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〈クリスタル・ミュージック〉試論——音楽の結晶的/鉱物的想像力を考えるためのディスクガイド

「何にしても人間よりは樹木の方が偉い。樹木よりも鉱物、それも水晶のようなものがいっそう偉いのだ。人間も早く鉱物のようになってしまったらよかろう。」  稲垣足穂「水晶物語」より

序 水晶の目覚め

批評集『進撃の巨人という神話』(Blueprint、2022年)への寄稿依頼があったので、この国民的人気マンガをちょっと斜交いに「結晶・鉱物的想像力」という視点で論じようと思い立ち、「水晶の官能、貝殻の記憶」と題した10000字の論攷を寄せた。このテクストを書きあげるなかで、バシュラール『大地と意志の夢想』『大地と休息の夢想』(ともに思潮社)、『幻想文学10号』の名特集「石の夢・石の花——鉱物幻想の世界」などなど、色々読み耽るなかでイマージュが膨らんでいき、〈クリスタル・ミュージック〉というジャンルがありうるのではないかと思うに至った。いわばこの記事は余談というか副産物である。

「透明なものは高位の状態にある…或る種の意識をもっているようだ」と喝破したドイツ・ロマン派の天才ノヴァーリスが喜びそうな鉱物崇拝的な幻想音楽、と言えばよいか。名著『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS)をパラパラ読むなかで、ニューエイジと或る部分では重なりつつも、やはり異なるジャンルと思った。個人的には「透明性」と同時に結晶・鉱物のもつ「硬さ」というのが最大のポイントで、ニューエイジの夢のように輪郭のない流動的サウンドとの差異は、おそらくこのあたりにある。

特に問題なのは「ニューエイジ」と括ることで自動的にオカルチャーと結びついてしまい、とくにオカルト志向でもないのになぜか瞑想性・神秘性・透明性をもっている鉱物性音楽が零れ落ちてしまうということだ(キュアー『セヴンティーン・セカンズ』やエコー&ザ・バニーメン『オーシャン・レイン』などのニューウェーヴ・ポストパンク系がそれ)。ガストン・バシュラールがニューエイジとクリスタルの両者を弁別するうえで、ヒントになりそうな記述を残している。

「われわれの夢そのものの中では、硬さのイマージュは一様に覚醒のイマージュであること、換言するなら、硬さは無意識の状態にとどまることができず、われわれの活動を要求するものだということを、もっと正確な手段で証明できるだろう。睡眠は、悪夢を見た場合でさえ、幻覚のなかに何か柔らかさがなければ続行できないようである…。人間は水の中でしかよく眠らないのである。硬い形態は、変形のみをこととする夢を停止させてしまう。」
ガストン・バシュラール『大地と意志の夢想』(思潮社)、82ページ。

なるほど、ニューエイジ・ヒーリング音楽とは概してウォーター・ミュージックである。包容力ある海のサウンドスケープを模したものが、いかに多いことか。とはいえクリスタル・ミュージックだって夢見る音楽だ——それも夢の「柔らかい」論理に矛盾するような、「硬い夢」を見させるのである……と、これ以上ダラダラ書いても飽きられそうだから、いきなり定義めいたものを思いつくままに列挙してみる(面倒な向きは読み飛ばして、ディスクガイドからざっと掴んでみて欲しい)。

