BUMP OF CHICKEN試論#000_はじめに:妄想する権利
◆自己紹介
みなさんこんにちは。
第二宇宙速度(だいにうちゅうそくど)と申します。
このアカウントでは、ロックバンド・BUMP OF CHICKENの音楽、とりわけその歌詞について僕が考えたことを書いていきたいと思います。
タイトルは「BUMP OF CHICKEN試論(BOC試論)」です。
僕はBUMPの結成年である1996年に生まれました。
つまり、自分の年齢がBUMPの活動年数に一致するのです。
(※BUMPのバンド結成日は1996年2月11日です)
自分が生きた分だけBUMPも生きてきた。このささやかな偶然を、BUMPのファンである僕はとても大切に抱えています。
僕が初めてBUMPの音楽に触れたのは、たしか中学1年か2年の頃でした。
経緯はさっぱり覚えていませんが、ある日、同じクラスの誰かが『天体観測』と『カルマ』の音源を貸してくれたのです。
僕は音楽を聴く習慣のない少年でした。
流行りの曲も知らなければ、カラオケに行ったこともない。
しかしその日、部活(バスケ部でした)を終えて家に帰り、普段使うことのないパソコンに音源とイヤフォンを突っ込んだ僕は、『天体観測』を聴いて、完全に打ちのめされることになります。
音楽、どころか殆どの物事についてなんの知識もない当時の僕に、曲の良し悪しを冷静に、客観的に判定することなどできる筈がありません。
にもかかわらず、「この曲にはただごとではない何かがある」とわかった。
この曲の宛先は、他でもない自分である。これは僕のための曲である。
だからこの人たちの、たった今はじめて知ったばかりの知らない人たちの音楽を、僕はなんとしても理解しなくてはならない。
そんな、あまりにも個人的で一方的な確信(というより思い込み)に貫かれて、僕は今日までBUMPの音楽を聴いてきました。
新曲が出れば、細部を完全に覚えるまで何度も聴きこみ、歌詞を読み返し、風呂場で口ずさみ(迷惑)、果ては修行僧の写経のごとく歌詞をノートに書き連ねる。僕はそういう少年であり、青年であり、大人(?)なんです。
◆ファンとは「妄想する者」のことである
「これは自分のための作品だ」と多くの人々に「錯覚=妄想」させることのできるアーティストのことを、僕らは「天才」と呼びます。
そうです。すべてのファンには、「妄想する権利」があります。
「妄想」という言葉が強すぎるなら、「考えすぎ」と言い換えてもいい。「深読み」でもいい。なんなら「勘違い」でも「誤解」でもいいかもしれない。
あるアーティストの作品から、その作者の意識や意図や作為を越えたものを勝手に受け取り、解釈し、自らの糧とする権利が、僕らにはある。
「いや、別にそんなつもりで作ってないけど」と彼らは言うかもしれない。
アーティストの狙い以上のメッセージをその作品に読みこむことは非礼であり、節度を欠いた態度である。そう考える人もいるかもしれない。
しかし僕はそうは考えません。
狙い通りの意図だけを正しく伝えるための貧相なメディアを、僕は芸術とは認めません。
だって、確固たる「狙い通りの意図」を発信するだけならば、それは詩や音楽や小説や絵画といった形をとる必要がないじゃないですか。
僕がこれからやろうとしているのは、この身勝手な「妄想」であり「深読み」を言語化することです。
BUMPは一体何を歌っているのか、どこに歌っているのか。
少年だった僕のとろい脳髄をかけめぐったあの稲妻の正体は何なのか。
それを探すのが、このアカウントの理由です。
◆「逃げるもの」を掴む
しかし困ったことに、僕には音楽のことはさっぱりわからない。
コード進行とか和音とかスケールとか、そういう音楽理論の知識もなければ、ロックやポップスの歴史に関する教養もない。「邦ロック史におけるBUMPの位置づけと影響」とか、そんな類のトピックについて論じられるわけもない。
僕にあるのは、BUMPの曲を聴いてきた時間と、あとは平凡な日本語の読み書き能力くらいのものです。
だから、僕が足がかりとするのは、徹底的に「歌詞」です。
サウンドやメロディではなく、言葉の次元で勝負をしたい(というより、そうするしかない)。
それ以外の材料も勿論参照したいと思いますが、あくまで参考程度にとどめようと思います。それは、メンバー自身のインタビューにおける発言等についても同様です。
勿論、メンバーの発言を軽視しているわけではないですし、それはきっと真実の言葉なのでしょう。実際、僕もインタビュー記事を楽しく読んでますしね。
でも、たぶんBUMP自身だってBUMPの音楽のことを完全には理解できていないと思うんです。
作品における作者の位置は、全能の神ではありません。
きっとBUMP自身、「うーん、なんでこの曲はこうなったんだっけ」と首を傾げることだって(たまには)あるでしょう。
目論みから「逃げる」もの。作り手の掌から砂のように零れ落ちてしまうもの。そういう芳醇な余剰を、僕は掴んでみたい。「こういう考え方もできるよね」というアイデアを拾いあげてみたいのです。
さて、ここまでずいぶん生意気なことを書いてしまいましたが、この段階で僕に明確な立論のプランや有力な仮説があるわけではありません。頭にあるのは、ぼやぼやとした星雲のような、アイデア未満の混沌だけです。
そこで手始めに、初期の楽曲の歌詞について考え、そこからBUMPの鍵となるモチーフのいくつかを探したいと思います。あらゆるアーティストの本質は、その初期作品に既に内在している、というのが僕の持論(偏見)だからです。
それでは、前置きはここまで。
次回から、BOC試論を書いていきたいと思います。
最初に俎上にあげるのは『ガラスのブルース』です。
とりあえず、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
noteの作法などわからないままに書いてしまいました。
このnoteというプラットフォームにも、BUMPのファンは沢山いらっしゃると思います。みなさんの文章を、僕も楽しく、真剣に拝読しています。
「BOC試論」、ぜひお読みいただけると嬉しいです。