ランチタイム・コンサート 原田節 二台オンド・マルトノの世界 ~市橋若菜を迎えて~
オンド・マルトノ二台のみ、他の楽器は一切なしという贅沢でマニアックなコンサートを堪能した。オンド・マルトノ自体初めて生で聴くという方が多い中、これでもかと二台で語りかけてくるのだからその衝撃は半端ない。
語りかけるというのは何ともしっくり来るフレーズだなと思う。演奏者の想いや心の状況はもちろん、人柄が直に伝わってくるのがオンド・マルトノの特徴だ。市橋若菜はトークの中で、原田のフレーズに呼応する過程を「こう来るか」とエンジョイしながら演奏していると話していた。
原田節、市橋若菜はフランスでジャンヌ・ロリオ(作曲家メシアンの義妹でもある)にオンドマルトノを師事した。原田は「同門ならではの安心感」を覚えると話し、弟子である市橋との「会話」に無我夢中の様子。まるで二人が暗号を使って秘密の会話をしているようなプログラムであった。事実オンド・マルトノは電気技師でもあったモリス・マルトノ氏が通信兵として第一次世界大戦に召集された時にインスパイアされた音がヒントで誕生した楽器である。
トリスタン・ミュライユの「マッハ2.5」がいきなりの一曲目。実はこの曲はオンドマルトノ二台バージョン、四台バージョン、六台バージョンがあるという。楽器が多くなると揃えるということに意識が集中し、秘密の会話という雰囲気ではなくなるかもしれない。それはそれでいつか拝聴してみたい。
オンド・マルトノ二台による会話は演劇のダイアローグのようだが、リズムがある程度決まっているのが音楽の特徴。定められたルールを背景に二人の音波が繰り広げる会話はなかなか面白い。ミュライユはパリ・コンセルバトワールで学ぶ前、経済学や政治学を学んでいた。原田節も経済学部出身。市橋若菜は千葉大の教育学部を経て大学院を修了した知性派。いわゆる音楽漬けではないバックグラウンドは、ちょっとした指さばきの中で観客にスパイスのようなサプライズを授ける。
個人的に可愛らしくて「好きだ!」と叫びたくなったのがリュック=アンドレ・マルセルの「ジャワの鳥」だ。この作曲家もまた音楽以外の世界をたくさん見て生きた人物。音楽はそれこそ独学で、ある意味業界のしがらみから自由であった。「ジャワの鳥」が書かれたのは1959年。当時真っ青な空を飛んでいた鳥たちが見た風景は、今のそれとはまるで違うだろう。しかし鳥が受け継ぐ軽やかで美しいDNAは今も変わらない。オンド・マルトノの上品な旋律が東南アジアの景色を見事に描く。
CDでも大人気の「白鳳讃」は2017年に作曲された原田節オリジナル。もともとは六重奏曲だが、今回は録音と共に演奏、国宝の銅造釈迦如来像を想う厳かな祈りの時間となった。この曲は音楽をこよなく愛した故 深大寺第88世住職、張堂完俊 天台宗大僧正による委嘱曲。「毎晩聴きながら休みます」とおっしゃった微笑みが忘れられない。終演後は多くの観客が興奮しながら「白鳳讃」に宇宙を感じたと話されていた。
右耳と左耳でわずかに異なる周波数を聴くことで癒し効果、痛み軽減を期待できるバイノーラルビート(binaural beats)をご存知だろうか?伊左治直による世界初演「歌おう、感電するほどの喜びを!」ではたまに私がお世話になっているこのバイノーラルビートを思い出した。
舞台の左右から二台のオンド・マルトノが語りかけてくる度に、身体の不調が改善されるかのような感覚。薬機法に違反したくないし、霊感商法でもないけれど、究極のリラクゼーションになったと個人的に感じたのは確かである。
アンコール、ダウランド(原田節 編)による『歌曲集 第二集』より「流れよ、我が涙」で脳内のα波は頂点に達した。オンド・マルトノは凄まじい楽器だなあと改めて思う。
原田節と市橋若菜による秘密の会話は、大きな変化の時を迎えているこの社会でどんな風に人類が生き残れるか、政治、経済、教育、医療、農業、様々な視点から相談していたのかもしれない。
ちなみに市橋若菜は著名な岐阜の市橋ローズナーセリー夫人。ジャンヌロリオ、イボンヌロリオ(ジャンヌの姉でメシアン夫人)という薔薇の品種まで世に送り出している。つまりあなたが知らないうちに、オンド・マルトノと共に育った薔薇が日本中でキラキラと輝いて私たちを見守っているわけだ。
弟子と一緒にステージで咲かせる大輪の花。師匠原田も喜びはひとしおだろう。
2024年02月17日(土)
静岡音楽館AOI
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