長瀬有花「SEEK」回想
長瀬有花と出会えてよかった。
今の自分がその当時の自分を振り返るように、
未来の自分は今の自分を振り返った。
あの時間を過ごせてよかった。
ありがとう。
残りの文章は抑えられなかった蛇足です。
インターネットをただよっていると、まれに思いもよらないところにながれつく。上の詩はそんなときに拾ったもの。意味や情景やメッセージはわかりそうで結局わからないけれど、なんとなく何かが伝わるから、持ち帰って心の中に仕舞ってある。
そんなことを思い出した。
2022年6月25日、長瀬有花 コンセプトライブ「SEEK」が開催され、会場の渋谷近未来会館からYouTubeを通して全編無料で配信されました。その様子に4500人以上の人たちが同時に足を止めました。
都会の雑踏・過去の情景・自分で探して見つけ出す楽しさ・長瀬有花と出会ったあの瞬間、そんなテーマが絡み合ったライブになりました。とはいえ、同じテーマでも長瀬有花のライブじゃなかったら今回の「SEEK」にはならなかったような。
もう一週間以上も経ったなんて、にわかには信じられない。
ライブ当日の記憶はもう思い出になりつつある。まだ思い出にしたくはないし、幸いアーカイブがまだ残っている。けれども、いつかは。
生かせ。まだ逝かないで。
少しでも何かを繋ぎとめておきたいから、少なからぬ体験を見失う覚悟を決めて言葉に託します。拝啓、いつかの自分へ。
ライブを振り返ろうとするなかで思ったことをだらっと書きます。
(タイトル通り書きたかった。長瀬有花について。「SEEK」について。けれども、すぐに横道に逸れて、少し大げさな言葉で書いてしまう。過度に遠ざかってしまう。そんなものを手元に留めずにインターネットに解き放ってしまうことを、ゆるしてほしい。そして、必要のないゆるしを乞うてしまう見苦しさを、どうか。)
ライブに至るまで
piece1.
2022年3月25日
「Re:Volt2022」
はしゃぐように盛り上がった「気分上々↑↑」(↑×10)後のMCが終わる頃、長瀬有花はファンの方には伝わるらしい暗号を残して、バイバイと手を振りステージを後にした。謎はわからないけれど、それもシュールで面白いなあと思っている間に、ここあさんの海色に圧倒され、その日人生で初めて手にすることになったペンライトをさっきまでとは別のテンションに任せて振り上げた。
ライブの余韻に浸る中、22時に「今日とまだバイバイしたくないの」がプレミア公開された。多分、ずるいと誰もが思ったんじゃないだろうか。
piece2.
2022年5月2日
Discordは怖い。そもそもインターネットは怖い。(怖いものに対する解像度はたいがい低い。)とはいえ、限定コンテンツにはアクセスしたい。
そんな折、この日の配信でながせがROM専の方でもいいよって、みなさんきっとやさしいって、ずいぶん安心する口調で言ったから、迂闊にも入ってしまった。
なんだあの中毒性の高いスタンプたちは。絵文字もスタンプも陽のコンテンツだと思って今まで怖くて使えなかったけれど、あれは使ってしまう。
ぶらさがりながせ(yuka_b)をログにぶらさげることを思いついた人たちは、天才なんじゃないかと思う。
ネト充のススメという漫画がいつかあったような。ROM専のススメという作品もどこかにあるのかな。なんで脈絡もないことを思い出したんだ。いつかまた会おうよ、空想自治区。
2022年5月30日
何かが始まった。
Twitterで長瀬有花のアイコンが変わった。
この日か翌日、おそらく多くの人がxxxxERになった。ワクワクしていた。
ネットワークプリントサービスなるものをこの日初めて使った。
月曜の夜だというのに、謎を解くのに熱中した。次の日の日中も謎のことが頭から離れなかった。
a-look.live/next という意味深なアドレスのページのカウントダウンがゼロになる瞬間、はたして何が起こるのか。
2022年6月6日
長瀬有花は宇宙人になった。
2022年6月7日
Twitterに長瀬有花(新衣装ver.)の写真が投稿された。助かった。
