ほのぼのエッセイ第8回 バスケットボールについて
高校まで、野球をやっていた。小学校で1年間、高校でも1年間やめる時があっても、一応高校球児の最後まで10年間くらいやってきた。就職して社会人になってから、「高校まで野球やってたんです」というと、思いのほか受けがよかったりする。特におじさん連中には。詳細を聞かれずとも「そうか、じゃあ結構本気でがんばったんだね」と言われる。僕の高校は、万年一回戦負けの弱小校なのにだ。学歴でいう、大卒に近いかもしれない。体育会系の人にとって、元高校球児というのは、それなりのブランドなのだ。
ただ、僕が野球というスポーツにそこまですごくいい印象があるかというとそうでもない。瞬発系の速筋を多く使うスポーツなのに、アホみたいに持久走をやらされてあまり必要のない心肺機能を高めるという、非科学的トレーニングをやらされまくった過去があったりして、野球という文化そのものに猜疑心があるからかもしれない。
やるのも見るのも今でもするが、それは昔からやってたから人並み以上の知識、技術をもっているから、うまくいく保証があるから暇つぶしにやったり見たりするのであって、それは結構代替可能なのだ。もし、僕が幼少期からピアノを習っていたら、暇な時近くの街ピアノでポロポロとショパンでも弾いて衆目を浴びてるかもしれない。そっちの方がかっこよくておしゃれだなと思う。スローカーブが投げれるより、ショパンが弾ける方がなんかかっこよくないでしょうか。その辺は、美意識なので人によるとは思いますが。
僕は、小学校5年生のころ、少年野球を一度やめた。理由は、いろいろある。とにかく長時間(練習は土日に午前8時から午後6時まで1日中みっちりあった)拘束されるのが嫌だったのがある。し、練習もコーチの機嫌で決められたりして楽しくなかったり、保護者同士で子供の能力を比べ合ったりなど気分が悪かったり、もうほんと全部が嫌だった。やめたいって泣きじゃくったら、もうそこまで嫌ならしゃーないと辞めさせてくれた。
で、家でエロサイトを見たり、ポケモンルビーサファイアをやったり、寝たり、釣りに行ったりなどして暮らしていたら親から生活態度が弛んどると言われて6年生には結局また少年野球にぶちこまれた。体が大きかったから打球が遠くに飛んだり速い球が投げられたりして、注目されてうれしかったこともあるけど、大人の道楽に付き合ってんなという気持ちは大いにあった。
小5のころ。僕は、エロサイトをみて、ゲームをして、釣りをしてを繰り返して生活はしていた。が、もう一つ熱中しているものがあった。それがバスケットボールだった。(以下、バスケ)
なぜはまったのかというと、そのころ『あひるの空』という少年マガジンの漫画が先輩の間で流行っていた。お兄ちゃん子だった僕は、その漫画を読み、影響を受け、バスケがしたくなった。『あひるの空』は、高校バスケの漫画だった。不良の溜まり場のバスケ部を背が小さい3Pシューターの主人公がやる気にさせ、バスケや部活を通して部員たちが成長したり、挫折したりを描く物語だ。と書くとありがちに聞こえるが、敗北を重ねたり、部活をやめる人を丁寧に描いたりするなど、いわゆる“リアリティ“のある描写がその作品の売りだった。また、バンプやピロウズなどロキノン系バンドの歌詞が引用されるなども特徴である。小学校高学年の僕にとって、『あひるの空』を読むことは、リアリティやサブカルを同級生より先取りして、片足を突っ込むようなませた体験だった。(そして僕はマガジン派になって、ジャンプ作品から距離を置くようになる。マガジン派のコンプレックスについてはまた書きます)
誕生日に親に安いゴムのボールを買ってもらった。僕は、そのボールを使って放課後や夏休みずっと運動場のバスケゴールでシューティングの練習をしていた。『あひるの空』の主人公車谷空が、毎日1000本シュートをするのを真似て、僕もやった。
バスケのシュートが好きだった。バスケのシュートは、力の解放よりも制御に重きを置く。野球ではとかく、ボールを遠くに飛ばすこと、速い球を投げることなど前者に重きが置かれがちだ。しかし、バスケのシュートは違う。いかに正確にリングにボールを通すかが、重要である。体の大きさや筋肉量はあまり関係ない。(ゴール下はまた違いますが)
