ウマ娘キャラクター解説1:ゴールドシップ2

1.4歳春

年が明けて4歳になったゴールドシップ(以下面倒なのでゴルシ)。年明け初戦は、阪神芝3000Mで行われる阪神大賞典。9頭立てと、デビュー2戦目のコスモス賞以来の10頭未満、他にGⅠレースで実績を上げた馬もいなかったため単勝1.1倍、複勝は元返しと圧倒的な支持を受けアッサリと楽勝する(ゴール手前で手抜きして鞍上の内田騎手にムチで気合いを付けられはしたが…)。

こうして春は天皇を目標に調整されることになったゴルシ。調教でも好タイムを出し、絶好調ぶりを披露。本番でも単勝1.3倍と一本かぶりの評価を受けたが…。

スタートは相変わらず行き足がつかず最後方からレースを進めると、3~4コーナーで内田騎手のムチが入り先行集団まで押し上げるも、直線では末脚は鳴りを潜め、ジャガーメイルを交わしてフェノーメノの5着に入るのがやっとという惨敗を喫する。

この頃の京都競馬場のコースは好時計が連発する、いわゆる”高速馬場”だったし実際このレースの勝ち時計も3:14.2と春の天皇賞史上4番目に入るものだった(当時)ため、ゴルシは速い馬場が苦手なのか…と私は思い始めていた。

2.宝塚記念

天皇賞(春)の敗戦後、ゴルシは宝塚記念に向け調整する。しかしその年の宝塚記念には錚々たるメンバーが出走を予定していた…。

一昨年の三冠馬で前年の凱旋門賞で2着の実績を誇るオルフェーヴル

前年の牝馬三冠馬で、ジャパンカップではオルフェーヴルを退け優勝したジェンティルドンナ

そして天皇賞(春)でゴルシを破り初GⅠ制覇を遂げたフェノーメノ

これにゴルシを加えた夢の「4強」によるマッチレースになる・・・と世間は大騒ぎ。直前にオルフェーヴルが肺出血で出走回避したものの、同世代による「3強」対決、とメディアが煽りまくっていたのをよく覚えている。

レース前オッズは、ジェンティルドンナが2.4倍の単勝1番人気、ゴールドシップが2.9倍、フェノーメノが3.2倍と続き、4番人気のトーセンラーは14.2倍と、正に「3強」を絵にかいたようなオッズになった。

レースでは内田騎手が出ムチを食らわせ叱咤すると、ゴルシもここが負けられないレースと分かっているのか、いつもと違い4番手にスッとつける。
「平成のツインターボ」(と私が勝手に命名した)シルポートが10馬身以上の差をつけ独走する。

2番手が重賞2勝馬のダノンバラード、3番手にジェンティルドンナ。ジェンティルをマークする形で4番手にゴルシ、フェノーメノはゴルシから1馬身ほど離れた6番手で上位を窺う。

3コーナーで前を捉えるべく、ダノンバラードと「3強」が一気に進出開始。4コーナーを曲がったところで3強3頭が首を揃え、この3頭の決着になる…と思われた。

しかし、先にシルポートを捉え先頭に躍り出たダノンバラードを、ゴルシが並ぶ間もなく交わすではないか!

重い馬場に脚を取られたのかダノンバラードを捉えられないジェンティル、フェノーメノを尻目に、2着のダノンバラードに3馬身半差をつける圧勝でGⅠ4勝目を挙げた。

このレースは、私にとっても思い出深いレースである。良馬場発表であったものの、時期はちょうど梅雨シーズンで、レース前にも降雨があった影響でかなり馬場が重くなり、先行有利の状態になっていたのである。

そこで時計がかかる馬場でのスタミナ勝負に絶対の自信があるゴルシを本命に、5番人気ながら重馬場実績があり先行が有力視されていたダノンバラード、海外(ドバイシーマC)での好走があり重でも他馬より大きく差をつけられることはないと踏んだジェンティルドンナを相手に指名し、そこにフェノーメノを絡めたワイドとゴルシ・ジェンティル・ダノンの三連複1点で予想通りの展開で大勝利したからである。あんなに展開予想が面白いほどハマったレースは、他にない。

3.4歳秋

宝塚記念優勝後、休養に入り秋に備える。秋初戦は京都芝2400mの京都大賞典。単勝オッズ1.2倍の圧倒的人気を背負い、レースでは3番手先行も、宝塚記念で最下位に沈めたヒットザターゲットの5着に敗れる。

続くジャパンカップでは、行き足がつかない悪癖を再び見せ最後方からレースを進めるも、豪快な捲りも唸るような末脚も見せないまま、ジェンティルドンナによる史上初のジャパンカップ連覇という偉業を1.4秒差13着から眺めるしかなかった。

