スピリチュアル能力向上講座 内容について
10月18日(金)21時から、隔週全8回、4ヶ月コースでスタートするスピリチュアル能力向上講座の「内容」のご案内です。
講座自体の案内と申し込みはこちら↓から確認してください。
■全般的に〜いろいろ未定
教科書がありその通りに進める、種類の講座ではありません。
むしろ教科書通り学んで力を使っているスピリチュアルを蔑視しています。天性の力も同じ。たとえば子供の頃から例が見えるとか怪異と交流できるとか。
どちらも「力」で、スポーツや音楽、数学や掃除が得意、というのと変わらない。本質的に優れた力を使っているという意味で全く同じです。
力そのものに罪はないけども、中国の故事に「子供が刃物を振り回していれば親もそれを避ける」というものがあるように、力の使い方をわきまえない未熟者が罷り通っている。その世界のひとつがスピリチュアルです。
力は「なぜ」「なんのため」に備わっているのか。
その力は「どのように」使うことが自分にとって正しいことなのか。
全くわかっていないばかりか、誤った理解を正当化で固め→信じて→行使しまくる人があまりにも多すぎる。
だからはじめにやることは、力の理解。それを扱う方向の本来の動機。
そのために、
それ以前に、
そもそも力とは何なのか。スピリチュアルとは何か。その世界は本当はなんのためになぜあるのか。これまで学んできたスピ理論がなぜ間違っているのか、から科学します。
この意味ですでにスピリチュアル活動で成功している人が正しく振り返るための内容です。
一方、スピリチュアルなど全く知らない初心者の方がありのまま素直に能力開花できやすい内容です。
■個別対応ありき
スピと関係ない他の講座も個別対応を軸にしています。
ビジネスにしろ、マインドにしろ、個々人の持つ性質が異なるのに、数十人集める講座で自分を発揮するのが可能なはずがない。
これが「肉じゃがを作る料理教室」なら決まったことを教えればいい。
世の中の習い事、特に資格を取る系の物事はそういうふうにできています。
ところが
肉じゃがや宅建とは全く違う、個々人の能力に依存する物事も日本人は学校で学ぼうとするような考え方をする。どれだけ習得率が高まっても、上手くいく日など来ません。
スピ能力は個人の力の性向と値に依存します。完全に人によって持ち物が異なる物事で→レイキはこうやる、ヒーリングはこうやる、ハイヤーセルフはこうつながる、カードはこうめくる、などの雛形で力が発揮できるわけがない分野、物事です。
ただし、個人の持つ力の探り方、特定の仕方、扱い方には一定の方法論があり、特に最初はそこからスタートする必要がある物事です。そうして自分の力を正しく知ることができて、次やることがその力は「なんのために」「どのように」扱うのか?ということになります。
言っていることは至極真っ当で面白みのない当たり前のことです。
■論理的に進めます
個別の力を明らかにしたら、鍛えるとか使う以前にやることがあります。
その力をどの方向に向けて、なぜ使うのか。
方向を決めるのは自分自身がどのような性質の人間であるか、です(スピは関係しない)。自分が何者で何ができるのか。スピに洗脳されている人は自分がないので、スピの導くまま人のため、世のため、良いことのため、超越存在のために動こうとする。こういうのを洗脳と言います。
公平に言うとスピ洗脳に限ったことではなく、一般社会のいろいろなところで見られます。会社人間とか家庭第一人間とか。
誰も本質を自分の頭で考えようとしない→自分で世界の本質、自分の本質を見極めるよう論理的に物事を考えます。スピリチュアルだけではなく、世界の構造や、人類や人が何なのかということなども。
本当はそういうことを知って初めて、力を何のために使うのかがわかるもの。その何のためにも人によって目的が違う。
物事を明らかにするには、科学的な思考アプローチや物事の客観的理解が必要です。理解のためには頭を使わないといけない。つまり感じる力ではない。明らかにできることは何か、できないことは何か、できないのなら保留にしながら長い時間をかけて知っていく必要がある。