「Alook」を思い返せば、次元や時間が混じり合うことで、長瀬有花が3次元に近づいてきているのかもしれない。次元融合装置が動いているのかもしれない。
前日に宇宙人になったのは伏線だろう。知らんけど。
2022年6月8日
件のページに意味ありげな紋様が浮かび上がった。それをクリックした先で、「SEEK」の開催が告げられた。
「いまを生きる長瀬有花だからこそできる、次元を超えたその先の挑戦を、あなたの目で見つけ出し、そして拡めてほしい」。
カウントダウンが終わる瞬間を昨日が終わるまで待っていた少なからぬ人たちが、騙しリンクを踏んだ。そして、ページのリンクをツイートした。
画面には蒸気が立ち上っていた。
この日の配信で、パソコンさんがお亡くなりになった。再開を待つ人たちがチャット上におなじみの猫を打ち込んで大気している様子に、少しうるっとした。
配信再開と同時に一斉に駆けつけた視聴者と一気に増える高評価の波にいざなわれた人たちがいたのか、普段より多くの人がながせの下に寄り集まった。
一方その頃、ながせはスマホの機能で泡をぷくぷくさせていた。癒される。遊んでいる人たちは、逆手にとるのが上手いと思う。
この日の配信で、#SEEK情報班がDiscord上に期間限定で開設されたことが発表された。ネタバレを避けつつ謎解きの過程を共有したい(共有されたい)思いが募っていたから、助かった。
遊び場が開かれたということは、ここで遊ぶと楽しいはずだ。そう信じて、とりあえずなんか書いとけの精神で軽率にチャットをとばした。
謎はいつもわからないけれど、同じように悩む人たちがいたし、謎に取り組んだ人たちやわかった人たちが伏字を使ってヒントや答えをくれた。心強かった。おかげでfindできた。ありがとう。そして、一緒にSeekするのは楽しかった。
「Alook」の次元融合装置のコード(文字列)は、変換すると「長瀬有花」になるらしかった。「Re:Volt2022」のときに伝えられた暗号は、6月にライブをすることを予告しているらしかった。わかる人たちはすごいなあと思った。
今回の「SEEK」を通して、自力で変換しようとする癖がついてしまったのかもしれない。先の2つのライブの暗号も、振り返ってみればなるほどと理解できるようになってしまった。
当初の予告通り、情報班のログは消えるようだ。
まるで祭りの後の静けさを残して。はじめから存在しなかったかのように。
SEEK情報班は記憶の中に仕舞われ、いつかビルの隙間を縫ってよみがえる。
よみがえる。ヨミガエル。ヨミ、カエル……。見つけない方がいいものもこの世にはあるらしい。自分のせいとはいえ、罠すぎる。でも、おかげで思い出せた。ありがとう。これを書いているのが暑い時期でよかった。
piece3.
2022年6月20日
スーツケースが一瞬で売り切れた。おめでとう、ながせと買えた人たち。
予備シールの中に、「私が作りました」シールが入っていたら、面白いなあと思う。
たれながせについては、「オー・シャンゼリゼ」を最後に一緒に歌うのが恒例になったり、指でスパチャをパクパクし始めたり、チャット欄のアイデアも拾いながら前髪の歌を作詞作曲したり、森がよく復活したり、意図せぬ神回が生まれたり、たまに水曜にちょっと違うことをしたり、いつも通りまったり癒されたりした。
ながせが星の王子様の朗読をしたとき、キツネは王子に向けて、毎週この曜日のこの時間、みたいなものを決めておくことがその時間をほかの時間とは違う特別なものにしてくれる、みたいなことを話していた。
身をもってそれを実感している。
毎週月曜20時から始まるたれながせのおかげで、息ができている。
2022年4月18日
TikTokなるものをインストールした。画面を開いてすぐに後悔した。ここは来てはいけない場所だったんじゃないか、と。その気になればWebからも観れるじゃないか、と。この日の配信で感じた何かに当てられてしまったのだろうか。
2022年6月8日
「今日とまだバイバイしたくないの」、100k再生おめでとう。
piece4.