【クリスタル・ミュージックの諸特性】
➊ガストン・バシュラールの言う「物質的想像力」に訴えかける詩的イマージュを誘うサウンド&ヴィジョン。水晶のもつ「透明さ、硬質さ、幾何学性、瞑想性、神秘性、ブルー」などを連想させなければならない。
➋とはいえニューエイジやヒーリング音楽とは必ずしも一致しない。クリスタル・ミュージックはニューエイジ音楽によくあるビートレス、あるいは音の輪郭のはっきりしないアンフォルメルなサウンドを嫌う。あくまで結晶構造的なフォルムを志向する(※ただしカメレオンズなど小さじ1、2杯程度のシューゲイザー的アンビギュエントの混入はむしろ鉱物幻想を強化する)
➌ニューエイジのヴェール(まやかし)を剥いだような、プラトン立体的な幾何学的エッジをもった硬質なギターリフ(例:キュアー、エコバニ)
➍夢想的・抒情的でありながらも、アンビエントな牧歌性を疑うシャープで覚醒的なリヴァーヴ・ギターないしシンセサイザーその他(例:ドゥルッティ・コラム、東海林修)
➎硬質なサウンドのさなかでも、ポストパンク的神経症に陥らないドリーミーでイノセントなヴォーカル(例:コクトー・ツインズ)。声自体が鉱物化しているのがニコ。
➏水晶を模してたんに無機質でミニマルな構造であればよいというのでもなく、そのシンプルな構造の不思議さ・神秘・驚異から「イデア界」を連想させるごとき幻想の鉱物音楽。
➐「鉱物は生殖しない」(松岡正剛)ので音楽的にセックスは強調されない。ただし「無機的なもののセックス・アピール」(ヴァルター・ベンヤミン)は容認される。
➑サウンド、ジャケット、タイトルなどを綜合・積分して美的にクリスタルかが重要。視覚と聴覚のコレスポンダンスなきクリスタル・ミュージックは詩的イマージュにおいてグレードが落ちる。(例:久石譲『キッズ・リターン』)
➒水晶は自然界に当たり前のように存在するから驚異であるように、ことさらに技巧的・作為的な幾何学構造は「不純」と見なされる。大方のプログレが「クリスタル」をタイトルにもってたりジャケに水晶が映ってるのに該当しないのは、そのため。(例:Asia、チック・コリア)
❿ヴィブラフォン的なキラキラ系サウンドによる水晶的雰囲気づくりが成功している場合、ビートレスでフォルムレスな音もクリスタル認定される。

以上すべての条件をクリアしている音楽は珍しく、このうちの複数に該当するものを〈クリスタル・ミュージック〉と呼びならわしていく。例外も出て来るかもしれない。しかしそれは「試論」の定めであり、ディスクガイドとして示すことによって感覚的・ポエジー的に伝わることを祈る。ひとまず、既成ジャンル毎に〈クリスタル・ミュージック〉の所在を探っていこう。

Ⅰ ネオアコ、ゴス、ダークウェーヴ

The Durutti Column - Sex and Death (Factory, 1994)

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ファクトリー所属でジョイ・ディヴィジョンのかつてのレーベルメイト。ヴィニ・ライリーのリヴァーヴのきいた深みある、さらにフラメンコ的な哀愁を漂わせつつも蒼くエヴァ―グリーンなギターはクリスタル・ミュージックの至高点。他にも『Rebellion』など幾つかクリスタルに該当する作品はあるのだが、とりわけジャケットの水晶的静謐から本作を選んだ。トラック1「Anthony」、トラック3「For Colette」、トラック8「Fermina」、トラック9「Where I Should Be」に特にクリスタルを感じる。

The Chameleons - Script of the Bridge (Statik, 1983)

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ポストパンク、ときにゴスに括られることもあるバンドだが、個人的にはシューゲイザーへの比較的早い予兆となっている気がする。一般的にシューゲイザー(と言っても色々あるが)の曖昧模糊としたサウンドはクリスタルのソリッドさを欠いているが、カメレオンズはキュアーに通じるタイトなフォルムへの志向を併せもつ。セカンドアルバム『What Does Anything Mean? Basically』も同様にクリスタルミュージックの至宝(とりわけトラック2「Perfume Garden」)だが、超現実で鉱物主義な青いジャケットが内容と共振している点で本作を選んだ。

The Cure - Seventeen Seconds (Fiction, 1980)

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キュアーの「硬い夢」を見るようなギターサウンドにクリスタルを聴く。特に本作『Seventeen Seconds』はバンド・アンサンブルがソリッドでタイトでミニマルな、一切の色彩を捨象したキュアー史上最大の無機質世界。トラック1「A Reflection」は見る者を映し出す水晶の反射/内省作用を音楽化したもの(?)。

Cocteau Twins - Treasure (4AD, 1984)

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『幻想文学10号』特集「石の夢・石の花——鉱物幻想の世界」で、田中浩一はディス・モータル・コイルのサウンドを「鉱物質のマニエリスム」と形容し先見の明を示したが、個人的には4ADレーベルではコクトー・ツインズの本作が突出して結晶・鉱物的想像力を誇っている。ゴスロックに分類されるものの、キュアーの『セブンティーン・セカンズ』の無色透明な世界に対して、本作は多彩なきらめきを感じさせる宝石ポップネスもある。

Clan of Xymox - Medusa (4AD, 1986)