そうして現状まとまることができる本質に従って事実をはっきりとさせます。
■自分が何者か
スピリチュアルに捉われず「この世界が何か」を明らかにしたら、次は自分が何者かを明らかにします。論理的、感覚的の両方からアプローチします。
個性にはたとえば、他人に関心が強い人と弱い人がいる。なら、他人に関心が強い人は力を他人に使いやすいだろうし、弱い人は自分または人ではない物や物事に視点がある。力の使う方向もこの自分の特徴に従ったものになるはずです。
自分がどのような人間か。特徴だけでは決まらない。もっと核心の核があって、その核に性質があります。その性質は人生という視点で物事を測ります。どのような人生を歩むためにこの力や存在があるのか?から考えて、その人生セオリーに従って力の使い方を沿わせていきます。
これが「何のために」力を使うか、の軸になります。
■どのように磨くか
ここまでを一度まとめます。
この世界がどのようなものであるか正しく理解する。自分がどのような者であるのか正しく理解する。自分にはどのようなスピ能力と、スピ以外の全ての能力が備わっているのか客観的に明らかにします。そしてはじめて、どの方向でこの力を、どのように振るっていくのかが決まります。
平たくいうと、これまでの力の扱いと方向が間違っていたことを明らかにします。
こうして本来のルートを辿る体制ができたら、次はスピ能力をその方向に従って磨く必要があります。ここは誰も十分にできていません。
なぜならそもそも誤った方向に進むための磨きだからです。
能力を磨くには目的(方向)に従って必要な高め方をする必要があります。
次にこの世界の論理的理解に従って伸ばす必要があります。誤った例を挙げるとお金を儲けるためとか、自慢するためとかほとんどの人がそういうくだらないことに向かって能力値を上げています。
たとえばヒーリングを行うことで心身の状態を良くすることはいいことだと無条件に信じられている。ヒーリングのような単純なことすら「やってはいけない」論理的理由はいくらでもある。まして個別の力の扱いで考えるともっと複雑にあります。逆にやってはいけないと思っていることが、本来の目的からするとただのエゴと誤理解による制約でしかないケースをよく見かけます。
個別の能力値は、理論と定義の変更、バイアスの排除、などを切り口に高めます。
■最後に
スタンスと本音を書いておきます。
現状のスピの世界は紛い物ばかりが罷り通る腐った世界と見ています。
技術から入る講座は全否定。そこで言われる理論も部分的に都合が良いものを抜き出して人を洗脳する道具として使われていることを理由に全否定。
上位の能力者は、完全専門とビジネス目的に分かれる。例えば高僧や成功者。どちらもそんなことのために人生を使っていることは否定。人の役に立っている部分は肯定するけど、別にその力でそうする必要はない。特に成功者は高い能力が我欲にすり替わって人格と人間性を落としている。
幼少期から優れて霊能力が使えるという人で、それを「自分のために有効に」使うことができている人を見かけたことがない。つまり力の扱いが下手。肯定するに値しない。エセスピは論外。
そういうスタンスです。
だから、どこまでも「自分自身を生かし」「自分の人生を活かす」ために、力のひとつとしてスピ能力「も」使おうと考える人には適切な内容だと思います。
スピの力が使えるのは、お箸が使えるのと同じ。特別な意味はない。別にお箸使えなくてもいい程度の話。これまでお箸使ったことがない外国人が、美味しく日本食を食べるためにぜひ使いたいなら「じゃあやろう!」という感じ。小笠原流ができなければ意味がないとか、人のために取り分けるために箸があるんだとか、そういうのはどうでもいい。自分自身と人生のために道具として使えるようにできる、未開拓のモノがそこにある。じゃあ覚えても良いんじゃないか?という感じでいてくれると良いと思う。
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