ツインレイという言葉、信じてみようかな🕊
≪読み終わるまで約10~15分≫
※「ツインレイとはこういうもの」などのノウハウは書かれていません。
実際の体験談を書いています。予めご了承くださいませ💛
*
オトコなんてクソだ。
ある時からそう思っていた。
でも、
またある時から考え方が変わった。
それは、
ツインレイに出逢ったから。
私が「ツインレイ」という単語を初めて耳にしたのは、確か2021年。
たまたま見つけたアート展に参加したとき。
「アート展にいこう!」と思ったキッカケもたまたま。
バスの待ち時間にアートの事を検索していたときに、ヒット。
「あ、こんなイベントがあるのか。行ってみたいなあ。」とぼんやり。
でも、そのとき、デザインが学べる職業訓練校に通っているタイミングで、平日はそこに通う必要があったので、イベント参加を半ば諦めていた。
それなのに、宇宙の采配なのか、諦めていたイベントに参加できるようになった。
そのツインレイの彼がコロナ陽性になったから。
クラス皆でお茶をしていなければ、訓練校が休校にならなければ、もしかしたら私は、「ツインレイ」という言葉をずっと知らないまま、そして、過去の古傷にフタをしたまま生きていたかもしれない。
偶然を装った必然。
神様のいたずらは、なんて粋なんだろうか。
その頃までの私は、スピリチュアルなど、そういった類のものはほとんど興味がなかった。
むしろ、
大学時代は真逆の自己啓発本などを読み漁り、人間力をつけようとしていた。
でも、今思えば、それは、自分が宇宙人だから人間の社会に馴染もうと自然とやっていたことなのかもしれない。
宇宙人。
今振り返ると、思い当たる節もあるような。
小学生の頃、訳も分からず急にイジメられ、(といっても、無視程度。)目が悪いせいで、先生に怒られ、その頃から人間を少しナナメから見るようになってしまっていた。
#宇宙人関係ある?
「(私の名前)ちゃんの言葉は傷つく!」と言われ、相手は何気なく言ったのだろうが、「え、人を傷つけるのは嫌だ!」と思った私は、言葉に敏感になり、言葉遊びをするようになった。
#そのお陰でお笑い観るようになったのかな
#宇宙人関係ある?
そして、
元々は、性別の境が曖昧で、無防備で、男の人の家に独りでお邪魔したり、‥とにかく無知だった。
理性の強い男性や相手が自分に興味のない場合は、何事もなかったが、そうでない人の場合は、襲われることもあった。
無知で怖いもの知らずの私の頭をガンガン打ち付けるかのような当時の私の想像を遥かに超える出来事の連続についていけず、度々パニックになっていた。
「無知は罪だ」と、自分を責めていた。
#宇宙人関係ある ?
でも、今なら思う。
それらもきっと神様からの愛なんだろう、と。
そういった経験がなければ、危険がある事を知らずに生きていた。
恐怖という愛を教えてくれたことで、自分を守ることや知識を蓄えることに繋がった。
でも、少し行き過ぎた。
石橋を叩きすぎて、頭デッカチになって、自分から全く行動できなくなったり、自分を守りすぎてキバを剥く時もあった。
そんな最中に出会った、ツインレイ。
「誰も私に触れてくれるな」という行き過ぎた考え方や、今までの人生で培ってきた価値観を大きく揺さぶる存在。
脅威でしかなかった。
「性格が合わない。」、「昔の二の舞にはなりたくないから出来れば関わりたくない。」という想いとは裏腹に、心がときめいてしまう。身体が勝手に動いてしまう。「触れたい」と魂が叫ぶ。
頭よりも行動が先に出てしまうタイプの理由もない、訳も分からない私の行動に彼も困惑していたんじゃないかと思う。
彼から言われた訳ではないので実際には分からないが、「早く気持ちに気づいてくれ」という心の声が聴こえたような気もした。
でも、まだそういう不思議な体験を完全に信じることは出来ず、その声のようなものも、「勘違いだろう」と見ないフリ。
そうやって、ずっとフタをしていた。
自分のエゴやトラウマが先行して、自分の魂の叫びには耳を傾けず、彼から離れたい想いに従ってしまった。
そして、
連絡も取れない状態にまでしてしまった。
彼から離れている間、私にまさにイカゲームのような出来事が降り掛かってきた。#命とお金について考えさせられたという意味で
