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違う国に生きるわたしたち

今年の7月、映画「違国日記」を見に行ってきた。

▲出典:違国日記

漫画を読まずにいったんだけど、漫画を超える実写はぶっちゃけ難しいと思っているので、「映画がいい感じだったら漫画はもっといい感じ」と思っている。

で、実際、いい感じだった。
朝ちゃんの役の子が瑞々しくて、すごく心が温かくなった。

(ちなみに、ずっとタイトルの意味が分からなくて最近漫画を読んでやっと意味が分かった。)

主人公は2人。

人見知りな小説家
高代槙生(こうだい まきお)

姉の遺児
田汲朝(たくみ あさ)

少女小説家の高代槙生(35)は
姉夫婦の葬式で遺児の・朝(15)が
親戚間をたらい回しにされているのを
見過ごせず、勢いで引き取ることにした。

しかし姪を連れ帰ったものの、
翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動。
槙生は、誰かと暮らすのには不向きな
自分の性格を忘れていた……。

対する朝は、人見知りもなく
“大人らしくない大人”・槙生との暮らしを
物珍しくも素直に受け止めていく。

Amazonの違国日記1巻より

この人、別世界の人だなぁ

朝はよく槙生のことを「違う国にいる」って表現する。

でもこれって、わたしも人と接する中で「別世界の人だなぁ」と思うことがあるので、これが違国なんだよな。

理解できない、という意味のときもあるし、別世界に行ってるからこっちに帰ってくるの時間かかるな、のときもある。

違国なことを理解できないのは悪いことじゃなくて「あぁそういう世界もあるんだな」って感じ。

何か少しくらいは与えられてもいいじゃないか

朝は事故で両親を亡くし、叔母である槙生に引き取られているんだけど、これって傍から見たら「結構かわいそう」な状況。

で、本人もそう思っている。
こんなにかわいそうなのに、「自分には何もない」「何かあってよくない?」って嘆く。

これって、「こんなに苦労しているのにこんなに不幸なのに何も報われないなんておかしい!」って思うのと似てる。

こんなに不幸なんだから何か人より突出したものがあっても(優れたものがあっても)、神様のご褒美あってもよくない?っていう。

わたしはよく思ってた。
朝と同じく、「周りは色々もっているのに、わたしはないものが多いなぁ」と思うときはある。

今はだいぶなくなったけど。

ちょと前に「1億円もらえるのと20歳に戻れるので、20歳に戻らない人はいるのか?」みたいなXの投稿を見たけど、わたしは20歳に戻らなくていいから1億欲しい。

わたしは何て言いたいの?なんて言われたいの?

槙生のセリフの中で「何て言えば/言われればいいの?」というセリフもあってこれも共感の嵐。

放った言葉の反応が、思ったのと違ったとき「言葉の選択まちがえたかな」ってモヤモヤする。

でも逆に、言われた言葉に納得がいかなかったとき、「わたしは何て言われたかったんだろう」って考える。

何も考えず意図を放ったから、想像通りの言葉が返ってこないのは当たり前か、とも思うけど。ときどき考える。

一人ひとりの世界、一人ひとりの宇宙

誰もが自分の国に生きている。

これは
ノ・ジェスさんの心感覚でいう「一人ひとり、それぞれの宇宙がある」感じ。

わたしの世界には自己しかおらず他者は存在していない。

でも、わたしたちは他の宇宙との関わりで生きている。

違う国に生きる人とその中でどう関係して生きていくか?

これって人間社会で生きているうえでテーマなんだよな。

違国日記、緩やかな日常の中に本当に多種多様な人が描かれていて「いい漫画に出会ったなぁ」とホッコリしている。

余談

映画を観に行こうと思ったとき、地元の映画館ではもうやっていなくて、少し離れた初めての映画館に行った。

しかも上映ラストで次の日からはやってない。
ラストチャンス。

そして20時スタートのレイトショー1回しかない。

ショッピングモールの中にあるので、終わる頃にはショッピングモールも営業終了している。

初めて行く映画館でレイアウトも分からず外に出るルートが限られている中で、駅に行かないといけない。(駅からは徒歩で10分くらいだった)

違国日記を見に行くために異国を彷徨う感じ。

どこか遠くに行かなくても、日常で違国も異国も溢れているなぁ、と無事にショッピングモールから出られたときに感じた。あと、映画観てるのわたし一人だった。独占。贅沢。これも違国だった。

駅に着いた時、実は終電でびっくりしたw
帰ってこれてよかった・・・

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