初めて煙草に火をつけた日。
24年間生きてきて、初めて煙草を吸った。
なんだか、大事なものを、1つ無くした気がした。
煙草を吸おうと思ったことなどコレまで一度もなかった。
興味関心が無かったからと言えばそれまでだが、単純に匂いや煙が苦手だった。何より喫煙者にはあまりいい印象が無かった。深夜にドンキに屯(たむろ)している、スリッパにラインジャージを履いているような輩や不良が煙を吹かしながら騒いでいるイメージが刷り込まれているからだろうか。純粋に煙草を買う金が勿体ないのあるけれど。
別に喫煙しているから悪人、そうでないから聖人、そんな考えは抱いてはいないし、喫煙者の人格を否定する気は毛頭無い。それでもどうしても、「喫煙者である」という事実を認識してしまうと、その人にマイナスイメージがついてしまう自分が居るのは事実だ。気になった役者のWikipediaを見ていて、その人物に離婚歴があると少し印象が悪くなるのと同じだ。
ただ、こんなことを言いながらも、それに相反する考えもあって。フィクションにおいて、煙草を吸うキャラは大体カッコいい。ワンピースのサンジ然り、ルパン三世の次元然り、デュラララ!の静雄然り。本気を出して戦闘をする前、恭しく煙草を地面に捨て、靴で火を消す描写なんかががあるとなお良い。それだけ煙草は、ハードボイルドや不良、ワルのアイコンとして優秀すぎるのだ。
熱血漢的なヒーロー然とした主人公やその一派よりも、ダークなキャラに一度は惹かれたことがあるだろう。当時幼稚園児の私も仮面ライダー龍騎では仮面ライダー王蛇に、爆竜戦隊アバレンジャーではアバレキラーに魅了されて仕方なかった。アウトローな戦い方で主人公一味をボコボコにするその姿は、テレビの前の一人の少年を虜にした。
その意味では煙草は非常に魅力的なアイテムとして捉えることも出来るかもしれない。あの日に憧れたワルの気分を気軽に味わえる。別に前述の特撮キャラに喫煙者設定はないけれど。
そろそろ本筋に戻ろう。
唐突にその日は来た。
たまたまその時の連れが喫煙者だった。普段そうやって喫煙が行われる場合、自分は喫煙所から戻ってくるのを待つのが通例だったが、今回はなんとなく付いていくことにした。以前Twitterで自分は全く喫煙をしないが、女の子に副流煙をかけてもらうのが趣味というイカレオタクを観測したことがきっと影響していた。副流煙による受動喫煙が社会問題となり、分煙どころか禁煙が進みまくっている時代に、自ら飛び込む人間は中々に狂っていると思う。能動的受動喫煙、完全に言葉として破綻していた。ただちょっと気に入ったので、その手の趣味(というか性癖)を持っている人は積極的に使って広めてほしい。ユーキャン流行語大賞は狙えなくても、ネット流行語大賞にノミネートくらいされたい。
喫煙所が近場に無いので路地裏に移動する。昼間ながら人は少なく、すれ違うのはボアジャケットを羽織り髪を派手に染めている輩、死語的に言えばDQNばかり。全然怖くて今にも引き返したかった、絡まれたらいつでも逃げられるよう逃走ルートの確認だけは入念にしていた。ただ足も遅いし、革靴を履いていたので絶対に捕まる自信しかなかった。自首用の電話ボックスは現実には存在しないのだ。
そんなこんなで人の少ない寂れた裏路地に着く。すぐに連れが煙草に火をつけた、自分の嫌いなあの匂いが煙と風に乗って私を襲ってくる。悪臭が鼻孔を駆け上がり、それは『不快』の感情となって脳に到達した。いや無理無理、既にこんな感じなのに副流煙を顔にかけてもらうとか正気の沙汰じゃない、ふざけんなバカ、と自分から付いてきたにも関わらず完全な逆ギレをしていた。あまりにも鮮やかすぎて多分常人なら逆に見逃していたまである。
しかしながら、そこで頭に血が上り逆にテンションがハイになったのか、煙草を吸ってみたいという感情が不意に出現した。いまこの感じでヤニをシバいたらウケるかな、という安直さもあっただろうけれど。でも何よりも、その時の連れが「ワル」だったのが、以前から抱いていた不良への憧れのような気持ちを刺激したのかもしれない。どういう風にワルなのかは各々のインスピレーションを働かせて想像してほしい。ただここではコンプラ的に明言は控えさせていただく。ただNext Connan's HINT(ネクストコナンズヒント)だったら、コナン君が元気に「年齢」と言うと思う。
