美術館の絵はなぜ大きいのか? 【コラム#59】
人間は社会上大きなものを目指すという風にできている。集団で大きなところを目指すとか、より多くの人に指示されるというところを想定していくとか。そのためにスポーツだったら敵に勝って優勝して、より多くの人に騒がれるとか、SNSのフォロワーを増やすとか、すごいフォロワーがいるやつが偉いみたいな風潮がある。
ところがそれは、その人が別に偉いわけでもなんでもなく、数の論理でもあるし、数の暴力でもあるというところで、何しろ我々は大きくなることはいいことだというような刷り込み情報というのがある。
先日言語心理学講座で、なぜ富士山は土の山が盛り上がっただけなのにあんなに感動するのかという話題が出た。理由は複数あるだろう。そのうちの1つというのが
「大きいから」
例えば美術館に行っても美術館で展示されている絵はとても大きい絵ばかりだ。余程有名な人の小さい絵とかでなければ、これらは全て
大きいことを良しとする
というようなポイントに基づいて、我々の深層心理とか社会性に基づいてそういうところが現れているという感じだ。
そのため東京で新しいビルが次々に建っているとか、札幌で新幹線が来るので再開発があるとか、福岡の天神が「天神ビッグバン」で、そこに建っているビルは全部大きいビルだ。小さいビルは別にニュースにならないということがある。そういう我々の脳みそになっている。
例えば少子高齢化で人口が減っていく村が、村から人がいなくなるということをまずいと。先日松山の人口が50万人を切って40万人台に入った。このまま何もしなければやばい、まずいというようなニュースがあったが、それも減ることはまずくて、増えることは良いという論理だ。我々にとってそういう前提がある。この原則を知っておいてほしい。
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