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自分を大事にする②


夏バテと、苦手なことに取り組んだストレスで不調だった8月。


土日を勉強する日にしてしまったため、上手くストレスのコントロールができなかったのだと思う。

一区切りがついて、土日の予定をコントロールできるようになって嬉しくてたまらない。
苦手なこと、ストレスを感じることへの耐性は、一度心的な不調になってからかなり低くなってしまったと思う。

どういったものが負荷が高いと感じるのか、今回の体験で見直すこともできたし、やっぱり無理が効かないことも再確認できた。
今回の取り組み方が自分に合わなかったとも思うので、今後はどうしたら自分へのダメージが低い状態でできるのか考えておこうと思う。

無理して取り組むことでもないので、マイペースにやれればいいと思う。



悩んで、思い詰めた訳ではないけど弱音は吐けなかった。
多分これはあまり良くない事なのだと思う。

私は普段から不満があってもなかなか言葉にしないし、感情の話は進んでしない。

同僚や家族との普段の雑談や愚痴も、私の意見とか感情の話は二の次にしている節がある。
程度にもよるが、聞いていて気持ちがいいとは限らないし、「今、その重さの話は聞き流せないんだよな…」って時がある事を自覚しているから。

だからといって、不満を漠然と抱えているわけではないから、どうしても誰かに話さないと気が済まないレベルでない限り、セルフケアでことが済んでいるとも言える。

何をしているかと言われると、ひとまず感情を挟まずに対処法を何パターンか考えておき、不満を対処する。

今後も尾を引く不満については、感情について考える。何が不満・不快だったのか。
何をどうしたら円滑だったのか考える。
また、これは自分が誰かに話せば(報告や相談とか)解消できそうなのか、適切な「誰か」は対応してくれるのか考える。

正直ここまで自分の中で整理できていれば、重大なエラーになりそうな事でない限り、相談する必要性すら感じず、諦めがつく。
「当たり屋にやられた」くらいに思える。

適切な「誰か」がきちんと誰なのか理解できていても、対応してくれるかはまた別の話だし、この不満に労力を割く程の価値があるのか考えて、結果として改善活動が見られても割を食う可能性があるのであれば、現状維持でいいと思う。

人に対しての期待値が低ければ、不満に思うことも少なくて済むし、「当たり屋にやられた」と思っていれば保険をつけておくこともできる。
この保険はポジティブなもので言えば「自分の機嫌は、自分で取る」こと。

だからセルフケアでことが済む。
しかし、思い込みや偏見、考えが凝り固まってしまう可能性があるから、良い手段とは言えない。

人の愚痴とかは、共感はできても同調しないように気をつける。
適切に聞き流している体裁を取る。
ここまでしていても、視野が狭まっている人は巻き込もうとしてくる場合があるから。


至極面倒だと思ってしまう。
私の問題ではないものは抱えたくない。
よっぽど心を許している関係でない限り、厄介事に関わりたくない。

気持ちってその人自身のものだし、私は私の気持ちを理解して、共感や同調する事を求めていない。
一般的にはある程度の許容する姿勢を示すことが良いと思っているし、相手によってはそういう態度を取ることもある。

しかし私は本質的に、他者に対する期待は極端に低い自覚があるから白々しくなる。



冷たい人間である自覚もあるし、本当はこういう風に思っていることを近しい人間にも打ち明けたいとも思っていない。

私自身だけは、本当はこう思っていることに対して罪悪感を持ちたくない。
なんか色々あって、こうなった訳だし…(笑)
最適解でもないし、今後また変化するとは思うけど、「今の私」を大事にしたい。

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