2022年6月16日
とある筋から、18日0時になにかあるかも、との情報を得た。これはもしや、ついに。
2022年6月18日
0時、ゲリラライブ、「新宝島」。映ってる何もかもがよかった。準備から撤収、後を濁さず去った様子まで映り、本当に路上ゲリラライブだ、となった。環境音入ってるのが、なんか、うわあとなった。長瀬有花が実在している事実に改めて撃たれていた。
歌も、力強く、少し遅めのペースで聴き入らせるようなものだったように感じた。alook.live/next だ、となんとなく思った。「それでも君を連れて行くよ」。
合わせて計6回、ゲリラライブは行われた。毎回、画面の前に張り付いて始まりを待った。先の「新宝島」に加えて、「気になるあの娘」・「楓」・「Rain」・「アルエ」・「異世界うぇあ」。選曲も含めて、全部好きだ。場所もいい。
ライブ前日の「異世界うぇあ」、モノクロで映された弾き語り。たれながせでも聴いた~と思い出したりしたけれど、目に映るものが変わったせいなのか、少し違って聴こえた。「どうか 逸らさないでいてね」。
ライブ
なんかすごいものを浴びた。長瀬有花ってこんなにすごかったんだ、と思った。圧倒された。あなどっていたつもりは全くなかったのに。
そして、すごいにもかかわらず同時に、今まで通りそこに居てくれる感を残したままにしている。これがすごい。そんな気がしている。
ぽつぽつと書きます。とりあえずセットリストを置いておきます。
ライブが始まる直前はいつもワクワクする。最近の日記もいい味を出していた。
入場シーンから始まったとき、「Alook」のときもそうだったと思い出した。
内装の雰囲気がいちいちよい。ライブの後に調べて、同時視聴でも聞いて、納得した。落書きが雑踏っぽくていい、という話、わかるbotになった。会場選びにも好きを詰め込んでくるとは。
「オレンジスケール」のインストが流れていると、「Re:Volt2022」の開始前のワクワク感を思い出す。「SEEK」が「Alook」の次のライブであることを思い出す。帰り道を思い出す。
扉を開けて一気に聴こえてくるところがいい、と同時視聴で有花さんが言っていて、チャット欄と一緒にわかる…….となった。
ステージを一目見たとき、なぜか「プロムナード」を思い出した。標識とか植物とかブラウン管テレビとか画面の色とか3次元の姿とか、そんなもののせいかもしれない。あのときは私物も紛れ込んでいたらしいけれど、今回はどうだったんだろう。
ギターが好きすぎる、とライブ中ずっと言ってた気がする。照明や映像がよすぎる、と一生言ってた気がする。ステージもフロアも。
「ロビンソン」も「車輪の唄」も、あったかい。居心地がいい。
「ロビンソン」が始まったとき、さっき聴いた「オレンジスケール」と照明のせいか、夕暮れだと思った。
「ルララ 宇宙の風に乗る」と聴いたとき、直前での力強さにも後押しされて、吐き出した息に乗って声がどこまでも届きそうだと思った。風が幕を開けた。
「車輪の唄」は跳ねる感じが心地よくて、そのたびに思い出に没入して色が鮮やかになる感覚がある。けれど、ライブの「車輪の唄」はカバーのときよりも、色が抜けてモノクロやセピア色に移ろっている感じがあった。ギターの音や、緑を白くしたような照明の影響かもしれない。思い出の中に一緒に入り込むというよりは、思い出している人をみつめているみたいだった。
歌詞は朝を思い出しているのに、夕暮れの帰り道を眺めているみたいだった。
とかげさんが3次元に顕現していて、軽く感動した。そして、くまさんをみたとき、弾き語りのMVを思い出した。
「車輪の唄」のcoverには昨日会ったばかりだけれど、文字通り昨日長瀬有花と出会っていたとしても思い出せる。
MCを聞いたとき、1曲目と2曲目が腑に落ちた。"again" ってそういうことかあ、と。と思っているところに、新曲「みずいろのきみ」が繰り出された。2曲目の余韻をギターと一緒に引き継ぎつつ、一気に夜・夢の中に近づいた気がした。
空気を変えるのが上手すぎて、「Re:Volt2022」の「とろける哲学」を思い出した。