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オランダ出身の4ADゴスバンド。見る者を石に変えるメデューサ神話をもとにしているが、まさに本作は聞いた者を石、鉱物、水晶に変えてしまうダークウェーヴの傑作。以前、このアルバムに関してはコラムを書いてるので詳細はそちらで。

Echo and the Bunnymen - Ocean Rain (Korova, 1984)

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『Crocodiles』の森、『Heaven Up Here』の海辺、『Porcupine』の雪山と言った具合にエコバニのジャケ背景に見られる自然崇拝は、この最高傑作で英国のカーングレイズ人工洞窟の鉱物世界に達した。トラック3のタイトルは「Crystal Days」である。しかし本作最大の名曲「The Killing Moon」にとどめを刺す。中世までのヨーロッパ占星術は、地下の宝石のそれぞれを、宇宙の天体それぞれと結びつけていた。その記憶が掘り返されるようだ。

Felt - Crumbling the Antiseptic Beauty (Cherry Red, 1984)

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『腐敗せざる美の崩壊』と題された本作はネオアコ派クリスタルミュージックの極北である。ジャケ写のローレンスはJ・G・バラード『結晶世界』のごとく、早くも体が凍り付きクリスタル化を始めているようだ。トラック1「Evergreen Dazed」は水晶の「硬さ」が同時にあわせもつ「もろさ・儚さ」を暴き立てたギター・インストゥルメンタルの傑作。バシュラールは「硬さはそれ自体見る者のサディズムを掻き立てる」と『大地と意志の夢想』のなかに書いた。クリスタル・ミュージックが孕むヴァルネラビリティーを刺激するのが青春憧憬的なる本作。ダイヤモンドは叩き壊して「崩壊」していく様も美しい。

Lycia - Cold (Projekt, 1996)

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US産ダークウェーヴ。サム・ローゼンタールが主宰するProjektレーベルの雄。クリスタル・ミュージック特有のソリッドさやタイトさにはやや欠ける朦朧なサウンドながら、ダークウェーヴやコールドウェーヴと呼ばれるジャンルには言語にしがたい鉱物質な「硬さ」があるように思う。

Ⅱ クラウトロック・エレクトロニカ・シンセサイザー音楽

Klaus Schulze - In Blue (ZYX, 1995)

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タンジェリン・ドリームとアシュ・ラ・テンペルの活動でも知られるベルリン出身のエレクトロニクス奏者&ドラマー。『In Blue』は「青」をテーマにした一作で、トラック1「Into the Blue」のシンセサイザーはトマス・コナーのドローン・アンビエント作品のような、殺伐とした永久凍土の風を感じさせる。アイスキューブを詰めたようなアルバムジャケットだが、シュルツには『Timbres of Ice』という作品もあって、「青」に結びついた「氷」は彼の愛する結晶イマージュのようだ。

Ashra - Correlations (Virgin, 1979)

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フェラチオ・ミーツ・クリスタル(?)。マニュエル・ゲッチングを入れるのは悩んだが、トラック1「Ice Train」に引っ張られたかもしれない。この時期はLutz UlbrichとHarald Grosskopfとのトリオによるバンド編成。クリスタルと呼ぶにはややダンスチューニングされすぎていて、トランス性は高いが夢想性は低い。とはいえ冒頭に掲げたクリスタル音楽のもつ「硬い夢」とは、ヒプノシスのストーム・ソーガソンが手がけたこのジャケットのことではないだろうか。

Tim Blake - Crystal Machine (Egg Records, 1977)

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GongやHawkwindでシンセサイザーを担当していたミュージシャンによるソロデビュー作。これは名著『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』に教わった一枚だったりする。タンジェリン・ドリームやクラスターなどクラウトロック勢の影響が濃厚に感じられるが、何よりタイトルとジャケが〈クリスタル〉である。

東海林修『闍多迦』(Warner Bros, 1978)

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ROLAND SYSTEM 700を使用したシンセ・クリスタル音楽。ジャケット的にはピンク・フロイド『狂気』を幾分模倣しつつも、こちらこそが真正の「透明性」と「瞑想性」をもっている。フロイドでは理に勝ちすぎ、かつ「柔らかい」のだ。

Aphex Twins - Selected Ambient Works 85-92 (Apollo, 1992)

