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今日(昨日)は「Time Capsule」を聴きました。
[聴きました]と言っても間違いではないのだけれど、[聞こえていました]とか[流れていました]とか言った方が近い気がする。
音の後ろで朗読をしているのだけれど、なにも頭に入ってこない。
耳に入ってきた音声が言葉として認識されるかされないか曖昧な感じがある。
音声が耳に入ってきて意識の範囲外で何かしらのイメージが喚起されているのだろうけれど、次の音声や周囲の音が耳に入ってくる頃にはそのイメージは忘れ去られている。なので[だろう]と言うほかない。
0:40あたりからの耳残りのいい鍵盤打楽器(?)の音、最後までずっと安心できる。
その前の音は、なんだか音波っぽい(?)雰囲気がある。
多分このあたりの音で気持ちよくなってるんだろうなと一瞬思いつつ次の瞬間には忘れているので、一時停止ボタンを押そうとするのだけれど、そうすることへのひどい抵抗感がある。
[抵抗感]と言っても、反発感があるタイプのそれではなく、むしろ反発するための足場がない。
夢の中で走ろうとすると上手く力が入らずにいつも走れない気がするのだけれど、あれに似た抵抗感を感じて、ただ音に身を委ねる以外の選択肢が消失していく気がする。沈んでいく。
一定の周期で、泡が鈍く弾ける感じ(?)の音が最後まで鳴っているのだけれど、これは何だろうと思った。
ぼやけた発掘音か何かなのだろうか。
曲内での時間が進むにつれて、別のエリアに入るように、ときには別の何かが横切るように、音が変化している気がする。
回遊の記録だと思った。
朗読されている詩の地層のイメージや曲名の「Time Capsule」のイメージが音のどこに反映されているのだろうと思っていたが、なんとなくのイメージを書いたり延々と繰り返し聞き流していたりするあいだに、なにもよくわかっていないが腑に落ちる感じがしてきた。
[照明]や[明滅]などの言葉が聞こえてくるけれど、この曲を聴いているときに浮かぶのは視覚的イメージよりも触覚的イメージのような気がしている。
光は触れない気がするが、明かりは触れる気がする。触れないのだけれど。
[ひかり]と書くと触れそうな気がしてくる。
寝るのにちょうどいい曲だと思う、すごく今更な気がするが。
寝て起きたときにはこの文章を書かせた感覚は失われ、未来の自分にも理解されない言葉だけが残るのだろうと思った。ただ、[理解]と言い切ってしまうには離れた距離感で接することができるのだとすれば、それはこの曲の雰囲気にも多分合ってちょうどいい気がしてきた。