照明が街灯みたいでよい。みずいろだった。
「そっとね、していてね」「いぇあ」←神。随所で言葉以外を歌っているシーンが好き。
「ふわぁ」と「ぷはぁ」のどっちにも聴こえるようにした、という話を同時視聴で聞いたとき、夜去のコンビニに合い過ぎてすごいなあと思った。そんなことできるんだ、と思った。
「遊ぶゆび ほつれてる」のときの手の感じ好き。
「なにかかわる!」の「な」をライブで聴いたときは衝撃をうけた。歌詞通り、かわる予感がした。「毎夜 毎夜 毎夜~」って、天才か。同時視聴での明るくなるところがいい、という話にチャット欄と一緒に「いい」って言ってた。
とりあえず、この歌詞の登場人物はベッドにダイブして「とろける哲学」を聴くべきだと思った。
後半は歌いかけられているみたいで、歌詞が刺さって、なんだかほっとした。同時視聴で、余裕のある感じで歌うように心がけた、という話を聞いた。そして、だから青に飲み込まれていそうな情景を映しつつもなんだか大丈夫な気がしたのかもなあ、と思った。
「みずいろ」で景色も出来事も内面も表現してしまっていて、おしゃれすぎると思った。
「ミス・パラレルワールド」はずっとfullで聴きたかった。それはそれとして、面食らった。鍵盤ハーモニカを聴いたのなんて、いったいいつぶりだろう。
「パラレル パラレル」とサビに突入したとき、イヤホンをしていてよかったと思った。なんだあれは。迷宮に迷い込む。
紫の照明が解釈一致でいい。
同時視聴で、この曲から音の数が増えていくと聞いて、たしかにと見返した。そして、境目が似合う曲だと思った。
3曲続くアレンジされたオリジナル曲は、水分があるというか、音が現れてはぷかぷか浮いているというか、夢の中で重力が小さい感覚があって好きだ。
「駆ける、止まる」は昼のイメージがあったけれど、今回は周囲が寝静まった頃みたいで新鮮だった。
(「めくる文字列の行進」からの)盛り上がっていくところがめっちゃいい、と同時視聴で言っていて、わかるbotになった。ライブで聴いたとき、ぶわあっとなった。世界が創造されていくみたいだった。
「ライカ」始まる前かっこいい~。
「ライカ」は青色のイメージがあったから、オレンジ色に照らされてなんだか新鮮だった。真夜中まで起きていたら周りは青いけれど、夢の中だから青いとも限らないのかなあ。昔の夢でも見ているのかと思った。
ここまでゆっくりになるんだと新鮮だった、と同時視聴で言っていて、たしかに、となった。
映像がきれいだ……。最後の色んなものが混ざっていく感じが好き。
なんというか、陽光が届く深海があったとしたら、そこで流れていてほしい音だと思った。
「異世界うぇあ」、ライブのときは波の音をそれとして認識できなかった。同時視聴でも触れられていたけれど、神演出だと思った。
ステージからフロアへ下りて歌うところも、波打ち際まで下りて歌うイメージと重ねているのかもしれないと思った。
椅子に座ったながせを見たとき、MV再現だ!!と思った。
「見失いたくはないから」で手の影を映すのは天才のそれだと思った。
振り付けを見て、「Alook」で見たやつだ!!と思った。
2回目のゆっくり残した「ただ素直でいさせて」の余韻。波の音がするせいで、砂の上の文字が流されて海に吸い込まれていくみたいだった。
MCが沁みる。
もう終わっちゃうのか……となった。
「ユリイカ」が始まるとき、少し濃い気がするオレンジ色の照明が、前奏と一緒に夢の終わりを予感させているみたいだった。
「いつも 夕方の色」 映像も歌の入り方も好きすぎる。
「なぜかドクダミと」 初めて聴く曲だったから、このフレーズが始まる直前、サビに入るのかと思った。耳が生き急いでいた。このあたりの照明は青かったから、歌詞を追った後、カメラは今雑踏を映しているのだと思った。
街のカットが切り替わりながら入る映像は鳥肌だった。同時視聴で、フラッシュバックみたいといったコメントが拾われていて、「わかる!!」となった。PVで見たやつだ!!とか、ゲリラライブで見たやつだ!!となってた。
