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心晴れるかな。


これは、母から聞いた、母の妹さんのお話。

母は、北海道の、黒柳徹子と同じ場所で、ハンサムな英語教師の父と、眉毛が印象的な書道の先生の母の元、長女として、オギャァ。

そして、2年後に妹が、オギャァ。母は、2人姉妹。

2人の幼少期の写真を見させてもらったが、太陽と月のように、見た目も性格も真反対のようだった。

母は、目鼻立ちがはっきりとしていて外国人のような印象。(鼻は丸いけどw。)性格も、ガキ大将と張り合うほどの、お転婆娘だったそう。暗くなるまで、外で遊んだり、夏は、日焼けなど気にせず、延々と、海に浮かんでいたらしい。

一方、妹さんは、日本人形のような顔立ち。清楚で、おしとやかな見た目で、性格も大人しかったそう。クラスの端のほうで本を読んで時間を過ごすタイプで、中々クラスに馴染むことが出来なかった子だったそう。

そんな真反対な姉妹だったが、仲は良く、一緒に輪唱や、替え歌をして遊んだり、雨の日は、何かを作って遊んでいたそうで、妹さんは、編み物がプロ並みに上手だったとか。

それが大人になっても、活きていて、手先が器用な妹さんは、お料理を作らせたらピカイチだったとか。加えて、本格的にしないと気が済まないタイプだったそうで、一度作らせると、出来上がりは、プロ並み。

そんな、何でもキッチリするタイプなのは、仕事でも発揮され、たとえ、夜遅くに寝たとしても、朝は、誰よりも早く出勤し、オフィスを綺麗にしたりしていたのだとか。

その才能は、会社の上司や目上の人には、引き立てられるものだったが、その反面、同僚からは嫉妬されていたらしい。

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小学校の頃も、クラスで馴染めず大人しかった妹さんは、いじめに遭っていたそうで、

母は、その事実を妹さんのお葬式の時に担任の先生から聞かされたのだとか。(なんで今言うねん、担任。‥は、置いといて。)

「死ぬまで周りの人には、悟らせないように振舞っていたんやねえ。本人も、何でもないように、おちゃらける癖もあったしね。だから、本当に、誰も気づいてなかったと思うよ。」

そう、母は言っていた。

「家の空気を読んで、口を摘むんでしまっていたのかもしれない」

と、加えて、母は言った。

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祖父母は、情熱的すぎるがゆえに、喧嘩の絶えない人達だったらしい。

20歳そこそこで結婚した2人はロマンチックな純愛で結ばれたのだが、それゆえに、祖母の嫉妬がひどく、わざと祖父を怒らせて暴力的な激しい喧嘩になってしまっていたのだとか。

ひどい時には、祖母の髪を引っ張って、玄関までズルズルズルズル。

「‥でも、あれが、あの2人の愛の形だったんだろう」

そう言えるようになったのは、母がだいぶ大人になってからだったみたい。

二人の愛が強すぎて、しばしば、二人だけの空間になってしまっていたらしく、喧嘩が始まると、子供のことは、全く気にも留めなかったそう。

そんな祖父母の姿から、母は、「親に愛されていない」と感じていたらしく、「きっと、妹も同じだったんじゃないかなあ・・」と言っていた。

そんなことを肌で感じながらも、年に2~3回、台風のように突然巻き起こる親の喧嘩は見たくないと、二人の雲行きが怪しくなったと思ったら、場の空気を和ませたり、親を笑わせたりしていたらしい。

子供は、本当に、親に無償の愛を与えてくれる存在なのだな、とつくづく想う。そして、両親が仲良くしている事を心から望んでいるのだな、とも。

しかし、その子供の頃の記憶や、トラウマは中々消えなかったのだろう。

大人になり、お酒の味を知った妹さんは、段々と、お酒の魔力に引っ張られるようになったそうで、

毎晩、何十杯のお酒を泥酔するまで飲み、沢山の失態を犯してしまっていたのだとか。

泥酔し便器にくるまった状態で、側でオギャーと泣いている息子を放置してしまったり、息子の授業参観に、顔を出すことが出来ず、代わりに祖母が行ったり‥、きっとここでは書ききれない。

そうして、妹さんは、どんどんお酒に潰されてしまい、ついには、自転車で事故を起こし、6年の闘病生活の末、入院先の病院で亡くなった。享年49歳だった。

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ある日、自転車を走行中に、横から来た車にコツンとぶつかった衝撃で、転倒してしまい、その時は、何事もなく、お互いの名前も聞かずに、自宅へ帰ったらしい。しかし、夜中に、とても大きなイビキをかいている事に祖父母が気づき、「脳卒中の可能性がある」と、病院へと連れて行ったのだとか。

