「人間性」を決める基準
「基準」は人によって作られます。
データを基にしていようが、科学的な根拠があろうが、結局最終的に判断をしているのは人間という部分が、現代ではまだまだ多いです。
「人間性」を判断する、という場面で言えば、なおさら人の感覚や思い、考え方を背景に「基準」が決められているはずです。
具体的な場面でも、少し考えてみます。
【いじめる側といじめられる側】
一般的に言えば、いじめる側は絶対的に"悪”だと判断されます。
それを全面的に否定するつもりはありませんが、必ず正しいとは言い切れません。
皆さんは、いじめる側の人のいじめに至った背景や、とりまく環境を理解した上で、いじめる側の人の人間性を判断出来ているでしょうか?
ここで大切なのは、「いじめる」という行為そのものの問題ではなく、いじめる側の人の"人間性”に着目をしてほしいということです。
「いじめる行為」は、もちろん許される行為ではありませんが、その行為一つでその人の人間性までも否定されることはあってはいけません。
ただただ自己満足でやっている人も当然います。
でも、そうではない人ももちろんいて、人間性はその行為だけで判断できないのが現実です。
【入学試験や就職・転職時の面接】
面接は得意な人と不得意な人がいます。
そして、得意な人ほど人間性が優れているとは言い切れません。
頭の回転がはやく、言葉の選び方が上手い、またとても好印象を持つことが出来る雰囲気を持っていて、人に適切に伝える能力が高く、コミュニケーション能力も高い。
そういう人は面接を得意としますが、それが本当にその人自身の人間性なのかと言われると難しい判断になります。
逆に面接が苦手な人は、あまり印象良く見えない人は多いかもしれません。
「印象」や「イメージ」は、人間性を決める判断材料として大きな割合を占めます。
そう考えれば印象はとても大切ですが、それが全てではありません。
きちんと向き合って話を聞いたり接したりしてみると、とても優れた人間性を持つ人は多いのです。ただ表現が上手くないというだけです。
この場合もやはり、人によって人間性が判断される部分が大きいと言えます。
【感じの良い政治家と感じの悪い政治家】
皆さんにとって、印象が良い政治家と印象が悪い政治家をそれぞれ想像してみて下さい。
感じの良い政治家の発言は、少し的外れのものでも、あまり具体性がなくても、「さすがだなぁ」「すごい」「さすがだ」と思っていませんか?
逆に感じの悪い政治家の発言は、とても理にかなっていることや正しいことを言っていても、「えらそうに」「できもしないくせに」「口だけ」なんて否定的に思ったりしていませんか?
これも結局は、人間性を判断する基準は人それぞれだということが分かります。
ここでは3つの場面で考えてみましたが、他にも『人間性を決める基準は結局人が決めている』ということが分かる場面は多いはずです。
だからこそ、ある人にとっては人間性の良い人でも、他のある人にとっては人間性の悪い人だと判断されることは大いにあります。
ここで言えるのは、周囲の人の人間性を判断するのは「自分のさじ加減次第」ということです。
それは逆を言えば、見える部分だけで、自分の基準や感覚のもとで人の人間性を判断しているということであり、それはとても視界を狭めているということなのではないでしょうか。
「あの人、人として終わってる」と、今あなたが思う人は、本当に悪い部分しかないのでしょうか?決めつけてしまっていませんか?
「良い部分がない人なんていない」という話をすると、きれいごとだとか、ただの理論だとか思う人もいるかもしれません。
それは私も、否定しないどころか同感です。
このような話をしている私も、当然、「この人の人間性を疑うなぁ」とか「人としてどうなの?」と思う場面はあります。
だからこそ、私自身も含めてもう一度考え直してみる必要があると感じているのです。
人の数ほど、「基準」は存在します。
それぞれが誤りだとは思わないですし、むしろ、その人その人にとってはそれが正しい基準です。
それでも、その基準は「絶対的に正しいものではない」ということは常に意識するべきです。
その一人一人が信じてやまないそれぞれの基準は、人の人生を変えることもある。良い意味でも悪い意味でもです。
人間性を決める基準は、あくまでも曖昧なもの。
だからこそ定期的に、自分をかえりみることが大切なのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?