夫している。それでも移動して、目的とする場所に身を置くのは、重い体だから何もしないわけではなく、それでも行かないといけない場所、この目で見ないといけないものが何か?をかなり選別しているから。

よくzoomで話すのもリアルで会うのも変わらない、と俺は言う。仕事の必要性でどこかに行くのではなく(そうしていたこともあった)、自分自身の必要性でどこかに行く。
誰かに会うことを拒否しているわけではないし、仕事では動かないということでもない。けども、それより遥かに「この重い体だからこそ絶対にやっておかなければならないことを選択している」。

​そうしていようが、そうしていなかろうが、ダウンする時はダウンするわけで、一応調整というか、負荷をかけ過ぎている物事が何か?と考える習慣はある。
ともあれ、そんなわけで今は戦時ウクライナにいる。


【なぜオレ😎06】コレ言われる人を他で見たことがない


自分が言われたこと。考えてみるとそんなことを言われている人は他にいないなということ、を書いてみようと思う。
​はじめて面と向かって言われたのはたぶん10年ぐらい前。
それは・・・・

みんな もっと 松原さんに
  【感謝 する べき です】


という発言だった。
そのときはまぁ、確かにそうかも?ぐらいだった。そう思って言ってくれる人がひとりでもいることはありがたいことだし、思う人は思うものだな・・・・と考えて終わった。

それが昨年立て続けに2人の人に同じことを言われた。
仮に心の中で思っていても、あまり面と向かって本人に言わない類の話題なんじゃないかと思う。
昨年言ってくれたうちの一人は・・・・正確にどういう言い方だったかは覚えていないけど「みんな這いつくばって感謝してもいいぐらい」みたいな趣旨のこと言っていた。

今回なぜここでこのこと書こうとしたかというと

「結果的に周囲の人に何が起こっているのか、
 気づいていないところを知らせるようなことを書いた方がいい」


と言われて
よくよく考えてみたら、そういうことが三度も起こっているのは何だかおかしい?気もしたし、何より自分が上手く気が付けていなかった、から。
思い出しながら「考えてみると、そんなことを言われる人はあまりいないかもしれない」と思った。



ところが「そこまで」感謝される理由を自分ではあまりよくわかっていない。
おそらく複数の兼ね合わせだろうなとは思っていて、その中でも思い当たるのはどこまでも本気で相手になりきるとか、そういうことかもしれない。
一度「命を削って私のことを考えてくれている」と言った人がいて、言われみるとそんな気もする。

相手になりきるのに「必要な技術」とか「追求する本質的な何か」も必要で、そうであることに時間をかけたこともある・・・・かもしれない?
自分でもわかっているのは、心理カウンセラーとかそっちの本職とは比べ物にならないくらいの圧倒的な判断力と分析力はある。でも受け手はそれを知らないわけで、なので・・・・結果?の独自さで判断しているのかもしれない。

ビジネスとか活動とかでは、先駆的なことをかなりやったし、本質理論の体系化もした。そのほとんどの情報を無料で出したからそういうのもある?のかもしれない・・・?



そのあたりは不明のまま。でもそれはそれでいいとして、
「もっと(関わった)多くの人から感謝されるべきだ!」と言われるような、イメージのロールモデルになるような人(たとえば・・・マザーテレサとか?)と俺のあり方は結構かけ離れているんじゃないかな?と思ってる。

俺の場合、究極自分の人生を追求するかたわらで、人が必要としていることがあれば「持っていっていいよ」としている。コミットして人を救うとか、感謝されるよなことをしているという感覚はない。
他人の真実に120%向き合うのは他人のためではなく、自分がそういう人間だからそうしているだけで、自分でも「感謝してもらえるものだ」とは思っていない。
感謝されたら肯定はするし受け止めもするけど、その人自身の何かがいろいろなきっかけで本道で行けるというか、そうなったのなら「良かったね」と思う。それ以外の何かを特に思わない。だから感謝されても嬉しいとか思わない。


一方傲岸不遜な性格は、俺に関わった全ての人は感謝のような考え方や感じ方を正しくするべきだなと思ってもいる。そういう意味で「確かに言われてみるとそうではない違和感」を10年ぐらい前に言われてから感じたことは多い。
でも、話違う方向に行くのでこのぐらいにしとく。



「寄付でやってください」と言われたのはたぶん4年ほど前のことで、そのときはこれまでに作り上げた結構大きなマーケットがあるのだから「収入源獲得手段として利用しない手はない」からそう言ってくれたのだな、と思っていた。
ところが実際は、俺が提供してきたものの大きさと安さ、その恩恵の大きさとか範囲が大きいのに、誰もちゃんと感謝していないじゃないか、お前ら返せよという意味・・・・少なくとも背景があったから勧めてくれていたんだな、と知った。

抽象的すぎて何が言いたいということではなくなってきたし、論点が曖昧で見えてこないけども、執筆活動なりウクライナ生活なりの寄付は、実感はそこまでともわないけど理屈はとてもよくわかるので毎月続けている。
しかも不思議なことに毎月一定の金額を払ってくれる人がいれば、突然大きな金額を振り込んでくれる人もいる。こっちに実感が希薄なため、そんな(大事な)お金振り込んで大丈夫?と思うことが度々ある。


結局まとまりがよくわからなくなったけど、たぶん

将来寄付をしようと思える何か、を
  この人は提供したり関わったりしてるんじゃないか


と思ってもらうといいのか、と思った。


1〜3話はこちら。


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