青とオレンジと紫が混ざるとたいがい大変なことになる。日が落ちたり日が出てきたりする前後の空の移ろいは見ていて美しいから、この時間帯や光景を表すのに色んな言葉があるのも納得する。
「ユリイカ」のときは本当に、長瀬が空を染めていたし、長瀬が世界を染めていたと思う。
「月が」と始まったとき、なんかすごいものを聴いていると思った。
まばゆい白に包まれていくの、好きすぎる。
ギターソロは神。「Alook」の「オレンジスケール」のときも神だったなと少しよぎった後、じっと味わっていた。同時視聴のときも盛り上がった。
予告映像のときも今回の映像も、どうして雑踏にまぎれて波のカットが入っていたんだろうと思っていた。人の「波」と掛けた遊びかなあ、と。でも、ふるさとや旅先にもし海岸線があったら、波の音を聞きながら海をみつめて過去に思いをめぐらせたりするなあ、と思った。
「次の次元でお会いしましょう」が終わりのあいさつとして風格が出ているように感じる。
「微熱煙」、イントロと出だしの歌詞で伏線回収をされた。これはいわゆる神曲なのでは、と思った。
同時視聴で、急に静かになったりガッとなったりするところが雑踏感を表現している、と聞いてそういう聴き方があるんだ!!となった。そう言われると、ここまでの曲にもそういうものがあったなあと思った。
「綺麗に逝かせて」で盛り上がりまくってるところも好きだし、そのあと「Ah~」「雲になった街を」と切り替わったところも好き。照明も音も仕事人すぎる。このあたりのところ、日が差して夢が終わっていくみたいで、でも声がやさしいからきっと大丈夫だって感じが、好き。
「灰になった僕は笑い続けよう あなたが笑うまで」はずるじゃん。「は「い」になった」と力強くなって、ライブで聴いたときは大変なことになった。同時視聴のときも、「まさに皆さまに向けて歌ったような、歌詞ですね。長瀬有花はいつでもここで待っていますっていう、思いをね、この歌詞に込めて歌いました(an)」と言われて、改めて言わないでくれ~と嬉しい悲鳴を心の中であげていた。
「LaLaLa…」と歌い始めたとき、わかる、そこは「LaLaLa…」だよなと自分でもよくわからない解釈一致を起こしていた。同時視聴のときも話題になったけれど、いつか現地で合唱させてくれ~。頼むぞ世界~。
一生聴き入っていたい。
「ろうそくは灯り続ける」という言葉が嘘にならないような終わり方だった。この夢が覚めてもきっと大丈夫だ、と。「Alook」の「オレンジスケール」の「昨日の続きを生きてる」を聴いたときの感じをぼんやり思い出したし、ついさっき聴いた「みずいろのきみ」の「青い道 白い日々」を聴いたときの感じを思い出した。
「生き急ぐな」なんて実際に言葉にされてしまったら、しばらくの間は癒されることができない。言わなければ、そうできたのに。
曲の雰囲気が、ゆっくりしていた。じっと踏みとどまって自分のペースで歩くのには、力がいるのだと思う。
「Alook」の体育館ステージ上のながせは、楽しそうで、力強かった。けれど、今回の「SEEK」の「ユリイカ」と「微熱煙」はより力強く感じた。
長瀬有花は自身を支えだけでなく道しるべにしようとしているのだと思った。
ながせを見ていて癒されたり楽しくなったりワクワクしたりする理由の一つは、ながせ自身がそうなっているからだと思う。
今回のライブの終盤は、ながせの足取りの確かさを感じた。
とはいえ、しばらくの間は、支えにさせてほしい。
「今日とまだバイバイしたくないの」!!それはドンピシャすぎる。 「Re:Volt2022」のときもずるいって言ってたなあ。
撤収シーン、ゲリラライブを思い出したり、夢のあとっぽくて、いい。
手でカメラを覆うシーン、ゲリラライブを思い出した。
油断していたら2番がはじまった。最高のエンドロールだ。
「ざわ…ざわざわ…」(同時視聴)
最後にブラウン管テレビが映ったとき、プロムナードのことを思い出して2nd Album の発表かと思った。ザーっていう音が好き。なんにせよ、ワクワクする予告になるだろうと思った。
「汽元象レコード」、なんて洒落た漢字遣いなんだ。
楽しみだなあ。
SEE YOU NEXT DIMENSION
おわりに
ありがとう!!!