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トラック1「Xtal」が(マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとの同時代的共振も感じさせつつ)エレクトロニカ時代のクリスタル・ミュージックのあり方を決定した。サイモン・レイノルズはこのメロディーを「エリック・サティ風」と評したが、ではサティの音楽はクリスタルであろうか? 今後の課題である。ボーズ・オブ・カナダ『Music Has the Right to Children』も「電子水晶」に認定。

Ⅲ シンセポップ、ドリームポップ、ヴェイパーウェーヴ、ニューエイジ

Johnny Jewel - Digital Rain (Italians Do It Better, 2018)

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ニコラス・ウィンディング・レフン監督『ドライヴ』のサントラで一躍有名になったクロマティックスのメンバーにして、「ジュエル(宝石)」を名乗る鉱物的人間ジョニー・ジュエルによる、ドラム、ヴォーカル、ギター不在の氷のアンビエント系ソロ電子音楽。なんといってもジャケが見る者を「物質的想像力」(バシュラール)へいざなう。彼の主宰するイタリアンズ・ドゥー・イット・ベターという優れたシンセポップ系レーベルにはdesireを筆頭に〈クリスタル・ミュージック〉が多い。

Symmetry - Themes for an Imaginary Film (Italians do It Better, 2011)

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こちらもイタリアンズ・ドゥー・イット・ベターより。シンセポップの機械的反復性が、ジャケの水晶のような神秘主義的・一元論的な球体幻想に徐々に彫琢されていく過程のエロティクス。「架空映画のためのテーマ曲」とあるが、映画『ドライヴ』のサントラでもいいくらいだ。

2814 - Rain Temple (Dream Catalogue, 2016)

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ホンコン・エクスプレス&テレパスによるヴェイパーウェーヴ系ユニット。「ドリームパンク」なる得体のしれないジャンルにカテゴライズされているが、ジャケの水晶玉オブジェが象徴するよう神秘的で冷ややかな〈クリスタル・ミュージック〉である。短いメロディーを何度もループさせる手法をウィリアム・バシンスキの『Disintegration Loops』と比較する論者も。

Iasos - Liquid Crystal Love (No Label, 1991)

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Iasosはギリシア生まれで、その後アメリカに移り住んだニューエイジ音楽の始祖とされる人物。本作は「液状化」と「クリスタル」という矛盾から成り立つアルバム名をもつ。リキッドなだけに構造的なビートもリズムもなくひたすらにアンビエントであるが、単なるウォーター・ミュージックではない冷ややかな水晶の光を同時に放っている。「硬さ」がないニューエイジのなかに、時折聞かれるこうした「液状化クリスタル現象」について、論理的に語ることは難しい。バシュラールの詩的イマージュが、音楽批評に必要な理由でもある。

Ⅳ ソロシンガー

Nico - The Frozen Borderline: 1968-1970 (Rhino, 2007)

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ニコは死のクリスタル・ディーヴァである。このジャケットは水晶のもつ〈鏡〉と〈死〉の相互遊動するエロチックなイマージュを濃厚に映し出している。名盤『マーブル・インデックス』と『デザートショア』の二作品をコンパイルした二枚組だが、アウトテイク集・デモ音源などもふんだんに収録されていて入門にも最適。個人的にはニコの主演映画であるフィリップ・ガレルの『内なる傷跡』を併せ見てもらえれば、なぜ彼女がメイド・オブ・クリスタルなのかよくわかるだろう。彼女は声というか存在自体が鉱物的である。

Nick Drake - Pink Moon (Island, 1972)

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動物、あまつさえ木石さえもその歌声と演奏によって心動かしたとされるのが神話のオルフェウスであるが、ニック・ドレイクには鉱物や水晶、ピンクの月に語り掛けるようなフラジャイルな感性がある(それゆえ自殺した)。バート・ヤンシュの技巧でも、シド・バレットの狂気でも、ティム・バックリーの夢想でも及ばない、英国シンガーソングライターの至高点にあるクリスタル・フォーク・ミュージック。

Chet Baker - The Best of Chet Baker Sings (Pacific Jazz, 1989)

