私の推しはできそこないの聖杯だった。
物語には物語上必要な登場人物の行動があります。
それは例えば一つには偶然であったり、キャラクターの性格上の行動だったりしますが、同時に物語を構成するためのシステム的な行動の場合もあります。
例えばある女性が危険な災害現場から拾った赤子をまた別の場所に捨てるとします。
その時、女性が赤ん坊がかわいくて拾ったけど、家に帰って男に怒られてまた捨てたという時、これは男の干渉により女性の行動が変化したことになります。キャラクターの性格上の行動になるわけですね。さらにその捨て場所が特定の場合、例えば孤児院とかであれば女性は孤児院を選ぶ最後の優しさがあり、近くのごみ捨て場なら女性は子供かわいさより男の恐ろしさが勝ったことになり、そこからも女性のキャラクターが見えます。
しかし例えば、この男性の干渉なく女性が拾った赤ん坊をまた捨てたとしたらどうでしょう。そこにはなんらかの葛藤や心境の変化があったのかもしれませんが、物語上その赤ん坊がA地点からB地点へ移動しなくてはいけなかったとしたら、その女性の行動はシステム的なものであったと言えます。
逆に言えば、物語の登場人物たちは皆、物語を成立させるためのシステムとして行動しています。それにどんな理由付けが刺されているかにより、自然に見えたりシステム的に見えたりするのです。
システム的行動は悪いことではありません。システム的な行動がその人のキャラクターから外れて見える時こそ、どんな葛藤や心境の変化があったのかと解釈の余地がうまれ、我々拗らせは考察し、二次創作し、拗らせるのです。
なんの話かというと犬神家の一族を拗らせている話です。私が。青沼静馬を拗らせている話です。
私は何度も青沼静馬を理解しようとしました。でもできない。どうしてもできないのです。
青沼静馬はどんな人間だったのかを、私はどうしても理解できない。共感できなくてもいいのです。青沼静馬の動機が知りたい。人間性が知りたい。何を思って行動したのかを知りたい。
でも知ることはできません。青沼静馬は原作内において、一度も発言していない。彼の彼自身の発言はすべて伝聞であり、彼が発言したときには別の人物の皮を被っていた。極論をいうなら私は、青沼静馬の口調さえ知らないのです。
そもそも青沼静馬の情報は、少なく、しかし多い。そのために整合性が取れず余計に理解できなくなるのではないか。そう考えた私は、青沼静馬の行動をシステム的なものとそうでないものにわけることにしました。
ここで話がそもそもの犬神家の一族に変わりますが、犬神家の一族を複数回読んだことのある方ならおわかりでしょう。
犬神家の一族は遺産を巡る話ではありません。
遺言を巡る話でも、美しい一人の女性を巡る話でもありません。
確かに遺言=遺産=相続人の美女(以後遺産と表記)を巡って行動している人物もいるのですが、それは主要人物ではなく、ゆえに遺産の話はあくまでも副題です。
では主題は何か。
何を巡る話なのか。
犬神家の一族は、人の願望を映す犬神佐清という聖杯を巡る話です。
ネタバレなんてことは気にもせず、そもそも複数回見てるか一度も見てなくて見る気もない人にがっつり話しますが、犬神家の一族の主要人物は、主に、本当に主にすると、以下の四人です。
・犬神松子(殺人者)
・青沼静馬(事後共犯の主犯)
・野々宮珠世(ヒロイン)
・犬神佐兵衛(遺言を書いた人。諸悪の根源。ほとんどがそもそもこいつのせい)
犬神佐兵衛過激擁護派の方には申し訳ないのですが、老衰で死ぬまで丁寧に初恋拗らせ熟成するんじゃねえと思ってます。もっと手前で自己消化しろと思ってます。
ここに探偵金田一耕助と、被害者三人が加わって、話はほぼ完成します。そりゃそうです。謎は解かれなければミステリーじゃないし、被害者が死ななければ殺人事件じゃないです。