僕はその感覚が好きだった。3Pのラインまで下がって、ボールにバックスピンをかけて飛ばす。力感がちょうどよく伝わったボールは美しい半月状の弧を描く。強すぎても、弱すぎてもダメなのだ。そして、リングにノータッチで決まったシュートはスパッという小気味いい音を立てる。落ちたボールがダムダムと音を立てて、バックスピンで僕の手元に返ってくる。ああ、無情。夕焼けがバックボードに当たって、いい感じにオレンジだった。
どれだけ体が大きく、どれだけ強く出力できるかを小1から比べ合ってきた僕にとって、バスケのシュートという行為は癒しだった。スポーツの中にある反スポーツ的な、チルがあった。力を思いっきりぶつけるだけじゃない、ちょうどいいという行為。僕は、バスケがうまくなりたくてシューティングを続けたのではなかった。ただ、快楽でやめられなかったのだ。何にも属してない、何も意味がない行為だったとは思う。
小6のころ、学校には月曜にクラブと水曜に部活のふたつがあった。クラブは強制で、部活は任意でやりたい人は入っていいよという感じだった。
クラブは、バスケクラブの人気が高く、抽選で将棋クラブに回されることになった。部活は、スポーツ少年団に属している人はあまりしなかったが、僕は迷わずバスケ部に入った。
そして、月曜日はおじさんと「なんやこんなん相手ならんがな」と文句たれられながら将棋をする。(ルールも何も知らない小学生にこう言えるおじさんたちはやばかったと思う)水曜日は、うおおとバスケをする。木曜、土日は少年野球の練習、試合をするというなかなか忙しい毎日ができあがった。
水曜が僕にとって天国だった。いっつも待ち遠しかった。友達のピアソンくんという白人とハーフの子とよく1on1をした。どっちも下手だったけど、本気でやりあって楽しかった。バスケ部の顧問が大学までバスケをしていためっちゃうまい人で、よく二人で立ち向かっていった。もちろん負けてばかりだけど。
3on3など下級生を交えての試合も楽しかった。パスの楽しさに気づいた。パスの受けてが動く、2、3歩前にパスを出す。すると、スムーズにドリブルやシュートに移行できる。パスは、人にではなくスペースを読んで出すものだと知った。自分が出したパスがゴールにつながった時、点と点がバチッと繋がりあって流れができる嬉しさがあった。これも野球では、味わえないものだった。野球は基本1対1のタイマンが肝のスポーツだ。コミュニケーションの遮断。相手に打ち勝つこと。もちろん、これにもこれのスリリングがある。それが恋しい時もある。でも、その時の僕はコート上で言葉を交えずコミュニケーションがとれた感じがとても気持ちよかった。多分、タイマンに疲れていたのだろう。「パスうまいなぁ」と顧問に褒められるのがとても嬉しかった。
卒業間際のある日、顧問が、部活終わりに僕とピアソンくんを呼んだ。「中学どうすんの?」と聞いてきた。「中学の顧問に結構ええのおるでと話はしてる」と言ってきた。僕は少年野球をやっていて、ピアソンくんはラグビーをやっていた。「いやぁ」と僕らは、言葉を濁した。正直、ほんとはバスケをやりたかった。でもなぜかその時、僕もピアソンも変に大人ぶって現実を見てる風という一番ガキの態度で、「いやあ、野球(ラグビー)があるんで」と言った。「ああ、そうかー」と顧問の先生は少し残念そうだった。そして僕は結局、中学も野球を続けた。
今、児童館で働いていてよく子供たちとバスケをする。それなりにできるので(別にうまいわけではない)「やってたんすか?」と聞かれる。「いやあ、野球部やった」と答える。週1でやってたとは言えない。「へえ」と子供は答える。そして、ゲームは続く、勝ち負けの意味が擦り切れるまで、点差など途中でほっぽりだして、ただゴールをリングに入れるという快楽のためだけにやる。そんな子供たちをみて、素直に好きなことを続けるのをみて、羨ましいなぁ、僕にもあの時これができたらなぁ、とちょっと思う。
今でも、『あひるの空』や『スラムダンク』を読んで、自分がもしバスケ部だったらを夢想する。(その時、僕のポジションはPGでイリュージョンのようなパスを連発しまくる)でも、それは夢想することしかできない。あの時ああだったらなあと思うことの一つである。