身近な死の匂い

街を歩いていると、どこからかお線香の香りがしました。

おばあちゃん家の匂いでおなじみお線香の匂いですが、今日はふと「あぁ、誰かを悼んでいる匂いなんだよな」と感じました。
線香の匂いがするということは、そこに仏壇があるということで、それはつまり誰かが亡くなっているということなんだな、というよく考えれば至極真っ当なことを感じました。

何を当たり前のことを、とお思いかもしれませんが、割と普段生活していると忘れがちな感情だと思います。
かの松尾芭蕉はカエルが池に飛び込む姿を目にして
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
と詠みましたが、そういった情動(現代風にいうならエモーション)は何かを感じよう、と思いながら散策しないと出会えない感情だなぁと感じます。
だからこそ短歌や俳句が流行った時代は美しく美化された印象があるのでしょう。
まずカエル飛び込んでるとこ見て「古池」側から攻めるのえぐい。

話を戻しますが、線香の匂いには、死が含まれることを想起し、
「海外では死に匂いはついているのか」と思いました。
このように他人にも分かるようにして死の匂いが広がるのは、世界的に見ると珍しい事象なのではないかと。
また、日本には死に音もあります。「鈴(りん)」もまた「おばあちゃん家の音」でおなじみ感のある音です。

季節を問わず、様々なタイミングで聞こえ、匂うこの二つの死は強く日本に浸透した行いです。
こういった小さな儀式の積み重ねが、「無宗教のはずなのに信心深い」と言われる日本を日本たらしめているのかもしれない
そんなことを考えた休日でした。

ちなみに線香の出自は中国のようです。日本ちゃうんかい。

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