しかしここに、しかしここに、どうしても加えなければいけない人物がいます。
・犬神佐清(聖杯。または望みの鏡)
犬神佐清は主要人物四人の願いを映す鏡です。犬神家の一族とは、犬神佐清を自分の思う相手にしようとする犬神家の面々の姿を描いたものです。
これ本当にすごくネタバレですが、主要四人+佐清、全員犬神家の一族です。
・犬神松子(犬神佐兵衛の娘)
・青沼静馬(犬神佐兵衛の息子)
・野々宮珠世(犬神佐兵衛の孫)
・犬神佐兵衛(犬神家の始祖)
・犬神佐清(犬神佐兵衛の孫)
本当にまさしく犬神家の一族内で始まって終わってるんですよ、この話。佐兵衛の妻とか愛人とか、全員枠外です。もうここまでくると本当に、巻き込まれた若林弁護士めちゃくちゃ可哀想。
ではこの願望への欲求が強すぎる犬神家の面々、それぞれがどんな願望を犬神佐清に求めていたかという話です。ただここでは、いったん犬神佐兵衛を抜きます。冒頭で死ぬ佐兵衛の願望は、本編内での行動にはあまり反映されないからです。
残る三人が求めていたものは、以下の通りです。
・犬神松子:犬神家を手に入れるための息子
・青沼静馬:犬神佐清の立場
・野々宮珠世:恋人としての犬神佐清
松子の望みが「犬神家を手に入れるための息子」というのは、息子を犬神家当主にしたかったのとは少し違うからです。珠世が死んだ場合、青沼静馬は佐清の二倍の財産を手に入れる。それを許せなかったのは、「息子こそが正当な後継者」という思いからです。しかしそれを裏付けるのは「自分こそが犬神佐兵衛の長女」ということです。本来は自分が犬神佐兵衛の持つものを受け取るはず(ただし自分は女なので息子に継がれる)という感情こそが、松子の望みなのです。
そしてまた、それぞれに対応した時の犬神佐清の立場は以下の通りです。
・犬神松子:息子
・青沼静馬:共犯
・野々宮珠世:恋人
犬神佐清はこのすべての立場に従って行動します。犬神佐清大忙し。
でも犬神佐清はとっても優秀な聖杯なので、ちゃんとこれらの欲求を映して行動します。そのせいで、彼の行動は支離滅裂です。
・自分の偽物がいると知ってこっそり家に帰り
・母親が犯人なのをばらされないために事後共犯を手伝い
・静馬の正体がバレないように手伝い
・珠世の悲鳴に駆け付けようとし
・静馬の指示に従い身を隠し
・ヒロインが襲われかけるのを助け
・また事後共犯を手伝い
・逃げてたら自分の偽物が死んだと知ってこっそり家に帰り
・ヒロインを襲って首を締め
・自殺しようとして失敗
・最後に全部を語り
・珠世と結婚する
自主性の欠片もない。
当然です。仕方ないのです。彼は、人の願望に従って動く聖杯なのです。
そもそもお前が自分の偽物許容してたら、ヒロインはそいつと結婚するんだぞとか突っ込んではいけないのです。母親も違うやつを息子と呼んでるんだぞとか、突っ込んではいけないのです。
聖杯なので。または望みを映す鏡なので。
彼はどこまでも、他人の望む姿を映します。そのため前述の各行動は、犬神佐清がどの人物に対する立場として行動したかによって分けられます。
・自分の偽物がいると知ってこっそり家に帰り (青沼静馬の共犯)
・母親が犯人なのをばらされないために事後共犯を手伝い (松子の息子+静馬の共犯)
・静馬の正体がバレないように手伝い (共犯)
・珠世の悲鳴に駆け付けようとし (珠世の恋人)
・静馬の指示に従い身を隠し (共犯)
・ヒロインが襲われかけるのを助け (恋人)
・また事後共犯を手伝い (息子+共犯)
・逃げてたら自分の偽物が死んだと知ってこっそり家に帰り (息子)
・ヒロインを襲って首を締め (息子)
・自殺しようとして失敗 (?)