ジャパンカップでの不甲斐ないレースぶりから、長らくゴルシの鞍上を務めた内田博幸騎手は降板となり、三冠馬オルフェーヴルの引退レースにしてゴルシとの最初で最後の対決となった有馬記念では、ライアン・ムーアに乗り替わりとなった。

レースでは最後方から4頭目につけるも、3コーナーで捲って行ったときにはゴルシより後方にいたオルフェーヴルにあっさり交わされ、オルフェーヴルが8馬身差で引退レースを締めくくる裏側でひっそりと3着に入った。

4.5歳を迎えて

2014年の始動戦は、連覇を目指す阪神大賞典だった。鞍上はこのレース限りと決まっていた岩田康誠。ここを3番手から抜け出し、2着アドマイヤラクティに3馬身半差をつけ連覇を達成した。

次の目標は、前年に5着と敗れ苦手としている京都コースの天皇賞(春)。今回の鞍上はオーストラリアのトップジョッキー、クレイグ・ウィリアムズ。陣営としても何とかしたい気持ちは伝わってくるが、ゲート入りの際係員に尻を触られイラついたゴルシはゲートで暴れ、豪快に出遅れてしまう。4コーナー手前で仕掛け、メンバー上がり3位の末脚で追い込むも、連覇を達成したフェノーメノから0.5秒差の7着に敗れてしまう。

しかし嘆いてばかりもいられない。ゴルシはファン投票1位に推され、宝塚記念に出走する。ここまで連対率100%の阪神コース、前年同様時計のかかる馬場状態、そして鞍上に大ベテランの横山典弘・・・。
横山騎手は騎乗依頼を受諾したのち、ゴルシとのコミュニケーションを図るためレース2週間前からゴルシにまたがり、彼の言葉を借りると、『お願いします』とゴルシに声をかけ、ゴルシの気分を害さず、その実力を最大限引き出す努力を重ねていった。

するとその努力が実ったのか、ゲートにもすんなり入りスタートもまずまず決めたばかりでなく、一旦は後方まで下げたものの1コーナー手前で一気に、しかも鞍上に促されることなくスッと4番手につけたのである。直線では粘るフェイムゲームとヴィルシーナを残り200mでまとめて交わし、ジェンティルドンナが生涯最低着順の9着に沈むのを尻目に、堂々連覇したのだ。

5.凱旋門賞へ

この勝利を受け、陣営は凱旋門賞への参戦を決定。そのステップとして、ヨーロッパの競馬場と同じ洋芝が使われている札幌記念に出走する。しかしゴルシの前に、ジェンティルドンナのように強い牝馬が立ちふさがる。ハープスターである。

2歳時に、最後方から上がり3ハロン32.5秒の鬼脚で後の皐月賞馬イスラボニータを破り、その後阪神ジュベナイルフィリーズに優勝し‘13年最優秀2歳牝馬に輝くと、桜花賞では絶望的な位置から一気の末脚で優勝。ジェンティルドンナに次ぐ三冠牝馬の呼び声高かったが、陣営は古牡馬より4.5kg軽い55kgで出走できる凱旋門賞への出走を宣言。悲願の日本馬による凱旋門賞勝利へ、洋芝適正のため同レースへ駒を進めてきたのだ。

レースではポツンと最後方を追走し、後方2番手でレースを進めるハープスターを見る格好に。3コーナーでハープスターとともに捲っていくが、直線ではハープスターの切れ味に屈し3/4馬身差の2着に敗れる。

こうしてハープスター、同厩で同年のドバイデューティフリーでの圧勝により世界ランク1位となったジャスタウェイと共に凱旋門賞に挑むも、出遅れと慣れない土地でスイッチが切れてしまったのか、全く見せ場を作れず前年オルフェーヴルを2着に屠ったトレヴが凱旋門賞連覇を達成する遥か後方の14着に惨敗(ハープスター6着、ジャスタウェイ8着)。

帰国後は有馬記念を目標に調整。主戦だった横山騎手がダービー馬・ワンアンドオンリーへの騎乗を優先したため岩田騎手に再び手綱が戻る。レースでは後方から得意の捲りで先団に取りついていこうとするも、直線半ばでエピファネイアに代わり先頭に立った、ここが引退レースのジェンティルドンナに0.1秒届かず3着。この馬はどうも引退レースに臨む馬の引き立て役に回ることが多いようだ。

6.6歳でも元気!


