戦争のきっかけ
こんばんは、ハリーです
ただいま世界情勢がキナ臭くなってきましたね…
今年入ってからの主な出来事だけでも、
1/1…北朝鮮核・ICBM実験再開宣言
2日…台湾参謀総長墜落死
3日…ソレイマニ司令官殺害
4日…リビア士官学校攻撃
5日…駐イラク米大使館攻撃/ケニア米軍基地攻撃
と、毎日のように世界を揺るがすニュースが立て続けに起きていますね((( ;゚Д゚)))
そのためかtwitterでも#第三次世界大戦や#WWⅢがトレンドに上がっているのだとか
ただ大統領選挙で二期目を狙うアメリカ大統領って支持率を取り付けるため強硬な手段に出ることが多いんです(-_-;)
例えば'04年に大統領選を控えたジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は'03年12月にフセインを逮捕したり、'12年に大統領選を迎えるバラク・オバマ大統領(当時)も前年の'11年にビンラディンの殺害を命令・実行し、大統領再選を果たしました
そして今年11月にはアメリカ大統領選が行われます。二期目を目指すトランプ大統領は再選に向けたアピール、支持率確保の思惑があるのでしょう
なので私は事が大きくなるとしても湾岸戦争やイラク戦争程度に収まり、全世界を巻き込んだ形にはならないと思います。トランプ大統領だってそこまで考えているとは思い辛いですし
とはいえ、自らの支持率アップのため戦争や対立を利用することは歴史上ままあります。その中には、「こんな理由で開戦したの!?」というのもあります
今回は意外な理由で起こった戦争について触れたいと思います
1.アヘン戦争(1840年〜1842年)
*アヘン戦争の様子(Wikipediaより)
教科書に載っているので知っている方も多いと思います
この戦争をざっくり説明すると、
清(現・中国)から銀を獲得するためインドで栽培したアヘン(麻薬)を清へ売りさばき、怒った清が取締を強化すると逆ギレして清と開戦しました
あまりにも理由が理由なので、
「たしかに中国人には愚かな大言壮語と高慢の癖があり、しかも、それは度を超しています。しかし、正義は中国人側にあるのです。異教徒で半文明的な野蛮人たる中国人側に正義があり、他方のわが啓蒙され文明的なクリスチャン側は、正義にも信仰にももとる目的を遂行しようとしているのであります。」(2013近藤)
と反対した議員もいたのだけれど(にしても随分と失礼な言い方!)、結局271対262票で開戦が決定しちゃうのよね
ちなみに、清が押収したアヘンの量は1400トン
これはもう、犯罪国家ですわ(確信)
2.ポーランド侵攻(1939年)
*ポーランド侵攻の侵攻図(Wikipediaより)
1933年、ドイツの政権を掌握したヒトラーとナチ党はオーストリア、チェコスロヴァキアなど周辺諸国を併合し、最終段階として1939年、ポーランドに旧ドイツ領でドイツ人が多く住むダンツィヒの割譲を要求します
*1920年当時の地図。赤がドイツ、右の大きい肌色がソ連。その中央にある白い国がポーランドで海に面した「Danzig」がダンツィヒ(Wikipediaより)
しかしポーランドとしても唯一の港湾都市であるダンツィヒを譲る訳には行かず、交渉は決裂します
では…とポーランド侵略の準備を始めるナチスですが、侵略にはそれなりの大義名分が必要です
しかしポーランドは慎重に行動し、隙を見せません
なら…とナチスが考えたのは
なんと自作自演で事件を起こし、それをポーランドのせいにしてやろうという作戦
まずドイツとポーランドの国境近くにある村のラジオ局にアルフレート・ナウヨックス率いるナチス特殊部隊が訪れ、ポーランド住民を扇動する趣旨の放送を行い、続いてゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に逮捕されていた人物を殺害し、彼にポーランド兵の服装をさせ局前に放置することで、ポーランドがラジオ局の占拠を試みたというストーリーをでっち上げたのです
この他21箇所で、放火事件や偽のプロパガンダを自演し、ヒトラーはドイツ議会でこの問題を取り上げ、ポーランド侵攻の口実としたのです
結果9月にナチスはポーランドへ侵攻、これにイギリス、フランスがドイツへ宣戦布告し、第二次世界大戦の幕が落とされるのです
ちなみにこの時期、世界ではソ連が「向こうから砲撃されソ連兵13名が死んだんですけど!?」と言ってフィンランドに侵攻し(冬戦争、1939年〜1940年)
日本も「あいつら勝手に発砲してきやがった!」と盧溝橋事件を起こして二中戦争を始める(1937年)んですから
この当時は「自作自演」が世界のトレンドだった…?
