死のうと思って潮の流れを計算して、生きてることが好きだ、そう実感した話
ライターとして、2017年から本格始動。
今となっては毎日楽しいけど、絶望して、自分に呆れて死のうかと考えたことがあった。
死を考えたのは、38歳の10月
東京に出てきて、5ヶ月目。
奈良の田舎から「一度くらいは都会に住んで働いてみたい」と親に大見栄きって出てきた。
否定しまくる父ちゃんに、兄ちゃんと母ちゃんが「まぁ好きにさせなよ(こいつ、すっげー大病したんだし)」って説得してくれたのに。
7ヶ月間無償で働いた会社に、社員として来ないかと言われたので東京進出してみたら、都会に住んでるかっこいいOLどころか・・・
○最初は時給1,000円のバイト
○その後、何の保証もなし月給20万円
○社員だと思ったらただの業務委託だったヨ
○一応週休2日らしいが、そんなの関係ねぇ365日24時間稼動。
○貯金削ってかろうじて生きる
○下の部屋の奴、蒸発した
○横の部屋の奴、借金の催促がすげえ
○前の部屋の奴、いつも扉オープンにしていて防犯意識ねぇ
そんなトーキョーシティLIFE。
で、財布落としてお金に困りましてね。
残高4,000円。
38歳、残高4,000円。(貯金ゼロ)
これが死を考えるきっかけになる。
何でこんなことになったのか
ライティングを学んだのは2014年。
その間、鳴かず飛ばずのライターとして細々活動し、2016年頃から仕事はもらえるようになったものの、記事一つ書くのに1ヶ月はかかるダメっぷり。
そんな中、一緒の起業塾で学んだお兄さんが
「僕もダメライターだったけど、ある会社でお世話になって稼げるようになったから、エス子、学びにこない?数ヶ月経てば稼げるようになるよ」
と言ってきたので、藁にもすがる想いでその会社に2016年7月から丁稚奉公に。
結果、だいぶ仕事が任されるようになってからも無償は続き、2016年10月〜2017年4月末まで7ヶ月間無償で働いた。
その時は一般企業に勤めていたので、9〜18時で勤めて家に帰ってきて20〜2時までライティングをしていたのだけど、その間、何億売り上げようが報酬は0円。
当時は地獄だと思ったけど、ライターとして成長したかったんだ、今となってはそう思う。
アメリカの心理学者、マズロー博士の理論である「マズローの5段階欲求」によると、人間は自己実現に向かって、絶えず成長する生き物だ、と定義がされている。
https://ferret-plus.com/5369より
もちろん、安心安全が担保された上で人は成長したいと思うのだけど。
7ヶ月間無償で働き、磨耗しきったわたしには、
「社員にならない?」=やっと金もらえる!!!
だったのだ。
これでやっと、お金がもらえる!安心安全が担保される!そう思った。
そんな最中、財布を落として残高4,000円。
38歳、金なし、男なし、ブラック企業勤務
生きてる価値あんのか、と思った。
街はハロウィン。
そんな中、大風邪引いてしまって、声は天龍源一郎。
会う人会う人に「その声!!!地声ですか!!!酒焼けですか!!!」
って聞かれまくるわたしは天龍源一郎ボイス。
ハロウィンは1日で魔法が解けるやん。
わたし、1ヶ月は天龍源一郎してたからな。
トーキョーシティLIFE、魔法の効き目なげえ。
で、お金ないから1日バイトの面接に行くわけ。
「風邪が治ったらきてください!!」
って断られるわけ。
今、困ってるねん!!!!
38歳、金なし、男なし、ブラック企業勤務
もう、死んだ方がいいんじゃね?
このまま奈良に帰っても恥さらし
(恥さらしが「さらし」になるほど立派なことはミリも成し遂げてない)
って思ったので、どうやって死のうか考える。
青酸カリなんて、まずは毒物劇物取扱責任者の資格を取るところからスタートだし。(手に入れるのがそもそも難しいだろ。)
電車に飛び込むのはちょっと原型がアレだし。
樹海で白骨になるのもねぇ。
「そういえば、保険金かけてたわ。
兄ちゃんを受取人にしてたわ。
兄ちゃんに残したいな。
いやでも、保険金って入ってからある程度経たないと、自殺だと出ないよな。
(火曜サスペンス劇場で得た知識)
確か行方不明届け出してから7年か9年か、一定期間経つと死亡が受理されるよな。
(火曜サスペンス劇場で得た知識)
これはあれか、海に飛び込んで自殺、でも死体は上がらないってやつしかない。
金髪の女が悲壮感漂わして、田舎の旅館に数日いて、そこから行方不明になればいいんじゃね?
(船越英一郎とかが出てくるやつ見すぎた結果)
よし!!!潮の流れで死体が上がらない海だ!!!!」
で、潮の流れを計算しようと思った。
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どうやって計算するんだろう?
農学部だからな。
その辺は専門外なんや、と気づく。
難しいことを考えるのを、一旦やめてみた
正直、磨耗し切っていたので難しいことを考えられなかった。
とりあえず、「今日1日を生きる方法」を考える。
そう思って「ご飯さえ食べられたら生きていける!よし!食べさせてくれそうな人をリストアップだ!!」
ってやったら、20名書けた。
20名に毎日ご飯たかっていったら、2ヶ月は生きれるなって思って。
生きることにした。
38歳。
大したことも成し遂げず。
ベートーベンは38歳の時、フランス軍の砲撃を避けながら音楽発表しているやん。
織田信長はその頃、比叡山延暦寺を焼き討ちしてるんやぞ。
もうわたしの心が砲撃受けてて焼き討ちされてる状態。
父ちゃん、母ちゃん、わたしの親孝行は「この世に誕生して元気に38年生きてることだけ」って思った。
昔からずっと大器晩成と言われてきたけど、わたしの晩成期はいつやねん。
もう過ぎたんじゃねーの。
そんな中、最近、生命線が異常に長いことが発覚した。
手相って90歳くらいまでしか分からないらしいのに、
わたし余裕で90歳は通過地点やねん。
高校のアルバムに、「夢はドラえもん誕生まで生きる」って書いたんだけど。
【2112年、ドラえもん誕生まで生き残った昭和生まれ】
って名前を残す気がしてきた。
マジ大器晩成。
やっぱ生きてるって最高だわ。
生きてるって好きだわ。
36歳の時、身体中、包帯とサラシを巻いていたわたしはキレイな肌で生きている。
生きてるのが不思議と言われた状態の時は「死なない気がする」って思ったのに、生きているのに「死のう」って思うなんて、人間って不思議な生き物。