おまけ
雑記
長瀬有花は、日常に魔法をかける。ながせにできそうな、色んな方法で。
ライブの中盤で魅せてくれた夢のように幻想的な非日常も、そんな感じだった。あのながせを集中的に味わうのはこのライブが初めてな気がして、少し新鮮だった。
けれど、それとは別の仕方でも魔法をかける。
見過ごしていたものを拾い上げて、そのささやかなきらめきを見せてくれる。ちょっとしたズレも見つけてくれるし、そのうえしばしばながせはズラす。ツイートとか毎週の日記が好きな理由のいくらかは多分そのせいだ。
最近、しゃっくりをしながらフライヤーにサインする様子がツイートされ、それを見た自分はひとしきり声をあげて笑った後、なぜか少し泣きそうになった。
カエルにビラを配ろうとする様子には、ほっこりした。ハッシュタグで巡回しているときに、ライブにカエルがいたことを知った。芸が細かい。見つけた人たちはすごいし、きっと楽しかっただろうなあ。
カニクリームコロッケを自分で探して見つける楽しさとともに味わうながせにはハッとさせられた。同時に(多分これがすごいことなんだろうけれど)、癒された。
それはそれとして、「渋谷はジャングル、新宿は迷宮。長瀬有花はかわいい」、これは真理だと思う。
自分にもながせみたいな視点がいつか手に入らないかなあ、と憧れる。
自分にも何かが見つかるといいね。探せば。
「近くて遠い」とか「遠くて近い」で大喜利をしたら色んな回答が出るのだろうけれど、「思い出」はどっちのお題を出しても回答の候補になる。
長瀬有花は、思い出を近づけてくれる。
長瀬有花は、長瀬有花を近づけてくれる。
長瀬有花は、長瀬有花を眺める自分を自分へと近づけてくれる。
遠くにあったものも、遠くにあると感じているだけのものも、遠ざかってしまったものも、その他色んな遠くのものも。
そう言いたい。
その近づけ方に長瀬有花を長瀬有花足らしめる要素のいくらかが含まれているような。けれども、それがうまく言葉にならないし、わかってもいない。
異世界うぇあ
溶かして混ぜる
ながせゆか
おくりものを受け取るために手を伸ばす余裕さえない。言葉を探す余裕も、彫る余裕も、待つ余裕も、ない。
ながせの配信をリアルタイムで見れることはきっと幸運なんだろう。
遊ぶことで日々にささやかな反抗をしている。
両手で数えられるくらいの数のアーティストの曲を移動中に耳に流して過ごしてきた。そんなふうに、音楽にあまり触れない生活をしてきたからか、長瀬有花がカバーする曲のほとんどは初めて出会う曲だ。だから、毎回原曲を聴きに行ってはカバーに帰ってくる。そして、なんていいものを拾ってくるんだ、そのうえどうして長瀬有花の曲であるかのように聴こえてくるんだ、とびっくりしている。出会いにとても助かっている。
「ユリイカ」も初見だった。そして、衝撃だった。
いつかは。けれど、まだ。
「嘘と本音」大喜利
嘘を見たとき、それをいいものだなあと思えるときと、それをばかばかしいと思えるときと、それが嘘であることを忘れているときと、その他のときがある。正直に生きたかった、なんて口にしたら、それがどれくらい正直な言葉なのか自分でもわからない。
続くって、いい嘘だなあ。
永遠って、いい噓だなあ。
決して忘れないって、いい嘘だなあ。
「約束だよ 必ず」って、いい嘘だなあ。
ねがいやあきらめや祈りや決意が託された嘘が、きっと今日もどこかで受け継がれている。
「ただ素直でいさせて」
「嘘は嘘のままに包み込んで きれいに逝かせて」
信じないけれど、信じるよ。
このかけがえのない時間を忘れないって。
明日ももっと楽しくなるよね。
今までハマってしまったものの多くには、何度も出会い直している。
長瀬有花とも何度も出会ってきた。きっとこれからも出会える。そして、思い出す。何度も、何度も、何度も。
出会えてよかった。
piece5.