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トランぺッターからヴォーカリストに転じたチェット・ベイカーの声を〈クリスタル・ミュージック〉と捉える視点は、実はデイヴィッド・トゥープの名著『音の海——エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・サウンド』(水声社)に教わった。8章「変成状態Ⅲ 結晶世界」に以下のような記述がある。「チェット・ベイカーの内気さは彼の魅力でもあった。ピアニストのビル・エヴァンスが禅に通じる透明な静けさでメランコリックな音を醸したように、メディアの大騒ぎとは別にチェット・ベイカーにも輝く資質があった」。この「輝く資質」が黙せるクリスタルの輝きでなくて何なのか? チェットの伝記映画のタイトル「ブルーに生まれついて」は、彼がノヴァーリスの『青い花』の無限憧憬の夢想者につらなることを示す。

Ⅴ 現代音楽・ミニマリズム

Steve Reich - Music for a Large Ensemble (1978)

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「クリスタルのような反復構造」という点からすれば、おおかたのミニマル・ミュージックがあてはまってしまいそうだが、まったくそうではない。ラモンテ・ヤングのインド音楽由来のドローン・サイケデリアではクリスタルの「硬さ」が損なわれてしまう、と言った具合。ライヒのとりわけ有名な本作は『哲子の部屋』という番組に千葉雅也が出演した際、ドゥルーズの紹介VTRの際に流された。ドゥルーズ哲学の「差異と反復」「クリスタル・イメージ」といったキーワードは、〈クリスタル・ミュージック〉にとっても多大なインスピレーションを与える。

Terry Riley - In C (CBS Records, 1968)

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「ミニマルといえばこの一枚」という本作が紛れもない〈クリスタル・ミュージック〉であることは喜ばしい。のちにStefano Scodanibbioと『Diamond Fiddle Language』というアルバムも作成するライリーであるから、鉱物的な硬さのイマージュは彼のミニマルに内包されているのかもしれない。ラモンテのドローンもトランス効果があるが、53の断片化されたフレーズが乱反射を起こしたような『In C』の、砕かれたダイヤモンドのような煌めきは「鉱物的トランス」をもたらす。

Ⅵ プログレ・ジャズ

Yes- Relayer (Atlanttic, 1974)

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ミュージシャンのグレッグ・デイヴィスによる『Crystal Vibrations』というニューエイジ音楽紹介のMP3サイトがかつてあったらしいが、トラック1「Gates of Delirium」イントロの超微細な顫動音にこそ「クリスタル・ヴァイブレーション」を感じる(ジャケも結晶世界のようだ)。リック・ウェイクマン脱退直後で、イエス的には駄作と貶められることも多い本作だが、個人的には一番好き。トルストイ『戦争と平和』を基にしているらしいが、聞かなかったことにしている。

Bill Evans & George Russell - Living Time (1972)

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『アローン』という初ソロ作のタイトルに顕著なように、ビル・エヴァンスのピアノプレイは常に孤独で静謐である。『Kind of Blue』のライナーノーツで禅思想からの影響を公言しているエヴァンスであるから、その静けさは禅的クリスタルだ。本作は当時人気絶頂のエヴァンスがCBS移籍後に発表した第一作。ジョージ・ラッセル指揮のオーケストラに合わせてエヴァンスがピアノを弾く本作を、ジャケの水晶イメージも加味して選んでみた。一曲目の「EventⅠ」を聴くと、チック・コリアの「なんちゃってクリスタル」との差が明白だ。

Bill Evans - Affinity (Warner Bros., 1978)

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「1ミュージシャンにつき1枚」を心がけてきたが、ここで規則を破らせてもらう。ビル・エヴァンスがベルギーのハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンスと共演した一枚。エヴァンスのローズ・ピアノのクリスタル性は言うまでもないが、それを視覚的になぞるような「鉱物化したピアノ」の画像は象徴的だ。後述するCyrille Verdeaux 『Qui va piano va sano』ジャケの「液状化するピアノ」という陳腐なイメージの対極である。

沖至『ミラージュ』(1977)

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水晶のもつアブストラクトな美をジャズに置き換えたようなサウンド(とりわけトラック1「チトン通り11」における加古隆のピアノのアブストラクトな演奏!)。ジャケの石燈籠を見て、澁澤龍彥訳のマンディアルグ『大理石』を読みたくならないような人間にクリスタル・ミュージックは理解できない。

Ⅶ サントラ・イメージアルバム

笹路正徳『クリスタル☆ドラゴン』(Columbia, 1984)