年明け初戦は阪神大賞典。
同一重賞3連覇の偉業がかかった一戦だったが、レースでは向正面から進出し、直線では迫ってくるデニムアンドルビーをねじ伏せ優勝。史上5頭目のJRA同一重賞3連覇をなし遂げた。と同時に、阪神コースでは7戦して[6.1.0.0]。3歳以降は6戦6勝。

この後は一昨年、昨年の雪辱を期して天皇賞(春)へ出走することに。鞍上は4戦ぶりに横山典弘騎手に任せることになった。

しかし…。ゲートインの際ゲート入りを拒み、後ろ向きに歩かせたり、目隠しをしてようやくゲートに入らせた。スタートしてからも、1周目は最後方待機。今年もダメか…。

しかし横山騎手は諦めていなかった。1周目のスタンドを過ぎてから徐々に前に進出すると、2周目の3コーナーで鞭を入れて先団に取り付く。直線でもカレンミロティックを交わし先頭に立つと、追い込んできたフェイムゲームの追撃をクビ差凌ぎ切ってゴール。3度目の挑戦で悲願の天皇賞(春)制覇となった。

その後は最大目標である宝塚記念3連覇へ向かうことに。

ゲート再試験にも一発で通り、調整に不安要素はなし。これまで連対率100%の阪神コース、これまで鬼門だった天皇賞(春)も克服した。マイナス要素は何もないはずだった…。

迎えた本番、ゲートもすんなり入った。あとはゲートが開くのを待つだけ・・・そのとき、ゴルシの隣でトーホウジャッカルがイライラしたようにチャカつく。それに反応し、ゴルシはなんとゲート内で大きく立ち上がってしまう。

その瞬間、ゲートが開き、解説を担当していた細江純子さんから絹を引き裂くような悲鳴が上がった。

ゲートを出たときには後続との差が10馬身近くついていた。しかも横山騎手がいくら押せども押せども全く動く様子がない。

結局、ゴルシは何もしないまま16頭立ての15着に大敗。約120億円が紙くずになった。

この大敗により、以降のレースプランが白紙になってしまった。8月にこの年の有馬記念をもって引退、種牡馬入りすることが発表された。

10月、須貝師から天皇賞秋を回避してジャパンカップと有馬記念に照準を定めたことが公表された。

ただこのときのファンの不安は、「ゴルシが勝てるか?」ではなく、「無事にゲートインできるか?」だった。

なぜなら、もしジャパンカップで天皇賞(春)での「枠入り不良」や、宝塚記念での「枠内駐立不良」を犯すと出走停止の裁決がなされ、引退レースに出走できなくなってしまうからである。

迎えた11月29日のジャパンカップ、ファンの期待(?)をよそに、ゲートを難なくこなし、ポンっと飛び出したゴルシ。

前半は後方2番手から前をうかがい、3コーナ手前から徐々に進出を開始。直線では大外に持ち出すも全盛期の切れは鳴りを潜め10着に終わる。

そして12月28日、ついに有馬記念を迎える。鞍上にはかつてのパートナーだった内田博幸騎手を迎えるという陣営の粋な計らいもあり、当日は単勝一番人気に支持される。

迎えた本番。スタートも難なく決めたが、行き脚が付かず離れた最後方に。レースは逃げた菊花賞馬キタサンブラックがスローに持ち込む、ゴルシには厳しい展開。

しかし向正面で内田騎手が仕掛ける!外をマクっていき、3・4コーナーで先頭集団にまで肉薄していったのだ!!

これを見たファンたちは歓喜の声を思わず上げた。ゴルシなら有終の美を飾ってくれる!

しかし、見せ場はそこまでだった。そこから内田騎手が懸命に鞭を振るっても、ゴルシがそれに応えようと全力を出しても、前との差は詰まるどころか、サウンズオブアースなど後続に飲まれていった。

終わってみれば、着順は8着。3連勝中で、前走で初重賞制覇を遂げたばかりの4歳馬ゴールドアクター、次世代のスターホース・キタサンブラックらを見届けるようにして、ゴルシはターフを去った。

引退式でも、内田騎手が泣きながらスピーチをしている最中に盛大にいなないたり、口取り写真では写真撮影をゴネて関係者を困惑させるなど、最後まで”らしさ”を貫いた。

引退後はビッグレッドファームに種牡馬入りし、訪れるファンの前で変顔したり、自由に駆けながらコンスタントに種付けも行っている。

’19年に初年度産駒がデビューすると、その年の8月に、かつてゴルシが2着に敗れたGⅢ・札幌2歳ステークスで産駒のブラックホールとサトノゴールドが出走し、それぞれ1,2着に入る好走を見せた。

以降も産駒は順調に結果を出し続け、この記事を書いている’21年4月4日時点で、’19年~’21年途中までで通算60勝を挙げている。

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