7.8センチほどしかない、有害物質と浪漫の詰まった白い棒を連れから分けて貰い、人差し指と中指で挟んだ。対戦相手は6mmだか9mmだかの赤LARK。水曜日のダウンタウンで一躍有名になった””あの””銘柄だ。自分で言ってなんだが、メチャクチャ上手いダブルミーニングだ。幸いほぐれてはなかった。ライターで火をつけてもらうと、いよいよだ、と思った。けれども、手は震え、中々それを咥えることが出来ない。大学生になって、初めてしっかりと酒を飲むとなった飲み会を思い出した。別に身体にどうこう変化があるわけじゃない、それでも違う自分になってしまうのではないか、そんなちょっとした恐怖心との闘いがあった。その葛藤は頭の中では永遠のようで、けれど現実では数秒しか経過していなくて。
逡巡(しゅんじゅん)──────────意を決しそれを唇に乗せた。言われた通りにそれを一気に吸った、その時、瞳は閉じていた。
だが、何も起こらなかった。瞳(め)を開き、慌ててもう何回か吸ってみる。だが、口には中身を包む紙の感じが広がるのみだった。先ほどの思案は何だったのか、と少し笑った。
こちらの様子を見た連れがある異変に気付いた、火がちゃんと付いていないことに。コチラに近づいてきて今一度ライターの灯で葉巻の先端を炙る。ジリジリと音がし、くすんだ白い煙がそこから昇っていく。
私は先ほど初めてそれを吸おうとしたタイミングで覚悟は決めていたので、スッと咥えて訝しみながら改めて口を窄(すぼ)める。
瞬間、これまで味わったことのないような悪寒が全身を駆け巡り、煙という名の最悪が口腔内に広がる。ゲホゲホと死ぬほどにむせた。もう本当にびっくりするくらいむせた。ニコニコ動画なら絶対に「む せ る」と大文字の赤字コメントが表示されていただろう。わからない人は「炎のさだめ」で検索してほしい。
怖いもの見たさにもう一度咥える、むせる。また咥えて、むせる。それを4回くらいループした。たったそれだけで、頭は中に何キロもある鉛が詰められたかのように重たく感じた。頭の頭痛が痛かった。こういう時こそ半分が優しさで出来ている頭痛薬が欲しかった。古典落語の「まんじゅう怖い」よろしく「バファリン怖い」と心は叫んでいたと思う。
さっさと煙草を靴でかき消して、急いで水を買いに行き、ペットボトルをがぶ飲みする。その飲むスピードにメチャクチャ連れは引いていた。理不尽すぎるだろ。あと完全に余談だが、アニメでペットボトル飲料を飲むシーンがあると、毎回と言っていいほど、全員が上手く飲み切れずにアゴや喉元を伝って液体が零れていくのは何故なんだろう。いくら喉が渇いていて焦っていても絶対にそうはならない。上司や先輩の横で毎回その調子だと絶対に引かれるし下手すれば怒られる。そうはならないように、という教訓なのかもしれない。
こうして、私の煙草初体験日記は幕を閉じた。
感想は勿論「煙草はカス」以外の何物でもない。もう二度と吸う気はない。これを好んで美味い美味いとスパスパする輩は、きっと舌で味を感じる器官の味蕾(みらい)に異常を来しているのだと思った。それから数時間は頭痛は消えなかったし、着ていたスーツに匂いはつくし、未納の年金の督促は来るし、本当に最悪だった。年金は5か月までは耐え、これはライフハック。
ただ、そんな思いをしながらも、寂れた路地で煙を吹かすのは、一種の”エモさ”を感じてしまったのは事実だ。エモいの語源は「エモーショナル」よりも「えも言われぬ」の方が浪漫があって良い、大和言葉を大事にしていきたい。
でもほんの少しのニコチンやタールに代表される有害成分と引き換えにした代償は大きすぎた。
私は”良い子”なので、子供時代に万引きだったり、殴る蹴るの喧嘩や教師・親に対して楯突いたりなんてしたことはなかった。大人になってからも所謂悪事に手を染めたことはない。いやそれが普通ではあるし、その手の行為はカスだと思う。インスタのストーリーに度数の低い酒とどこからくすねてきた煙草の写真に「Chillってる」のような文言を載せて投稿するガキは全員罰を受けてほしいし、不幸になるべきだ。少なくとも、将来それを思い出した時には顔を真っ赤にして壁にガンガン頭をぶつけてほしい。それでも、所謂「ヤンチャ」には、あの頃の、エネルギッシュな子供の時代にしか体感できないノスタルジーがあるのも事実。今考えると、きっと私は煙草を手に取ることで、遅れてきたある種の社会への反抗をしてみたかったのかもしれない。
けれど、煙草をいざ吸ってみてもそんなことはなくて、私は私のままで、何も変わらなくて。
あの日に抱き、そのまま心の奥の引き出しにお行儀よく締まっていたアウトローへの憧れというものは、驚くほど呆気なく、それこそ煙草の煙のように鉛色の空に消えていった。
それでは、また。
全ッッッッッッ然、エモくないじゃん。