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国産ニューウェーヴ/プログレバンド・マライアのサックス奏者による、あしべゆうほ原作のファンタジーマンガのイメージ・アルバム。シンセサイザーによって音楽化された北欧・ケルト的世界観。同様に「ドラゴン」と「クリスタル」のイメージのはずなのに、Asia『詠時感〜時へのロマン』はなぜあそこまでダサいのか……。

久石譲『キッズ・リターン』(Polydor, 1996年)

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青春と水晶には、その透明性や不器用な硬さ(と同時に儚さ)からイマージュ的に強い結びつきがあるかもしれない(ノヴァーリス『青い花』がまさにそこを突いた)。ノリのいいユーロビートをベースに、久石譲のエモーショナルでブリリアントなメロディーセンスが輝く不滅の傑作サントラ。トラック1「Meet Again」とラストの「Kids Return」はその永劫回帰的タイトルの妙もあってとりわけ至宝。バシュラールが「サファイアは青空をその中に秘めている」といった意味で、北野映画の「ブルー」をこの2曲は内包している。以下は久石のインタヴューより。「”ミニマル”っぽいやつね。あれは、すごく苦労しました。ヤマハのVP-1とVL-1に、いくつか音色をブレンドして、あの空気感が出るまでやってみたんです。だから、あれを聴いた人はなかなか打ち込みとは思わないと思う。」

Ⅷ 似非クリスタル

Novalis - Novalis (Green Brain, 1975)

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「あらゆる透明体は一種の意識を持っているようだ」と喝破したドイツロマン派の天才ノヴァーリスにその名が由来するドイツのプログレバンドで、ジャケ下部の横たわる聖母(?)への川端康成的な不能性の水晶エロチクスにも拘わらず、サウンドは初っ端からクリスタルからは程遠いチープなシンセ音にぶっといベースが疾駆する。これでは瞑想にも夢想にも誘わない。ナチのクリスタル・ナハト同様に、水晶の眠りを妨げる者は野蛮である。しかしトラック3「Dronsz」、トラック4「Impressionen」は紛れもなくクリスタル・ミュージックである。

Cyrille Verdeaux - Qui va piano va sano (2011)

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フランスの変態プログレバンドClearlightのピアニスト、シリル・ヴェルドーによるピアノソロ作。トラック3「Songe de Cristal」に騙されてはいけない。この流麗なピアノ作品はクリスタルが溶解したアクア・ミュージックである。ジャケの球体も結晶体ではなく液体である。流れゆくバロック的イメジャリーを喚起するピアノ演奏(※一般に「水中のピアノ」というクリシェなイマージュのなんと多いことよ!)はいかにして鉱物化しうるか。これは深い問いである。

Gary Burton & Chick Corea - Crystal Silence (ECM, 1973)

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「ゲイリー・バートンのヴィブラフォンとチック・コリアのピアノが繊細なクリスタルの静寂を表現した」と某サイトにある。しかしクリスタルの結晶構造は「自然の」驚異なのであって、これはあまりにも「作為」や「変化の相」がありすぎて、水晶の静謐なイノセンスを穢している。チック・コリアは『リターン・トゥ・フォーエヴェー』にせよ清浄な〈青〉のクリスタル・イマージュを好む。それらは涼味を呼び起こし夏の昭和レトロな風鈴にはなろうが、水晶の神秘的夢想からは程遠い。

クリスタル・キング「大都会」(キャニオンレコード、1979年)

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なんちゃって、クリスタル。〈クリスタル・ミュージック〉は昭和カラオケ大会の懐メロ式ノスタルジーを否定する。柴田恭兵「なんとなく、クリスタル」も同様の理由から却下。

跋 水晶の眠り

というわけでざっと紹介してみました(硬質な水晶化が溶けて文体も「です・ます調」の柔らかさへ回帰)。まだ論理的に未整理段階なので、感覚的に理解してもらえると幸いです。「この並びだったらこれもクリスタルでは? いやこれは違うのでは?」という気づきがあったら、ぜひお知らせください。クリスタル・ミュージック審議会(全メンバー=俺only)に掛け合って、ディスクガイドに追加したり・削ったりするかもしれません。

【補足】
2021.12.31. 公開
2022.2.15. 「水晶の官能、貝殻の記憶」を寄稿した『進撃の巨人という神話』発売記念に、加筆。デヴィッド・トゥープ『音の海』(水声社)の8章「結晶世界」をベースに、ミニマリズム・現代音楽・ジャズ界隈の〈クリスタル・ミュージック〉を追加で選盤してます。

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