子犬のワルツ
絵を描くのが好きだった。
最初の記憶は、幼稚園のお絵描きの時間。
うさぎを描いていた時に、後ろ脚が上手く描けなかった。
どうなってるのかよくわからなくて、何度も描き直して、やっと納得いく線が描けた時、世界が少し明るくなった気がした。嬉しかったのだ。
小学生の時、夏休みの宿題で朝顔を描いた。
趣味で油絵もしていた絵の上手い祖母に褒められた。
凄く嬉しくて、誇らしくて、暫くは朝顔ばかり描いていた。
私の周りには常に自分より絵の上手い子がいて、一番になったことはなかった。
それは私にとってはとても良い環境で、驕ることなく常に目標を持ってストイックでいる事ができた。
いつか漫画家やイラストレーターになりたい。
そのための努力はなんでもしたい。
ずっと絵を描いていたい。
画家になれるほどオリジナリティはない、私には凡人である強烈な自覚があった。
美大に行っても絵で食べていける可能性は低いと早々に見切りをつけ、専門学校に進もうと中2の頃には決めていた。
描きたい絵で認められたい気持ちはもちろんあったが、とにかく絵を仕事にしたかったのだ。
専門時代はとにかく忙しくて、日々の課題とバイトに追われていた。でもこれを乗り切らなければ絵で食べていくなんて出来るわけがないと何とか食らいついた。
大変だったけど楽しかった。
相変わらず私の周りには信じられないくらい絵が上手く、デザインの能力も高く、仕上げも早い人達がうじゃうじゃいた。
折られる程の高い鼻は持っていなかったのが幸いした。
入学から半年後にはクラスメイトは5人ほど辞めていた。
私は何が何でも絵の仕事がしたかった。
結果として、それを利用されて私はゴミ男の手に落ちてしまった。
ひたすらに日常を取り戻すため治療に明け暮れ、あらゆる物や事を諦め、
少しでも楽しい日々にしようと奥歯が削れる勢いで歯を食いしばって生きてきた。
私にとってのキャリアはPTSDとの戦いだった。
でもそれは履歴書にも、ポートレートにもならない。
他人には白紙なのだ。
それでも好きな絵を好きな時に描いて、それでいいと思えるようになってきた。
訓練でそう思えるようにした。
大きな書店で、好きな作家さんが参加するイベントがやっていた。
近々行こうかな、と、イベントの詳細を見ると、そこには他にも数名の参加クリエイターが紹介されていた。
好きな作家ばかりだった。
その中に、専門学校の同期がいた。
当時から優秀だった。
数年前に同窓会に誘われた時、幹事もしていた。
順調にキャリアを積んでいるのも知っていた。
こういった場で名前を見かける日も遠くないと感じていた。
努力で得た場だ。喜ばしい事だ。同期として誇らしい。
私は今も絵を描いている。
病気と闘い始めた頃は絵も描けないくらい病状は酷かった。クズ男の記憶がフラッシュバックして筆が持てなかった。
それを考えると、本当によく頑張ったし目を見張るものがある。
でも、この頑張りが病気じゃなくて仕事に向けられていたら、私もあの場所にいられたかも知れない。
あの場じゃなくても、仕事をしてそれなりに評価を受けて、履歴書にも、2023年のポートレートも、キャリアも積めていたかもしれない。
わかってる。ifには意味がない。
今ここにある現実しかない。
それが無意味でもない。
私は最大限の努力をして、殆ど最短でここまできた。
誰にも負けないくらい頑張ってきた自負もある。
でも、だから、だからこそ、ここまで頑張れる私だからこそ、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて
悔しいよ。
私もっと、上手くなれるんだよ。もっと出来たよ。今よりもっと、もっともっと、もっと
久しぶりに声を出して泣いてしまった。
今からでも間に合うとか、出来る事をしようとか、そういうのは、間に合ってる。
私はいつだって最大限の努力をしてる。出来る事はしてる。出来る事をしてる。出来るようになるようにしてる。
この悔しさがわかる人なんていない。だってこれは私の悔しさだから。誰にもわかって欲しいと思わない。
ただ、悔しかったね、でいい。それ以外は要らない。必要ない。
私がこの悔しさをバネに出来る日が必ず来る。
私はそれを知っている。
私は強い、逞しい、転んでもただでは起きない。
この気持ちをバネに出来る日まで、少し泣いていいよ、わたし。