SNS全盛の時代になって人類は、逆シャアの世界に追いついた
「人類を粛正してやる」という富野さんの本音という押井守監督へのインタビュー記事があって、共感するところが多いなーとは思ったのはさておいて、この前逆シャアをアマゾンプライムでちょうど見てた感想を今更に。
ガンダム、Z、ZZ、逆シャアという流れでずっとニュータイプ(や強化人間)という描写があったけど、ニュータイプってぶっちゃけ、もう現代ではSNSで当たり前になっているんだよね。
もちろん、作中で描かれてるような、超常的な空間把握とか、テレパシーとか霊魂メガ粒子砲や霊魂バリアだの、そういったファンタジーめいたナニカはさておいて、ガンダムから逆シャアにおいてのニュータイプは空間を超えて「わかり会える」人たちと表現されている。
それって、ぶっちゃけSNSが当たり前な現代ではもう実現されてるわけですよね。
空間的制約を受けずに、コミュニケーションができる、わかり会える世界は、すでに当たり前になっている。NetNewsやメーリングリスト、ウェブサイトそういったものだけではここまでではなかったけど、SNSが浸透することで、より気軽に双方向にわかり会える世界は出来上がっている。
ニュータイプが戦場で空間を超えてイチャイチャしてる以上に、SNSでは気軽にコミュニケーションが成立する。これまでの時代では決して出会えなかった人たちが気軽に出会える。
なんでオールドタイプたちは世界が変わったことがわかんないの!ってニュータイプの少女たちがブチ切れてるのとおなじように、SNSを使いこなしてるリアルニュータイプたちは、様々な情報の濁流にふれることが当たり前になっている。クェスが初めて戦場に出て、情報量に戸惑ったかの如く。
リアルオールドタイプの人たちはSNSなんてやらないだろうし、強化人間が無理やりSNSをやって炎上する光景も当たり前になっている。
しかし、そういったリアルニュータイプが登場しても、世界が救われるなんてことはなくて、SNSは憎しみの増幅装置として働くことも多い。結局ガンダムの作中で戦場でイチャイチャしながら殺し合いをする並には、SNSは様々な禍根を残している。
そりゃ世界にも絶望するわさ。
20年以上経過してやっと分かったよ…。今の視点があるからこそ分かるというものはある。子供の頃に見たアニメも、こうやって見返すと、実はこういう意味合いだったのか、描写だったのかと気づくことも多い。
大人になってから気づいたことといえば、ジオンなんかもドイツや日本が、地球連邦という連合軍相手に無謀な戦争をしかけてたのと同じだったんだなーとは、大人になってから気づいた。なにせ国力が桁外れなわけで。戦争末期のジオン軍、戦争末期の日本と同じくらいには絶望してるだろうよ。
国が焼かれて人が死んで、進め一億火の玉だ、欲しがりません勝つまではとか気が狂ったことをみんなが言ってるような弱小国家と、自国民は平穏に文明ある生活してる超大国(日本人が飢えてるタイミングで、この世の春を国民が謳歌できてる)が戦って勝てるわけねーじゃんよ。ジオンがどんだけ優秀な兵士育てて、兵器作っても、物量で圧倒的に負けてたら、そりゃ勝てんて。
初代ガンダムなんかも特殊な戦線を渡り歩いたものの、全体的な趨勢は、別の戦場で大きく決まっちゃってたわけだしね。Z・ZZなんかは割と非対称戦争ではあったけど。
富野監督は、未来になれば、人と人がわかり会える世界が来る、なんて70年代に想像出来たのってほんとすごい先見性なんだなとも思う。
SNSが当たり前になってニュータイプも当たり前になった現代で、人はここから何を成していくんだろうね?