檜扇
今年の夏も祇園祭が中止となった。見に行かれないかわりに、祭りの間、京都のあちこちでみかける檜扇を部屋に活けたいと、花屋を何軒かのぞいたが見つからない。花屋にないから、せめてどこかのお宅の庭先で楽しめればと、散歩途中に見て回ったが見つからない。
「あ、あった。」
近寄ると、花が小ぶりの姫檜扇であったり、遠目からでも鮮やかなオレンジ色が目について(今度こそ)と思うと、モントプレチアであったりする。モントプレチアは育てやすいのか、ずいぶん目についた。そもそも祇園祭は京都の祭であるし、しかも中止になってしまったから、関東では需要がないのだろう。それでもあきらめきれずになじみの花屋に頼み、鉢を仕入れてもらった。自宅の庭において眺めるだけで、祇園祭の間、老舗や旧家が調度品や屏風を披露し、共に檜扇の生け花も彩を添えるのが目に浮かぶ。
十一月になると、花が終わった後の房が割れ、中から漆黒の種が顔をのぞかせている。檜扇は、別名射干玉(ぬばたま)。万葉の人々は、この一粒の中から幸せも孤独も不安も希望もすべて包み込む夜の闇や、濡れたように光る漆黒の髪を連想し、数々の歌を残した。今目の前に、千年以上の時を超えた歌人たちの心象が、香るように凝縮されている。
ぬばたまの夜更け行けば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(山部赤人)
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