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BUMP OF CHICKEN試論#001_ガラスのブルース(1)

◆作品の概要


BOC試論の1曲目は「ガラスのブルース」だ。
BUMPの最初期につくられた作品のひとつで、バンドのアンセム(代表曲、代名詞)といっていい楽曲である。

インディーズ時代のBUMPはこの曲を引っ提げて各地の大会にエントリーしている。彼らにとっては、その手に馴染んだ剣であり盾でもあるような、思い入れの深い楽曲なのだと思う。この曲は後に「28 years round」と題されたアコースティック・ヴァージョンが収録されている(「メーデー」のカップリングである)。こちらのヴァージョンもとても格好いいので、まだお聴きでない方は是非。

それでは早速、歌詞を確認していこう。第1回目なので、丁寧に。


◆歌詞の確認

ガラスの眼をした猫は歌うよ/大きな声で/りんりんと
ガラスの眼をした猫は歌うよ/風に髭を揺らし/りんりんと
声が枯れたなら川に行こう/水に映る顔を舐めてやろう
昨日よりましな飯が食えたなら/今日はいい日だったと
空を見上げて/笑い飛ばしてやる
あぁ/僕はいつも/精一杯/唄を歌う
あぁ/僕はいつも/力強く/生きているよ

BUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」作詞・作曲:藤原基央

登場するのは「ガラスの眼」をした「猫」である。「りんりん」と歌う猫である。
「昨日よりましな飯」にありつけたなら「今日はいい日」なのだから、彼は恐らく飼い猫ではなく野良猫なのだろう。
決まった住処を持たない、決まった時間に決まった餌を食べることもない。そんな野良猫が、それでも「空を見上げて」「笑い飛ばす」ように、「精一杯」歌うのである。

容易に情景を思い浮かべることができる、素朴と言ってもいいシンプルな歌詞である。誰が読んでも「誤読」しようのない、平易で、それゆえに力強い文章であるように思える。
だが、果たして本当にそうだろうか? 
続きを見てみよう。

ガラスの眼をした猫は歌うよ/お腹が空いても/りんりんと
ガラスの眼をした猫は歌うよ/生きてる証拠を/りんりんと
ガラスの眼をした猫は叫ぶよ/短い命を/りんりんと
ガラスの眼をした猫は叫ぶよ/大切な今を/りんりんと
生まれてきたことに意味があるのさ
一秒も無駄にしちゃいけないよ
嵐が来ようが雨が降ろうが/いつでも全力で
空を見上げて/笑い飛ばしてやる
あぁ/僕はいつか/空にきらめく/星になる
あぁ/その日まで/精一杯/唄を歌う

BUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」作詞・作曲:藤原基央

彼が歌うのは「生きている証拠」であり、彼が叫ぶのは「短い命」「大切な今」である。「ガラスの眼をした猫」にとって、歌うという行為は生きることそのものなのだ。
彼は、野良猫である自分がそう長くは生きられないことをわかっているのかもしれない(「短い命」)。だからこそ、「星になる」「その日まで」「1秒も無駄に」せず「精一杯」「唄を歌う」のだ。

(中略)
ガラスの眼をもつ猫は星になったよ/大きな声も止まったよ
命のかけらも燃やし尽くしてしまったね/得意のブルースも聴けないね
だけどお前のそのブルースは/皆の心の中に刻まれた
これから辛いことがもしあったなら/皆は歌いだす
ガラスの眼をもつ猫を思い出して/空を見上げて/ガラスのブルースを
あぁ/僕はいつも/精一杯/唄を歌う
(略)

BUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」作詞・作曲:藤原基央

とうとう猫は「星になっ」てしまった。「命のかけら」を「燃やし尽くしてしまった」猫の「得意のブルース」を、もう聴くことはできない。
しかしその歌は「皆の心の中に刻まれ」、「辛いこと」があるたびに皆は「空を見上げ」て「ガラスのブルース」を歌うのである。曲名である「ガラスのブルース」とは、「ガラスの眼をもつ猫」が歌う唄だったのだ。


◆ここまでのまとめ

この曲は、「ガラスの眼を持つ」「精一杯」「唄を歌う」野良猫の短い一生を描いている。猫は物質的に貧しい暮らしを送っているが、それを「笑い飛ば」して唄を歌う。猫は死んでしまうけれど、猫の唄=「ガラスのブルース」を「皆」は覚えていて、苦難に出会うたびにそれを思い出して歌うのである。

うん、実に明快である。というより、ちょっと明快過ぎる。
辛くても頑張ろう、笑顔で唄を歌っていれば、周りの人々にもそれが伝わっていくんだ。自分が死んだあとも「唄」として自分の存在は残るんだ。
これが本作品のメッセージである、と言われたら全否定はできないし、実際にこの曲から逆境に負けずに生きる勇気をもらった(もらっている)リスナーもいるのかもしれない。

確かに、このワーディングと物語(そして、サウンドの)のシンプルさが、最初期作品である『ガラスのブルース』の持ち味であることは否めない。
そのことを僕は否定しない。BUMPの全作品の中でも随一のこの「わかりやすさ」「キャッチ―さ」が、本作の最大の特徴のひとつであることは確かである。

でも、それがすべてではない、と信じたい。
というより、そう信じるからこそ僕は「BOC試論」なんてものを(誰にも頼まれていないのに、勝手に、読んでもらえるかもわからないのに)書き始めたのである。

BUMPの曲に、「わかりやすい」ものなどひとつとして存在しない。『ガラスのブルース』とて、例外ではない。

何度聴いても「よくわからない」のが、BUMPの基本である。
だからこそ僕(僕ら)は何年も飽きずに、歌詞もメロディも覚えてしまっているのに、まるで敬虔な信徒が聖なる章句を幾度も読み返すように、同じ曲を聴いてこられたのではなかったか。


◆「放置」された謎

そう、謎は残っている。
なぜ「猫」は「ガラスの眼」を持っていなくてはならないのか?
なぜ「死んだ」ではなく「星になった」と書いているのか?

そして、このテクスト(歌詞)で最も重要な部分を、僕はここまで意図的に読み飛ばしてきた。これが、それである。

声が枯れたなら川に行こう/水に映る顔を舐めてやろう

BUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」作詞・作曲:藤原基央

意外に思われるかもしれないが、この、つい聞き飛ばしてしまいそうな短いフレーズこそが「ガラスのブルース」の核心である。

【BOC試論#000:はじめに】において、僕はこう書いた。
あらゆるアーティストの本質は、その初期作品に既に内在している」と。

そう、この短いフレーズに埋め込まれたテーゼを、重要で執拗なモチーフを、BUMPは現在でも繰り返し歌い続けているのである。

次回はこれらの残された謎について考えていく。

お読みいただき、ありがとうございました。

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