数字は生き物――識字障害のわたし 1
子供のころから計算が苦手だった。どんな時に公式を使えば問題が解けるかも分かるし、文章題の意味を取り違えることもない。中学のころ、数学的発想ができていると教師から褒められたことすらある。
それなのに、なぜか計算ができない。足し算とか、引き算とか単純な計算が、だ。
あまりにも計算ができないので、親に連れられ公文のお試し入会をしたこともある。当時小学校5年生だった私は、あまりにも計算ができなかったため2年生の計算問題をやらされた。
ただ、これには問題があった。わたしは計算のやり方はわかるのだ。繰り上がりも繰り下がりも、理解しているのに答えが合わないだけなのだ。というわけで、学年を落として計算練習をしたって無意味なのだ。ただ、ガキのプライドがズタズタになって終わりだ。
子ども心が自尊心と折り合いをつけ、「今は誰も手計算なんてしない。電卓がある」とうそぶくようになった。
社会人になると、電卓を叩く機会が爆発的に増えた。最初、経理の仕事をさせられたからだ。これがもう地獄だった。何度やっても計算が合わない。小分けにして一回で計算する範囲を狭め、合算するようにしも計算が合わない。
だから「2回同じ答えが出たら〇」みたいな考えで凌いでいた。全く自身の計算結果に自信が持てない。そんなふうだから、仕事は長続きしなかった。
自分からは怪電波が出て、電卓を狂わせると思っていたふしもある。
あまりにも数字を間違えるので、「4と7」と「6と9」をよく間違えることに気づくこともできた。「477」を「447」と読んだりするのだ。「15-9」の引き算が「15-6」のようにみえたりもするわけだが、100%こう間違えるという規則などあるわけもない。さらに、9が8に見えていたり、2と3を見誤ったり、1と4を混同したりもしていただろう。
数字は見るたびに変わるものだから、計算結果が違っても当然なのだ。
正直なことを言えば、何も数字に限ったことじゃない。見間違いはアルファベットでも起こる。特にブロック体は読み違うこと夥しかった。だから、中学一年の英語が鬼門だった。中学二年の段階で落ちこぼれといわれたが、ヒアリングの成績だけは異常に良かった。だから、身の程知らずとか受験料を捨てるようなものといわれた英検三級に中学三年の時に合格したりしもした。
反面、勉強ができるくせに、学校の授業を「サボっている」とも認定された。まぁ、これについては、実際に勉強していなかったので何も言うまい。
今では「発達障害」や「識字障害」という言葉が広く認知されるようになっているが、当時そのような言葉は一般的ではなかった。
だから、識字障害のわたしは「そそっかしい」とか「手を抜いている」とか、そういう「ダメなヤツ」として親にすら認識されていた。
自ら識字障害と気づくのには、もう少し時間がかかったのだ。