2021年某月某日
「ドライフラワー」のカバーを聴いた。他の誰かがカバーしているのを聴いたことがあったから、ながれついたのかもしれない。なんだか切ないなあと思った。
「Alook」直前のほっとここあウェーブでこの作品と出会い直した。
「SEEK」の同時視聴枠でも、有花さんは声を張り上げているときの方が儚さや切なさを感じる、との分析を「ユリイカ」のときにそうかもなと思った、と話された。おそらく多くの視聴者と同時に、「わかる」とつぶやいた。
「わかる」って、なんだか語気が強くなるときがある。
2022年2月19日
#Alookはいいぞ
2021年某月某日
最近よくオリ曲が出ている。どれもいい曲だなあ。
何かが起こっていそうで、少しワクワクする。
2021年12月27日
気づけば「こたつとみかんと長瀬有花」なる配信に迷い込んでしまった。年末の長瀬有花さんは、なんだか沁みる。上海蟹食べたい。
来年の2月にバースデーライブをするらしい。めでたい。オンラインライブなるものを観たことはないけれど、どんな感じなんだろう。このチケット、買うべきか・買わないべきか。
2021年某月某日
「シオン」のshort ver. を聴いた。振り付けがかわいすぎた。同時に、曲が好きすぎた。早くfull ver. を聴きたいと思った。
2022年6月19日
「SEEK」が楽しみで変なテンションだったから、「祭りじゃ~」みたいなノリでセトリを妄想してインターネットに解き放ってしまった。
清々しいくらい外しきっていて、笑ってしまった。思い出づくりにもなかなかいい遊びを覚えたから、今度からはこっそり楽しもうと思う。
2021年12月29日
「fake news」を聴くと、なんだかすごいものを聴いている気がする。
2022年3月25日
「Re:Volt2022」、改めて、動きの魅せ方が上手すぎる。ペンライトを振るのが難しすぎて笑ってしまった。次はペンライトを下ろして自由に手を振ってみるのもいいかもしれない。バンドver. いいなあ。
ながせはつよい。
2022年1月某日
作業用ながせなるものを試してみた。ずっと流していられる。今まで聴いてこなかったカバー曲にも、いいものがたくさんあるなあ。
2022年1月31日
「オレンジスケール」、なんだかぶわあっとなった。コメントに有花さんが「学校の帰り道に夕暮れを眺めながら聴いて泣きそうになった曲です。あたたかい」と書いていて、たしかに、となった。好きな曲だなあ。
2021年9月26日
「プロムナード」に立ち寄った。映像としてみてもすごい。「ライカ」のときの椅子の座り方いいなあ、と思っていたら、あれは自分で考えたそう。そして、「ずるいよね」を一人で弾き語っている、本当に。
オリジナルアルバムの制作が決定したそう。めでたい。どんな感じのアルバムになるのか、見届けたいなあ。少しワクワクした。
2021年12月6日
不思議な雰囲気の日記だなあと思った。なんだか和む。
2022年2月17日
「a look front」、なんだこのよすぎるアルバムは。こうなったら、ボトルに「ありがとう」のひとことを詰めて図書室の一角からインターネットに流す、みたいなことをするしかない。
某年某月某日