・最後に全部を語り (恋人)
・珠世と結婚する (恋人)
恋人として行動したり息子として行動したり共犯として行動したりするから、支離滅裂に見えるんですよ……自殺しようとして失敗については、そここそ金田一耕助の干渉パワーかもしれないです。唯一。
なお、ヒロインの首を絞めた件については、がっつり跡が残るほど絞めてます。
あとここまで散々恋人と表現してきましたが、犬神佐清と野々宮珠世は付き合ってません。将来の約束もしてません。さらに言うと、珠世が佐清に恋をしていた描写はありますが、佐清が珠世に恋をしていた描写は特にありません。ただし最後には珠世が勝ったので、見事珠世の恋人となります。
こんな犬神佐清のシステマチックとも言える行動ですが、システム表現としても無理がありますよね。ええ、あります。なんで戻ってヒロインの首を絞めるんだということ、何度だって誰だって疑問ですよね。まったくです。あれは単に、「逃げる」という共犯行動が、静馬の死亡により消滅したからなんですよ。殺害時に静馬を殺した松子の願望が上書きされ、「犬神家に戻る」になったんです。ではなぜ首を絞めたかというとここで難しいのが、「息子」という立場と松子の願望が一致しないことです。松子は「佐清が犬神家を相続する」が目的なのですが、「息子の犬神佐清」は「息子として母をかばう」を行動してしまうんです。
松子の願望である犬神家の相続は佐清一人では達成不可能なので、「犬神家に戻る」のあとの「犬神家を相続する」は不達成となり、時点の「母をかばう」が選択されてしまうんですね。わけわからないでしょ。私も言っててどうかと思います。
でもこの論法でもないと、本当に説明付かないですよ。いっそゲームシステムかな?ってくらい、この論法で動くんですよね、この人。
そんなゲームシステム男、犬神佐清。一番重い願望も背負わされてます。
・犬神佐兵衛:初恋の人と結婚する自分
佐兵衛の初恋の人は野々宮春世です。しかし佐兵衛は、春世と結婚することができませんでした。
そんな佐兵衛ですが、珠世という春世の孫を手元に置くことができました。
そこに存在する、若かりし頃の自分と瓜二つの孫、佐清。
珠世はどうやら佐清を好いているらしい。
この二人を結婚させよう。結婚できなかった自分と春世の代わりに。
これが佐兵衛の動機です。なんなら自殺失敗はもしかしたら、佐兵衛の願望の投影によるものかもしれません。結婚したもらうには、死なれては困るから。
これだけ話してまだ青沼静馬にたどり着けない。
さてこうしてゲームシステム的に考えると納得できる犬神佐清の行動ですが、これに習って青沼静馬の行動も整理してみます。できるだけ簡潔に。さらについでに、それが物語システムに関わる行動、すなわち物語の成立上どうしても必要か、またはキャラクター付けされた願望に基づいたものか、それ以外かで分類します。
この際、そもそもその願望を抱くことがシステム上必要ということには目を瞑ります。
・犬神佐清になり替わろうと決める (願望)
・犬神佐清を脅して事後共犯になる (願望)
・事後共犯内容で斧琴菊の呪いを示す (システム???)
・佐清を脅して入れ替わる (願望)
・珠世の部屋で金時計を探す (願望)
・菊乃との接触 (???)