本来、自転車で転倒しただけなら、入院するほどの、ましてや、植物状態にまではならないそうだが、その前に起こした、車での事故が脳幹を損傷するほどのものだったそうで、その影響で、大きな事態になったのだとか。

「今、妹が大変なことになっている。」

当時、大阪にいた母は、そう電話で聞かされ、すぐさま北海道へ飛んで行ったそう。

母が病室に入ると、植物状態で全く動けないハズの妹さんは、母を追うように目を動かし、そして、涙まで流したのだとか。

それを聞いた時、私は、「ああ、よっぽど母のことがスキだったんだなあ。」と思った。

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小さい頃から、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と後ろをついて回っていたそうで、よっぽど母の側に居たかったのだろうな、と思った。

しかし、友達を作ることが自然と出来ていた母は、そんな妹さんのことを疎ましく思うときもあり、母の友達に会うときには、ついてこようとする妹さんを巻いていたらしい。

だとしたら、妹さんは、雨の日が、一番好きだったんじゃないかな、と想像するんだよね。

だって、唯一、お姉ちゃんと遊べる日だから。

「毎日が雨なら、どんなに楽しいだろう」と、思ったりしたんじゃないかな、と。

でも、現実は中々そうはいかなくて、大人になってからも、母は、家から離れてしまって、きっと、寂しかったよね。

母と同じように、友達を作ろうとしても、祖母に「あの子は貴方には合わない」などと言われたり、結局、その友達に最後は、裏切られたり、

家から離れたいと願っても、「またお酒で、変なことをやらかしてしまうのではないか?」という祖父母の心配の影響で、許してもらえなかったのだとか。

そういう現実の積み重ねが、妹さんの心に雨を降らせたのかもしれない。

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妹さんは、生前、酔っぱらうと、「悲しい、悲しいよ」と言っては、シクシク泣いていたらしい。

見た目もスタイルも良い彼女が、なにをそんなに悲しんでいるのか?贅沢な悩みを抱えたものだ、と思う人もいるのだろうか。

これは、私の想像だが、

小さい頃から、大人しいだけで、クラスに馴染めないだけで、イジメられ、

人を魅了する月のような輝きや、さりげなく嫌味のない気遣いのセンスを持ち合わせて産まれてきただけなのに、周りからは嫉妬され、

そして、可愛くて大人しい女の子は、往々にして、男の人に狙われやすい。加えて、無防備だった。もしかしたら、誰にも言えないような怖かった体験もあったんじゃないか?

そして、こまやかな気遣いが上手ということは、とても繊細で、周りの人の気持ちにも敏感ということ。

そして、周りの現実が全てだと思ってしまったり、優しすぎるがゆえに、自分が悪いと、自分を責めてしまっていたんじゃないか?

こんな話、誰にもわかってもらえない。と思ってたかもしれないよね。だって、目に映る周りにいる人達みんな、敵に見えちゃうもんね。

その結果、「悲しいよ」と、心に雨を降らす。
(単に、何かの霊に取りつかれていたという可能性も、ない事はない。)

雨を止める方法も分からないまま、お酒を浴びるようになってしまった。

それが次第に、本人を溺れさせてしまったのかもしれない。

根本の原因はもしかしたら、祖父母かもしれないが、徐々に、妹さんが祖父母にとって、迷惑で、恥ずかしいと思わせる行動を取るおかげで、入れ子状態のようになり、気づいた時には、複雑に絡まった糸を簡単に解けなくなっていたそう。

当の祖父母は、お酒が悪いのだと思い、必死にやめさせようとしたらしいが、押し入れに隠してあった空瓶が大量に出てきたりしていたり‥、と、お酒の魔力から離れることは、なかなか大変だったとか。


でも、お酒が悪いわけではない。

かといっても、この場合、どう言うのが正解なんだろうか‥。

「誰も悪くない」というのは、確かに真実だと思うけどさ、この場合、この言葉を使っちゃうのは、なんだかズルいような、とても残酷なような気がするし、「たまたま運が悪かっただけ」も、なんだか腑に落ちない。

‥うーん、よし。募集しよう。

もし、これを読んでくださった方で、いい案を思いついた方は、ぜひ天に投げてください。そしたらきっと天気として感情を表してくれるでしょう。

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でも、そうやって、生前の妹さんに関心を寄せてくれる人がたくさん居たら良かったのかな。

