TRPG『カタシロ』PL:私
このnoteは「TRPG カタシロ」のネタバレを含みます。カタシロはゲームの特性上、ネタバレしてしまうと2度と遊べないゲームです。カタシロが少しでも気になるという方は、この先を読まないで下さい。
というより、読んでも何のことか全く分からないと思います。この先の文章は、私が初めてカタシロを見たときに感じた、自分がプレイヤーだったらこう発言する、というセリフだけを書いたものです。作品の説明や、ストーリの流れ、語句の説明などは一切していません。これから他の人の考えを知って私の考えが塗り替えられてしまう前に、書き留めたいと思ったから書いています。因みに、ここに書いた考えはすべて即決でした。書くのにもそれほど時間はかかっていません。これが私の本質なのかなと思います。
ちなみに私がカタシロを初めて知ったのはこの動画です。
プレイヤーによって開示された情報や設定は多少変わると思いますが、私の考えはこの動画の条件をベースにしています。
まだカタシロを知らないけれど気になるという方がいらっしゃいましたら、このnoteは読まずに動画を見て下さい。たくさんのプレイ動画がありますので、気になるものを見ていただくのが良いと思います。私もこれからいろいろな人の動画を見て、考え方の違いを楽しみたいと思います。
以下、ネタバレを含みます。
囚人のジレンマ
黙秘を選びます。この4つの選択肢の中で最も嫌な選択肢が「私が懲役0年、先生が懲役10年」だからです。私から見た先生も、先生から見た私も、信用できる相手ではありません。だから、裏切ることも裏切られることも、当然のことだと思いますが、私を信じてくれた先生を裏切った、という状況が私にとっては最も後悔する、避けるべき選択肢と考えるからです。
テセウスの船
徐々に入れ替わっているということであれば、一緒のものであると考えます。連続性があるからです。船を構成している物質そのものが大事というよりは、これが “その船” であるという概念が大事だと思います。例えば人間も、子供から大人に成長すれば、見た目も構成している細胞もまるっきり変わりますが、“その人” というストーリーの中にいるため、一緒のものだと考えます。
臓器くじ
絶対に反対です。それは、臓器提供により命を救うことよりも、何の罪もない健康な人の命を奪うことの方が重いことであると思うからです。例え、臓器提供を受ける側の人間に私の大切な人がいたとしても、命を奪われる人のことを大切に思う人がいるため、反対という意見は変わりません。
エンディング
まず最初に先生に質問があります。
娘さんはまだ幼い女の子ですよね。私の体は娘さんとは年齢も身長も全く違います。先生は、娘さんが私の見た目になっても、今と変わらず愛することができますか?
「愛する」ですね。先生はそうおっしゃると思いました。では、追加で質問なのですが、娘さんが私の体の中に入って目覚めたとき、娘さんは娘さん自身を愛することができると思いますか? これは娘さん本人にも確認するべきですが、仮に娘さんが私の体を望んだとして話を進めましょう。先生と娘さんが本当に私の体を望んでいる、というのが私の結論の前提条件ですから。
私は最初、娘さんのために私が死んで臓器を提供してくださいとお願いされるのかと思いました。それならば私の答えは簡単、NOです。信用できない他人のために自分の体をあげることは流石にできない。しかし、私がこの体で生きられるとなると話は変わってくる。そして先生は私が拒否すれば私の体を返してくれるし、これまでに適合しなかった人たちは無事に返したとおっしゃっていた。先生の言葉をどれだけ信用していいかは分かりませんが、私には先生がフェアな人物に見える。
そこで、私が出した結論はこれです。
私を先生の助手にしていただけないでしょうか。
これには理由が2つあります。1つは先生のこと、そしてこの作られた体のことをまだ信用することができていないからです。先生がこれまでのことを本心で言っているのか、はたまた嘘なのか。そして今は何の違和感もなく動いているこの体が、この先も動き続けることができるのか。先生のもとでもう少し様子を見させていただければ、判断することができるでしょう。
そしてもう1つが最大の理由なのですが、脳を取り出して別の体に移すという、この人知を超えた現象を、私は知りたい。私が記憶を失う前にどんな風に過ごしていたかはまだ思い出せませんが、普通に生きていたらこのような現象を目にすることは一生無いでしょう。私はこの好奇心を押さえられません。そのためならば、私の体を娘さんに差し上げても構いません。
助手となる人が増えることは、先生にとっても悪くない取引だと思います。いかがでしょうか。