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今日(昨日)は「少年時代(feat. 長瀬有花) - AFTER HOURS」を聴きました。
〈夏が過ぎ〉と歌詞が始まるのに、むしろ音の方は夏が始まってるんだが?と、初めて聴いたときはツッコミたくなった。
ちょうど今文字を打ち込んでいるときに、[ツッコみたくなった]と変換された。そうはならんやろ、と思った。でも、[~たい]に合わせて[ツッコむ]が活用(もう覚えていないがそんなものを習った気がする)しているのだと思えば、むしろこっちの方がしっくりくるのか?と思った。[ツッコミたくなった]だと、[ミ]と[たく]の繋がりが失われて、文字として見たときに唐突に見える。名詞に引っ張られて動詞の契機を見落としている。などとテキトーなことを言っている。
[~みがある]や[~みが深い]の言い回しが何かを表わしたいときにちょうどいいのだとすれば、[ツッコみがある]や[ツッコみが深い]と言うのがちょうどいい状況もあるんだろうなと思った。
〈青空に残された〉が始まる前(0:12)のところ、ギターとボーカルだけだったところにドラムが打ち込まれる瞬間、すごくいいと思った。そのままベースが合流していくところも、曲が始まらんとする感じのあれがある気がして、グッとくる。[あれ]で済ましておくのがちょうどいい気もするが、多分この感じを人は[予感めいた]感じと表現してきたのだろうと思った。
油断すると主語を拡大してしまうので、[人は]ではなく[自分は]と言い直すことによって出発し直したくなる。が、ここは[人は]と言い切ってしまった方が根拠のない確信がある感じを表わせて悪くないな、とも思った。
[確信]と言ってしまうと距離を詰めすぎている気がする。もう少し遠目から眺めている感じの、半ば投げやりさが混ざった確信。
1番の後の間奏(1:17-1:47)、途中からめちゃめちゃに気持ちいいベースが聴こえてきて、そのままめちゃめちゃに気持ちいいギターにバトンタッチするところが、めちゃめちゃにいい。
サビではないところはサビとはスピード感というか鮮明度が違う感じがあって、結果として緩急があっていい。
ラスサビ前の〈夢はつまり 思い出のあとさき〉のところ(2:07-2:14)、何かを傍目から見つめているくらいの距離感がある気がして、いいと思った。
MVでは胸に手を当てるシルエットが印象的だった。ついさっきまでは楽しくはしゃいでる感じだったのに。ちょうど歌い方と合っている振り付けだと思った。
その歌い方によって表現したそうなものと合っている、と言った方が正確かもしれない。
ラスサビの〈八月は夢花火〉の歌い方、あれはずるくないですか?と思った。理由はよくわからないが、とにかくいい。
あれはなんだったのだろう。[夢]に何かを凝縮したり、どこかへ跳躍しようとしたりするときの反発力のようなものがある気がする。
アウトロのベースがたいへんいいとおもいました。そのままギターとコーラスだけになって、仕舞いの余韻の感じがある気がして、いいと思った。
コーラスが耳に残っていい。
〈私の心は夏模様〉なのだから、夏が始まったときからそれが過ぎ去ったと思った日までのことを思いかえしている感じを、一曲の間におさめようとしているのだろうと思った。あとはそれをいつ聴くかによって、予感になったり記憶になったりするだろうと思った。
記憶を通じて浮かぶ心象風景がこれくらい鮮やかに色めいていたらよかったのにね、と思う。
この[のにね、]くらいの距離感も、曲の中(多分アウトロか間奏)で表現されているか、あるいは曲を聴き終わって全体を振り返ったときに浮かび上がってくるように作品がつくられているのかもしれないと思った。
もっとテキトーなことを書くべきだと思った。
[べきだ]←すでにテキトーではない。
まず[テキトー]という書き方を改める必要がある。[適当]と区別したいのはわかる。
[てきと~]←これにしよう。
徹夜しながら話すときにあらゆる言葉遣いやトーンが投げやりになる感じのあれになりたい。
"Dogs know Everything"と背に書かれたシャツを着ている人を見て、真理だと思った。
[だつりょく]←だつりょくしてる
[脱力]←だつりょくしてない
[脱力発電所]←ぎり脱力してる
[ぎり脱力してる]←脱力してない
[脱力してない]←脱力してない
[だつりょくしてない]←脱力してる
目的地に向かう道中でライブの整列をやっていた。彼らの今日もいい日になるだろうと思った。
通り過ぎた店の看板(黒い書き込みボード)に「今日は日本歴代最高気温の日だそうです」と書いてあった。
目的地付近で、目の前をおそらく同じく携帯の地図アプリを見て歩いている人がいた。同じく入口を通り過ぎ、目の前の人が引き返してすれ違ったあと少し時間を置いて同じく引き返した。引き返したあとも入口は見当たらず、再度引き返してくるその人と再度すれ違った。歩道から建物の奥を覗くと、偶然目的地の名前が目に入った。階段を下りながら後ろを振り返ると、歩道からこちらに向かうその人が目につき、ほっとした。
目的地から余韻に浸りながら帰る道中、運動会で見るような白いテントを解体しているところだった。昼前に来る道中も道路を通行止めにして屋台を出していたから、それだろうと思った。帰るときの外は暑すぎてまったくおだやかでない昼下がりで、焼きそばの店だけ出ているらしかった。
テントを解体している横には一つポツンとテントが立っていて、子どもとおそらく保護者とおそらく店の人で金魚すくいをしていた。涼しいなと思った。
スマートフォンのメモアプリで「少年時代」と検索すると、ちょうど去年(2022年)の10月13日に書かれたらしいメモが発掘された。直近に聴いたのだろう曲の感想が書いてあった。
久しぶりに行った花火大会の帰り道に、子どもが家の玄関の前で花火をしていた様子が目に留まったこと、も書かれていた。「はちゃめちゃにエモだった」らしい。あまり口にする気にはならない言葉だと思い、なんだか微笑ましかった。
やんわり「SEEK」を勧めた知人から、「長瀬、見ました。ユリイカ、いいですよね。」と返ってきて話ができたことが思い出の一つらしいことも書かれていた。「インターネットには書きたくない」とも書かれていて、過去の自分にはすまないと思った。よくわかる気がするから。ただ、多分もう大丈夫だろうと思った。なんとなく今は、何も損なわれずにそれはそこにあり続けると思うから。