優しい言葉を投げてくれる、たくさんの人が。

‥いや、違うよね。きっと、心の底から理解してくれる人が、1人でもいたら良かったんだよね。

そして、そういう存在になれなかった母が、一番悔しいんじゃないかな。

「もっと、優しくしてあげたら・・」

「なんで、彼女を置いて一人で家をでてしまったのだろう・・」

たくさん、自分を責める言葉を、浴びせたんじゃないかな。

家を出る前に、妹の変わり果てた姿を見る事になるなんて、まさか思ってもなかったよね。

それにも関わらず、私の前では、全く泣かずに、「全身に管が通っててねえ‥」と、妹さんの状況を静かに教えてくれた。

そんな母の姿が、私には、太陽のように見えた。

お天道様 の温もりで、妹さんを見守っているようで、冷たい病室がぽかぽかとした空気に包まれているように感じた。

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そういえば、私が小学生のときにいじめられたときに助けてくれたのも、母だったな。

あの時から、妹さんの魂が、私の身体の中に入ってたんじゃないかな?って、時々想うんだよね。

お姉ちゃんの格好いい背中を、私の目を通して、見てたんじゃないかな?とかさ。

それから今まで、他の兄弟よりも、母とのご縁が強いような気がしてたけど、それも、妹さんの「お姉ちゃんと一緒にいたい」という想いからかもしれないな、とかさ。

私自身、兄弟から「母を取られた!」と思われていないか、半分申し訳なさもあったが、もし、本当に、妹さんのカルマを解消するために、私が生まれてきたのだとしたら、‥許してくれるかな。

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今振り返ると、小学校でいじめられた経験だけでなく、大学時代、雨の中、自転車に乗っていたときに、横から来た車にぶつかって転倒した経験も同じ。あの時も、お互いの名前を聞かずにバイバイしたな。

お酒にだらしない時期もあり、しかも、飲むと、無抵抗になるもんだから、たくさん危ない橋を渡ったな。セブンイレブンのトイレにお世話になった事もたくさんあったし、お陰様で肝臓は弱かったから、すぐお酒を戻してはいたけど、逆に、カラオケボックスの中にゲロの海をつくった経験もあったな。しかも、数十人の職場の人間がいる中で。

あ‥!そういえば、車での軽い事故も多かった‥!車に乗ると、スッと眠りに落ちる時があって、助手席に乗る友達や母を事故に合わせそうになり、怒られた機会が何度もあったし、一人で乗っていた時も、よく車をぶつけていた。その影響で、私は、車に乗ることを辞めた。

そして今、なぜだか分からないけど、編み物を始めている。
#こんな話誰か信じてくれる人いるのだろうか‥ 

妹さんと、違うのは、気遣いとお料理の上手さを持ち併せていなかったこと。むしろ、何も持ち併せずに産まれてきたんじゃないか、と思うくらい、昔の私は、気遣いのセンスもゼロ、お料理に関しても繊細さがゼロで、作らせると男飯になってしまう。おまけに、仕事も出来ない人間だった。

それが今は、成長し(お料理は修行中)、まるで、努力して手に入れたように見えるけど、あえて、手ぶらでこの地に産まれてきたのかもしれないな、とも思う。

人間のストーリーとして、失敗からの成功のほうが、認められやすいもんね。

すでに持ち併せている人間は、嫉妬や妬みの対象になりやすい。そして、本人も、なぜ自分が、こうなのか、理解できないまま。

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昨日の夜、お布団の中で、急にこの感情が溢れてきた。(※後半は、おちゃらけているので、気にしないでくださいw。)

そして、突き動かされるままに、私は、この文章を書いている。#真夜中 

だからこそ、妹さんの魂は、もうこの世を生きつくしたのかなあ、と勝手に思ってる。ちょうど、母と同い年のタイミングだしね。

今の私が流した涙で、「悲しいよ」という心の雨を全部出すことが出来てたらいいな。

十分、似たような経験させてもらったかな。妹さんの気持ちを本当に理解できたかどうかは分からないけど、色んな経験をするたびに沸き上がってくる感情は、浴び切ったよ。

そして、今も、隣には、お姉ちゃんがいるよ。

お互い言いたい事を言い合って、時々、かすり傷をつけ合うこともあるけど、それがまた、楽しかんだよね。同じ空間で過ごせて、同じ空間で一緒に寝られるのは、とても安心するしね。

私の中にいる、妹さんの魂も、同じこと思っていたら、いいなあ。

でも、もし、もうどこかへ行ってしまうのなら、妹さんの月の輝きで、私と母の先の見えない暗い道を照らしててほしいな。そしたら、これからいつでも、貴方を見つけることが出来るからさ。

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