幽霊坂(115の坂が語ること#5)
文京区には、115の名前がついた坂がある.
武蔵野台地の東の周辺部に広がるこの区には、本郷・白山・小石川・小日向・目白という5つの台地が広がり、台地と谷を結ぶ坂には、江戸時代につけられた名前が今も使われている。
すっかり枯れて竹箒の先のようになった群雀を、職人さんが二人がかりで剪定している。
「それはどんな花が咲くの?」
カメラを首からさげたご婦人が近寄りながら尋ねると、
「あ、危ないから気を付けてください。鋭い棘がいっぱいありますからね。」と制した。春に小さな黄色い花が咲き、雀が枝にとまっているように見えるという。ただし、枝のあちこちから突き出た大きな棘は鋭く、知らずに群雀の茂みに入ろうものなら、馬鹿にならない怪我をすることもあるらしい。人によっては、棘をすべて切るように依頼してくることさえある。
二人の職人さんは毎月一度、ここ、肥後細川庭園を手入れしているそうで、
「来月は、松の雪吊りです。」と、灯篭脇の松に視線を移しながら言った。
もうそんな時期である。やがて木枯らしが吹き始め、2ヶ月余りで今年も終わる。午後3時半を過ぎると、太陽はだいぶ西に傾き、沈みきるまで燃え続ける夏の夕日と違い、今、あたりを染める太陽の日差しはしなやかで、薄紅色の極上のシルクが空一面を覆う。
庭園を出て右に進むと急な上り坂が目白通りまで続く。幽霊坂である。
鬱蒼と生い茂った木々を見上げ、鎌倉にある名越の切通しを思い出した。古道の両側は掘削された地層が剝き出しになり、大きな岩がせり出し通るのがやっと、というところもあった。舗装されていない山道の、ところどころに敷かれた石畳は苔むしている。コンクリートで舗装され、高い塀に囲まれたこの坂とずいぶん様子が違うが、見上げた時に、両側から樹木が大きく枝を伸ばし、昼間でもうす暗い影を作っているのと、先ほど訪れた細川家の元祖が、鎌倉中期の御家人源義季であったという話から、二つの坂が重なった。
坂上から振り返ると、秋の夕闇が迫っていた。