その甲斐もあってか、私は自分のエゴの声と対話せざるを得なくなった。
「昔の自分のままではいられない。」
そう思った。
今まで培った価値観を変えることは比較的、簡単にできたが、オトコの人への恐怖と、自責の念を拭うのには少し時間がかかっている。
心を塞いでいたフタが徐々に開いてきて、純粋な心が顔を出しつつあった私は、その心のまま愛についても考えていた。家族愛、友人への愛、恋愛。
そして、
人生のゴールと言われている、結婚の事も。
まだ訓練校に通っているときのある日の飲み会でツインレイの彼が「結婚してもいいと思える人が現れた!」と意気揚々に言っていた。
その言葉をキッカケに結婚というワードが私の頭の中にずっと残っていて、そして、愛を考えるタイミングの時に本格的に結婚についても向き合った。
結婚。
それは、以前の私にとっては全くロマンの欠片もないものだった。
癌と同じ位置にいるくらい。
社会人になった私が出会った周りの人達を見ていて、「なんで結婚しているのか?」不思議でたまらなかった。
二人の間に愛は見つからないし、どちらかが浮気や不倫をするし。
#という人の方が多かったという話
#もちろん愛豊かなご夫婦もいらした
だからといって、オトコの人の場合は社会的地位が揺らぐ事は少ない。そういうのが、本当に悔しかったのかもしれない、と今になってようやく気づいた。
「愛し合ってもいないのに、どうして結婚する必要があるのか?」
「どうせ、オトコの人の見栄とか体裁とか、そんなもんやろ?」
そんな捻くれた見方をしていた。
#オンナの人で体裁気にする人もいるんだけどね
そんな私が、急に考え方を変えた。
訓練校の生活の半年後、長野に引っ越した私は、昔からよく遊んでいた大好きな友達のお家と近くになったという事もあり、また度々遊ぶようになった。
ある日、その子から相談を受けた。
「彼氏と喧嘩した。『価値観が合わない』んだって。」
それを聞いた私に、
「価値観が合わないと喧嘩をしたという事は、ワンチャン誰かを探す可能性もある‥?」
「私がその選択肢の中から外れるには、私に相手をつくるのがいいかもしれない‥?」
「私は、もう絶対に友達を裏切りたくない。」
このナゾ理論が成立した。
#でもどうやら潜在意識は根拠が必要らしい
母に対しては「結婚しないかもしれない」と反論していたにも関わらず、その子の相談で、考え方がガラリ。
これも、もしかしたら何かの計らいなのかもしれない。笑
#今はまだ不明
今後、再びツインレイの彼に会ったら、私は素直でいられるのか。
正直それは、会ってみないと分からない。
けど、歩み寄る努力はするつもり、なの。
#とかいって嫌われてたりしてー
#自分の妄想や勘違いだったりしてー
でももう神様に委ねるの 。だって、
どういうカタチになろうとも全ては愛につながっているから。
訓練校へ通いだしてから、スピリチュアルなどそういった類の動画を頻繁に見るようになり、その中で言っていた。
悲しみ、不安、絶望、
そういった出来事は全て
愛を気づかせるために
神様が与えてくれたもの。
全ては愛へ繋がっている。と。
オトコなんてクソだ、と思っていた以前の私に、ツインレイとの出逢いの機会と癒しの時間を与えてくれた神様。
オトコというジャンルで一括りにするなんて失礼よね、と思えるようになったよ。
同じオトコの人でも恐怖を感じなかった。警戒心も芽生えなかった。芽生えたのは「傷つけたくない。」という想いだけ。あんなに心と体が動かされたのは初めてで、確かだった。
その後の癒しの時間も経た事で自分の魂を一段と輝かすことも出来たんじゃないかな?とも思う。
それだけでも、本当に、有難いなと。
もうすでに、愛でいっぱい。
これ以上、愛で満たされたら私はどうなっちゃうんだろう。天国なのか現実なのか分からなくなっちゃうのかな?w
今まで乗り越えてきた冬は、これからの春を迎えるためのもの。そして、今、雪が溶け、鳥や花の嬉しそうな声が聴こえてきている。
「はーい、もうすぐ愛を伝えていくステージへ進む時間ですよー」と遠くの方でサザエさんがおいでおいでしている姿が見える。
気がする。