ほのぼのエッセイ第14回 たけのこについて
僕の生まれである京都の大原野地域は、たけのこが名産であった。街のところどころに竹藪が鬱蒼としていた。その真ん中に溜池やクヌギの大木などがあり、魚釣りやカブトムシをとりに子供のころはよくでかけた。「たけにょん」というゆるキャラもいた。竹に目鼻口をそのままつけたみたいなキャラクターだった。地域おこしに行政が作ったのだ。
くまもんとかひこにゃんみたいな丸々とした可愛げはあまりなかった。頭にはトゲが3本くらい生えていて(多分、竹の葉をイメージしたものと思われる)かくかくしたゆるキャラであった。ゆるキャラ独特のデーンとしたいい意味で図々しい感じというか、人に物もらっても礼を言わなそうな目みたいな感じがなかった。(くまもんやひこにゃんにはそれがあると思う)なんというか、普段ジャージしか着てない兄ちゃんが他所行きの格好をしようとして鎖、はだけた胸、白のジーンズなどビジュアル系っぽくなるみたいな感じに似ていた。(かくゆう僕もそうだったかもしれない‥)目は媚びるようにうるうるしており、かわいさとあざとさを履き違えている気がした。だから、ネットでバズり大原野に人が波のように訪れるようなゆるキャラドリーミンは当然起こらなかった。
そんな竹ぐらいしか自慢になることがない街(後は星綺麗だったのに高速ができて、あんまり見えないようになった。許せん)に、でもお得な恩恵があった。
大学生になり僕が車の免許を取ると、毎月5月、このエッセイ読んでる人にはお馴染みのずんだ餅の軽自動車で、山の方に駆り出された。ばあちゃんとおかんを乗せて。さながら万引き家族のような気分であった。
願徳寺という如意輪観音像というけっこう徳のたかい仏像を置いているお寺に向かう道、カーブになっているところに影があった。そこが狙い目であった。
おかんが車から降りる。「人来てへんかどうか見といてな」と僕とおばばに指示する。僕とおばばは周囲を見渡す。人が突然来ても怪しまれないように、別に何もありませんよという自然な感じを意識しながら。おかんが斜面の方に行く。散歩のじいさんが通る。「いやもう、すっかり暑なってぇ」としらこい京都弁で間をつなぐ。散歩のじいさんがほぐほぐなにか意が通らないことを言いながら通りすぎる。見えなくなる。おかんは、ポケットからさっと鎌とビニール袋を取り出した。獲物を見つけたようだ。おかんは、かがみ込み鎌をガッガッと叩きつける。次第にその速度がはやくなり20回くらい叩きつけたそのあと。鎌を置き、ビニール袋をかぶせる。そして、北欧の女殺し屋がターゲットの首にとどめをさすようなようなボキッという音が聞こえたら、静寂が訪れた。風がそよそよして、竹藪を揺らした。波みたいな音が静かだった。おかんが小便終わった後の猫みたいな興奮した感じでそわそわしながら意気揚々と車に帰ってくる。
「でかいのとれたわ」とビニール袋の中を見たら50センチ大くらいのたけのこがそこにはあった。おかんの膝は泥だらけだった。たけのこの根もどろだらけだった。その後、何事もなかったように車でそこを後にした。
5月になると、たけのこがうちの食卓に大量にならぶ理由はこれだったのか、と大学の時に気づいた。竹藪の敷地外に生えたいわゆるど根性たけのこを獲っていたのだ。高校の時は、おばばやおかんがたけのこを「密猟」している時に僕は野球をやっていたから気づかなかった。おかんとおばばの間でも、うしろめたさなどあったのだろうか。あまり語られていなかった。だが、僕が免許を取った瞬間、僕もそのグループの一員となり5月になるとたけのこ狩りに参加せざるおえなくなった。おかんが免許をはやくとれとれと言っていたのはこれが理由だったのだ。僕の人生の豊かさではなく、たけのこ狩りの戦力として勘定し、そう言っていたのである…。
家に帰るとおばばは、大鍋を出して大量の水とたけのこをぶち込み煮たてた。アク抜きのためである。そこには、米ヌカも一緒に入れていた。米ヌカは近くの精米所で無料で大量に入手することができる。精米器の横に米ヌカを貯蔵するタンクみたいなところがあり、下のレバーみたいなところガインガインと引くと大量に出てきた。たけのこも米ヌカも無料である。ニュータウンの自給自足。これが自然と共存したスローライフか…。というと聞こえがいいが、よく考えるとただ貧乏くさいだけである。米ぬかは、肥料にも用いられ団地の周りの花にも活用した。おばばそれで毎秋きれいなコスモスの花を咲かせていた。
5月のたけのこは、淡竹とよばれるもので、淡白だがえぐみが少なく食べやすい物であった。(スーパーなどに出回っているのは孟宗竹と呼ばれる物で味が淡竹より濃い)おばばはそれを煮干し出汁と鶏肉と大量の醤油と酒と砂糖で煮ていた。淡竹はそもそもの味が少ない分、出汁がよく染みていい味になっていた。鶏肉の脂ともいい感じにマッチしていた。ご飯を何杯でも食べることができた。
今でも、5月になるとおばばがたけのこと鶏の煮物をタッパーにいれて、送ってくる。東京には竹藪はあまりない。ああ、これはあの土地でしか味わえないものだったんだなと懐かしくなって、でもそれ以外はあんまなんもなかったよなーとも思ったりしながら、ご飯をたくさん食べるのが常である。
※敷地外のたけのこを獲るのは民法上OKだそうです。たけのこは根に属するからだそう。逆に竹を切るのはNGらしいです。この辺、文章の演出上ちょっとグレーっぽく書いてますが、悪しからず。家族ぐるみで貧乏くさくて意地汚いことしてるというのは理解しております…。