3.豚戦争(1859年)
1859年6月15日
北アメリカ・サンファン島の牧場従業員の豚が隣の農夫の畑を荒らし、怒った農夫によって豚が射殺される事件がおきました
*赤丸で囲った部分がサンファン諸島。カナダ最大の都市ヴァンクーバーの近く
農夫は豚の飼い主に対し慰謝料10$を提案しますが、飼い主は100$を要求
収拾がつかなくなり、両者とも公的機関に訴訟を起こします
ですが、このサンファン島、当時カナダを支配していたイギリスとアメリカの間で領有権争いがあった土地であり、
*英米両国が主張する国境線(Wikipediaより)
しかも豚の飼い主はアイルランド人、農夫はアメリカ人だからさあ大変
アメリカは自国民の保護を理由にサンファン島に派兵し同島を占拠
イギリスも対抗して軍艦5隻を投入し、一触即発の事態になります
ですが当時アメリカは南北戦争(1861年〜1865年)前夜でありそれどころじゃないのと、
イギリスも植民地総督からの攻撃命令を「バカげている」とイギリス海軍司令官が一蹴したり
ずっとにらめっこしている状況が何年も続きました
そのうちイギリス兵とアメリカ兵で運動会を開いたりバーベキューしたりして交友を深め
そして1872年、ドイツの仲介により、サンファン諸島の領有権はアメリカに属することをイギリスも承諾し、この戦争は終結しましたとさ
ちなみに豚の一件がどうなったかは分かりませんでした。そっちのほうが気になる…
なお1906年に、オーストリア=ハンガリー帝国とセルビア王国の間で起こった貿易戦争も「豚戦争」と呼ばれます
これは親オーストリア派だった王家が倒され、親ロシア派の国王が誕生した報復として、オーストリアがセルビアへの主要輸出品に禁止関税をかけたものです
*1914年当時の地図。中央茶色の「AUSTRIA-HUNGARY」の左下薄緑が「SERBIA」セルビア(Wikipediaより)
ですがこれはセルビアに輸出の販路拡大を促進させるチャンスとなり、オーストリアの失態となったばかりか、セルビア国内に反オーストリア感情を植え付けサラエボ事件、ひいては第一次世界大戦の引き金になるのです
4.呉楚戦争(春秋時代)
*春秋時代(紀元前8〜5世紀)の地図。中央下の緑の国が「楚」右の海に面した水色の国が「呉」
紀元前6世紀、呉と楚の国境を挟んで2つの村がありました
あるとき、桑の葉をめぐって、2つの村の少年たちが喧嘩を始めます
そして子供の喧嘩は親同士の喧嘩に発展し、とうとう呉の村の家が楚の村の人間によって焼かれてしまいました
これを受けて、呉の村を統治している郡主は楚の村へ攻め込みます
呉攻撃の報を聞いた楚の国王は、軍隊を率いて呉のその村を全滅させました
さらにその報復で、今度は呉の国王が軍勢を率いて国境の楚の城を陥落させました
てな訳で、子供の喧嘩がきっかけで呉と楚は戦争状態に入ります
しかし呉と楚では楚のほうが多くの小国を従えており、呉は劣勢でした
ここで呉の国王の甥である公子光という人物が進言します
「楚の小国は楚を恐れて服従しているだけです。小国の王は年少か老齢で政治が不安定であり、楚に不満をもっている国もあります
同時に楚も、カリスマだった宰相が亡くなりガタガタです。ここは年少と老齢の国王がいる小国を攻めて、揺さぶりをかけましょう」
この意見を採用したところ、案の定楚軍は崩壊し、呉は大勝しました
余談ですがこの後楚王が死亡し、幼い王が即位したのを見て呉王は王子を楚へ派兵します
これをチャンスを見た公子光は、呉王を暗殺し自ら王になります
そして名を闔閭と改め、伍子胥・孫武らを登用して越との戦争に挑み、「臥薪嘗胆」の由来を作るのですが…
これはまた別の話です
いかがでしたでしょうか?こんな面白い開戦理由もあるよ!というのがあれば、是非コメントで教えてください!!では