[全体公開] 2024/10 ぼやき
先月は絵を描いていませんので、ちょっとした日記?のようなものをしたためてお茶を濁すことにします。
Twitter(現X)は定期的にゴタゴタして終わるか終わらないか、移住するかしないかの話を繰り返している気がしますが、Twitterの次に来るものは何なのか問題。
わたしは、Twitter的な様式を継いだもの(BlueskyやMisskey等)は細々と続いても主流にはならないんじゃないかと感じています。
なぜなら、もうTwitter式にみんなは疲れてしまったから。
友達や同じ趣味の人との交流にSNSは簡便ではありましたが、友達付き合いで済ませるにはSNSは巨大化しすぎました。
その巨大化と折り合いをつけるために、われわれは人をカテゴライズすることを覚えてしまいました。
カテゴライズの下では、われわれは友達付き合いに感じていた癒しを得ることができません。敵か味方かで人を二分し、“敵”を排斥した“味方”同士の交友ではエコーチェンバー。排除と均質化の中で友達の顔も声ももう思い出せなくなりそうです。
(えらそうに書いてるけど、自分を振り返っての実感でもあります)
異質な人々が流入したからおかしくなった、なんて話ではありません。もともとわれわれは一人一人異質です。異質を見て見ぬふりしていたのが、無視できなくなった結果が今なのかなと感じます。
この混乱にどんな解が与えられるかはわかりません。人によっても違うはずです。
ただわたしが差し当たって検討したいと思うのは、異質を認められる規模・距離感を保つことです。今のところはそれこそ、こうしたPatreonやnoteのようなじっくり腰を据えて想いを書けるようなところがわたしは心地よく感じています。