誰も経験がないことに怯える時間は無駄なのか
一度だけ、ちっちゃい子に「死んだらどうなるの?」と聞かれたことがある。
目の前のことにいっぱいいっぱいで、1日1日を必死に生きていると、嫌なことや辛いことで頭の中が埋め尽くされてしまう。
そこで悩む時間は、次にももちろんつながるし、誰かしらが経験したことのある壁かもしれないから、どこかしらにヒントや答えがあるものかもしれない。
そう思えば、そんな時間も必要かなと思えてくる。
しかし、死後のことは、誰も経験したことがない。
今生きている人は"生きて"いるのだから、もちろん死後のことなんて分からない。
生まれ変わりがあるとして、今生きている人たちが皆生まれ変わりで前世があったとしても、その前世の記憶がある人はほぼいない。
記憶があるという人も時々いるが、その信憑性を確かめることも難しい。
だからこそ、ちっちゃい子が素直に抱いた死後の世界への疑問に、私は答えられなかった。
何となく自分でも死後のことを考えてみた。
でもやっぱり、どんなに考えても誰も経験のないことについて考えることは、雲をつかむように難しく虚しいことだった。
死後のことは、分からないからこそ怯えてしまう人は多い。
死ぬのがこわいと言う人は、そういう不安が原因だと思う。
それは当然のこと。普通のこと。
考えても答えの出ないことなのに、考え続けることに意味があるのかと言われれば、それは答えるのは難しい。
ただ、無駄ではないと私は思う。
死後のことを考えることで、悔いなく生きようと思えるようになることもある。
逆に、恐れおののいて、不安と恐怖感に苛まれる日々を送ることにもなる。
そんな時間を無駄と思うかどうかは、その人次第。
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