・珠世との結婚を拒む (システム)
この野郎、通りでお前を理解できないわけだよ。
なお、事後共犯になることが成り代わりに必要なのかという話ですが、松子が捕まると脅しが効果を失うので、一応必要です。ただし見立てにする必要は願望的にはないので、ここでもう願望からずれてます。むしろそんなことをしたために、青沼菊乃か静馬が関わってるという証拠になりました。
願望とシステムは物語上必要なものです。この二つがないと、話しが成立しません。
しかしここで、呪いに(システム???)としたのには理由があります。
物語の構成上として、見立て殺人という物語のためには必要ですが、殺人事件の話として成り立たせるのには見立ては不必要だからです。
そしてもう一つの(???)である菊乃との接触。これは完全に不必要です。このエピソードを抜いてもなんの問題もなく話は成り立ちます。
であれば、逆にこの部分にこそシステムに支配されていない青沼静馬がいるのではないか。
つまり、青沼菊乃の存在は、青沼静馬にとってとても大きかったのではないか。
しかし菊乃は静馬の実母とはいえそれまでの交流はほぼありません。数年に一度会っていただけですし、親戚と名乗ってました。
菊乃が母であると明かしたのは、静馬が戦地に赴く寸前です。そしてそこで菊乃は、母の名乗りとともに静馬の出生の秘密、三人姉妹への呪いを話します。
もう一度言います。
戦地に赴く息子に、三人姉妹への呪いを告げます。
おそらく、微に入り細に入り。
私はこの部分、呪いのことを静馬が知っているためのシステムだと思ってたのですが、菊乃の存在がキーだったとすると話が変わります。
ここで青沼静馬は菊乃の呪いを受け継いだのではないか?
ではもしも、静馬も願望を映す鏡だったなら?
青沼菊乃の願望:犬神家の一族を継ぐはずだった息子としての静馬
青沼菊乃に対する静馬の立場:息子(母の無念の呪いを引き継ぐ息子)
青沼菊乃の犬神家の一族としての立場:犬神佐兵衛の愛人
ここで静馬の行動を振り返ります。
・犬神佐清になり替わろうと決める (菊乃の願望)
・犬神佐清を脅して事後共犯になる (菊乃の願望)
・事後共犯内容で斧琴菊の呪いを示す (菊乃の息子)
・佐清を脅して入れ替わる (菊乃の願望)
・珠世の部屋で金時計を探す (菊乃の願望)
・菊乃との接触 (菊乃の息子)
・珠世との結婚を拒む (システム)
話しが通ってきました。
では最後のシステム、珠世との結婚を拒むのは?
ここでいう珠世は、犬神佐兵衛の願望下において春世です。
そして佐兵衛の願望の根本は、「春世と結婚する自分」、「春世の身代わりと自分の身代わりが結婚すること」。珠世と静馬の結婚でも、達成されます。佐兵衛に近親相姦にたいする禁忌がない場合ですが。
しかしその佐兵衛の願望の達成を許容できない可能性のある人物がいます。もうお分かりですね。
青沼菊乃:犬神佐兵衛の愛人
犬神佐兵衛の愛人としての菊乃にとって、佐兵衛が初恋の人と結婚することは望むことではありません。
では、こうなるのでは?
・珠世との結婚を拒む (菊乃の立場に基づく不受理)
青沼静馬は、青沼菊乃支配されています。
今これ、ぶっつけで書いたのでこんな結論になって泣いてます。
私の推しは願望達成器でした。嘘でしょ。
でもそれで、話は通じます。青沼菊乃の息子としてずっと行動していたのなら、青沼静馬の行動はすべて簡単に説明が付きます。だとしたらそれが正しいのです。
犬神家の一族は、犬神佐清という願望達成器を巡る話であり、青沼静馬という願望達成器が敗北して消え去る話です。
ああ、それで、つまり。
犬神佐清に向けられた願望をもう一度、今度は犬神佐清に求める姿の点で整理します。
・犬神松子:犬神家を継いだ犬神佐清
・犬神珠世:恋人としての犬神佐清
・犬神佐兵衛:自分の身代わりとして珠世と結婚する犬神佐清
この三人は犬神佐清に対して望む姿があった。たいして青沼静馬は、犬神佐清になろうとしてた。
願望達成器になろうとするものは、願望達成器でしかありえなかった。
犬神佐清は優秀な聖杯でした。向けられた願望のすべてを叶えた。
出来損ないの聖杯だった青沼静馬は、本物の聖杯になろうとしたのになれなかった。
私の推しはできそこないの聖杯でした。
神よ。今は彼の魂が安らかならんことを。