見出し画像

淡々とこなしてしまった弊害


私は仕事に対する熱量は高くないと思う。
お金を稼ぐ手段だと思っているから、好きなことでもないし、元々興味があったことでもない。

ただ今までの経験が、今の仕事でも活用できて、教えてもらったことを吸収してできることが増えていって、さらに色々なことを教えてもらえてできる事の幅が広がった。

淡々とハードルを超えてきたら、同じポジションの誰よりも色々な種類のハードルを超えていた感覚に近い。

教えてもらえることはありがたいことだと思うし、その人たちの意図や要望に応えることに努力していると思う。

だから興味・関心がこなしただけ高まることはないけど、多角的に捉えていくことができて仕事と仕事の繋がり、関連が見えてきて理解度が高まった。


取り組んでみて苦ではないこととか、苦手だと思ってることは把握しているけど、これ得意ですとか、こういうこともっとやりたいですとか言えるほどの熱量はない。


頑張り方が斜めな感じなのだろうとは思うけど、深く突き詰められるほどの興味・関心は今後もないだろうと思う。

広く浅く、基本的なところは満遍なくできる事が、日々飽きずに取り組めている要因だと思う。毛色が違いすぎて気分転換できている感じ、それが性に合っているのだと思う。

だからちょっと深めな内容の話をされると、どんな風に取り組むべきか、どんな風に頑張ればいいか分からなくなってくる。
教えてくださる方に対して、私はまだ「再現できるよう覚える事を頑張って、温度差を感じさせないように前向きな姿勢を取り続けることも頑張っている」状態だからだ。


最近この先を考えてしまい、今できる事の中から「どれかに絞って集中してほしい」となったら、途端にポンコツになるんだろうなと思った。

苦しくても、耐えようと思える待遇でもないから、踏ん張れないかもなと感じてる。

広く浅く…という今の業務は、今の会社でないとできないことでもないと思っている。

社内の風通しも悪いわけではない。私自身も仕事で関わる人に好きも嫌いも判断することもない。

ただ要求に対して、きちんと要求通りの結果をもって応え続けているけど、それを当たり前だと思われている。


だから「ここで頑張ろう」とまで思えないんだ。


そう思った所で日々のタスクは消えないし、代わりにやってくれる人もいない。
そんな中でもっともっとと要求は高まるし、それなりの努力をして、こなせるようになっている訳で、必要だから頑張っている。

自発的に頑張れる余力もないし、モチベーションもない。考え方によっては、私の意識を変えるタイミングなのかもしれない。



だからといってすぐに何かを変えられるわけでもないので、悩んでいることを隠しつつまた淡々とやっていこうと思う。
何で、どんな風に稼ぐのか、じっくり考えていきたい。


いいなと思ったら応援しよう!