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スパハニで解放者の「オタクに優しいギャル」


「オタクに優しいギャル」なんて概念が出来てもう15年は確実に経過している。
まああくまでエンタメ界隈で語られるのは吸血鬼やイエティと大差ない『幻想概念』に近いモノなのだが、これが妙に人気がある。
大体フレンドリーでエロいからぐらいのすっごいふわっとした理由で人気を稼いでいる気がしなくも無いが、僕も実は(基本眼鏡の文学少女や真面目少女好きではあるものの)この概念上の幻想、好きだったりする。
尤も僕の場合は「なんの躊躇も無く自分の領域に割り入ってきて、悪びれもせずに振り回し、義務的に抱いている碌でもない悩みを放り投げてくれる、自主性と行動力の化身」みたいなさらに輪をかけて夢みたいな幻想を抱いている訳だが。

ASD由来の繊細さんかつ完璧主義な僕にとって、他人にパーソナルスペース(特に自室)に踏み入られるのはそれだけで嫌なことだし、他人と時間感覚が決定的に噛み合わない訳なのだが(それで家族とよく揉める)、やっぱりそれを踏み越えてくれる人がいて欲しいと矛盾じみたことも感じる。
例えば朝からずっと部屋に籠もっていたとして、昼過ぎに自主性の化身みたいなギャルが部屋に押し入ってきて、何の呵責も無く居座って……僕のソファで本棚から取り出した百合漫画やらエリア88やらを何の気なしに読みながら、たまーに僕のパソコンの画面を覗き込んで「うわー、文章クドいわー。国語の教科書かよ」とか言ったり、ちょっかいかけてくれたら良い。

突然「一緒に遊びに行くべ」みたいな感じで、放っておいたらいつまでも部屋の中にしかいない僕を引っ張り出して一緒に遊んでくれたら、尚良いと思う。

そして僕の最大の悪癖――他人の言葉を真面目に受け取って考えすぎることによる精神疲労と、完璧主義由来の『正しさ』希求と、未就職のまま商業作家になってしまったという歪んだ経歴故の「成果と肩書きが無ければ生きている価値が無い」と言うナチス式社会優生思想の、脳HPとMP(精神ポイント)を三重に削ってくる厄介な思考をぶっ飛ばして、解放して欲しいんだ。

オタクをやっていると何が正しいのかわからなくなるときがある。
特に繊細さんと完璧主義を備えてしまった僕は、多分それが酷い傾向にありそうだ。
自他境界がグズグズのグチャグチャに溶けた閉鎖的なコミュニティのろくでもない奴がろくでもない事をしてくれたり、ネットの名探偵達による名推理(勿論皮肉だ)がSNSを駆け巡って色んな人々が事実無根のネガキャンを繰り広げたり、しょっちゅう戦争を呼びかけられては引いた立場から発言すると「創作者の癖に奴らに加担するのか」と言われたり、挙句それら様子を別方向から辛辣に非難されたり……。
そして結局それらを見て何が正しいのか殆ど義務的に考え出したら脳のHPとMPをガリガリ削ってくるし、しかもその考えすぎる行為がダイレクトに小説が書けなくなることに繋がって〆切に間に合わなくなり、発作的に「成果を出さなきゃ死んでしまえ」「頑張れなきゃ死んでしまえ」と自傷行為に走る。

そういう時に「うわー、半端に頭良いバカは悩みが多くて大変そうだわー」とか茶化して、僕を部屋から引きずり出して自分の趣味や買い物に付き合わせたり、僕が二の足踏んで見ないような映画に付き合わせたりして、散々振り回した後に「ウチより大人な癖にガキみてーな理由で死にたい死にたいとか言うなし。周りの言うこと全部聞いて何が正しいとか延々考えるとか小学生かよオメー。自分で何が正しいかくらいスパッと考えろ。悩むなバカ」とか頭叩かれながら言われて、救われたい。
あとついでに、ちょっとでも肯定されたい。

結局は僕は、オタクが完璧主義と身内への複雑な疚しさと無駄な生真面目さで作り上げたガラスの城をぶっ壊して、その中に居る奴を少しでも解放して肯定してくれるスパハニとして「オタクに優しいギャル」概念を持ち出してる訳だ。
というか、これだともうオタクに優しいギャルと言うより、僕に優しいギャルに近い。

もう傍から見れば気持ち悪いし都合の良い妄想や体の良い依存に見えるかもしれない。
でも僕はそういう人がいて欲しい。創作だけでもそういう子がいれば良いと思う訳なのだ。

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