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素子が持つ犯罪者にも馴れ馴れしい古き良き刑事像
最近SAC1gigを見返しながら思うのが、この女傑というか姉御というか女刑事のスーパーウーマンは、犯罪者、チンピラ、老人、街ゆく人々に対し妙な馴れ馴れしさというか、親しみもあるが人生の先輩面をかますことが多い。しかもあちらからは「手厳しい」とか評されている。ある種の古き良き刑事マナーで、「私の目の黒いうちは管轄では(ていうと縄張りは日本を超えて全世界規模なのだが)テロ及び犯罪は許さないのよ、坊やたち」な感じのスタンス。
作品見てると例の冒頭の「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。それも嫌なら……」も突き放してる感じがしない。
「お前みたいな若造が正義を語って、世界を変えるだなんてまだまだだよ・・・・悪い事言わないから引っ込んでなさい。容赦しないわ。」
これ右翼っぽい爆弾魔に対して言っているのだが、作品を見ていくと攻殻機動隊だって暴力装置としては同類というか、体制側にいるだけで実力行使者として上位にいるだけで。でも正義の執行者としてはもっとよく考えてる先輩格という感じである。
長年攻殻を見ていた私が、あの冒頭の素子の宣言に「自己責任論だ」「社会の方が変えられべきだろ」「公安が何を言ってるんだ」という一見さんの正論ぽいが中身も碌に知らない戯言に思えてしかたないのは、この辺かと思う。逆に称賛するのも、「いやいや素子達だってギリギリの存在だろ・・・」と冷めた目線になってしまう。素子自身が善悪の境界に立つ人間で人類全体に対する責任をある種背負って人間の業を裁いている面があるからだ。