ウクライナ国境から電車で6時間の街でバーレスク。Part 2 ロシアに電車がハックされる?!
7ヶ月ぶりの我が家をゆったり味わうまもなく、クラクフのショーの準備にとりかかった。なんだか不思議と元気なのである。実際の戦争が起きているこのヨーロッパを体感してやる。とにかく自分で見ないと気が済まない。私は踊り子として生きてきた『私』で、少しでも人々から笑みが溢れ明るくなってほしい。そんな意気込みに燃えていた。
テレビの報道なんか見ない。どうせ悲惨なことしか伝えない。
時差ぼけもなんのその。自分のどこにこんな元気があるのか我ながら驚く。感激もとい還暦も目前だけどさ、まあどうでもいいやね。ありがとう我が肉体!
翌朝10時。ベルリン中央駅に到着。いきなり入ってきた光景に目頭が熱くなり泣きたくなった。そこには大きな荷物を下げたウクライナの人々が駅の至る所にいる。小さい子供からお年寄り、そして難民の方をサポートする人であふれていた。
家をなくした人々。追われて長い道のりを荷物を持って逃げてきた。構内のあちこちにウクライナの人々を歓迎する張り紙や、サポートセンターの案内がある。私は彼らを縫ってポーランドの列車が止まるホームへ向かった。
列車はすべて個室。乗り込んだ車両は私と遠くの個室に1人だけ。そうだった。911の秋も アメリカ行きの飛行機はガラガラだった。目の前で見たワールドトレードセンター跡には、いなくなった人々を探す伝言が書かれたノートの切れ端や手紙がフェンスや壁に残されていたのだった。
旧東製の列車のデザインはどこか懐かしい。ノス タルジックな可愛さと暖かさに救われる。
そもそも戦争なんて怖がりのするもんだ。ワンワン吠えるマッチョのバカ らしい戦争に付き合わされるのは一般人。フクザッツな事情?
そんなこと知らないわ。
いつの間にか列車は国境を超えていた。今夜はどんなバーレスクダンサーが集まるのだろ う。オーガナイザーのアンジェリーナはプラハから。この時期ショーダンサーが見つからな いと嘆いていたアンジー。
クラクフへはへヨーロッパの各地から3人集まる。飛行機が飛んでいないからみんな列車で来ることになっている。 しばらくすると列車が止まった。最初はまあ、また動くだろうとたかを括っていた。
それが 何度も止まり7時間で到着するはずなのに一向につかない。外はどっぷり日が暮れてしまっ た。時刻は到着予定の18時をすぎた。1部のショーは20時30分。 やっと動き出しクラクフの駅まであと10分というところでまた止まる。そこにアンジェリ ーナから電話が入った。
「私達もそれぞれ電車で向かっているけれど止まって動かないの。ポーランドの列車全線が ロシアにハックされたようよ。」
車中で化粧するように他のダンサーに伝えたそう。私は着きそうで着かない列車で化粧する 気にもなれず、そのままヤキモキしていると列車は動き出した。
無事クラクフ駅に到着した。同時に各地から向かっているダンサーたちの列車も動き出したという。なんという奇跡!
私は 彼女たちを待つ事にした。 ウクライナの難民の方々がクラクフ駅に溢れている。そしてここでもボランティアや警察が 忙しなく彼らをサポートしている。寝床を作っている人、食糧を配っている人。パソコンを 開けて仕事している人。 間も無くダンサー全員が集まり無事の到着を喜ぶ間も無くタクシーでクラブに向かった。シ ョータイムまであと40分。
クラブMercy Brownはショーを待つお客さんの熱気が充満していた。
出演者は他にサラエボから1人、そしてワルシャワからウクライナ人のダンサーが1人。ど ちらも戦争が身近にある国から来た2人。そして日本から私。
ショーまで30分。自己紹介もままならぬまま急いで化粧し準備にかかった。そこへ店のイ ケメンが飛んできた。進行役のアンジェリーアナが発声練習をする横で化粧をしながら挨拶。
「無事に着いて本当に良かった。ついこの前は戦争の影響でお客さんを呼んでいたもののシ ョーができなかったから、今回みんな待ちに待っているよ。30分後にショーで大丈夫?」
「もちろんよ。ベストを尽くすわ!」
通常1時間はかかるショーの準備を30分でキッカリ仕上がったのは出演者もクラブも成功 させたいという同じ思いがあったから。
The show must go on!
いつもならテーブル席でおしゃれなカクテルを片手にショーを楽しむスタイル。今回はより 混み合ってステージ近くまで椅子が出され、いまきまかとショーを待ち望んでいる人々。 第二次世界大戦の始まりの頃もこうだったのだろうか?
この『今』しかないという瞬間を思い切り楽しむ。そんな熱気が伝わってくる。長いフライトと長い列車の移動、そして寝不足 の体の重さを感じながらショーをやり終えた。アナーキー芸者のショーを一つ入れた。笑ってくださいまし。
踊り子の1人、ウクライナ人のミス・ミストレスちゃん。楽屋で彼女の話を伺った。彼女の 家族はロシアとウクライナの国籍ミックス。家族内でも意見が全く違う。
爆弾が落とされているウクライナの悲惨な街の話になると家族内でも対立の壁ができる。そんな二つに割れた 家族の状況を冷静にみているよう。16歳以上の男性は国から出ることを許されず、戦わな きゃならないなんて間違っている!
私たちは口を揃えて憤った。逃げるべきよ。軍国主義。どこかの国も同じことをしたわね。美しくもなんともないわ! 用意されたほうれん草とマッシュルームのピロギを頬張りながら。
翌朝、戦争が同じ空の下で起きているのがまるで嘘のような朝日を最上階の部屋の広いバル コニーで浴びながら帰り支度をする。ベルリンまで8時間の長旅。クラクフの駅で朝食を食 べお互いの無事を祈りながら別れた。
私の乗る列車は行きとは真逆で満員。ほぼ難民の方々と一緒。私の席にはすでに女性が座っ ていたけれど迷わず代わってあげた。小綺麗にセットされたシルバーの髪のお婆様、娘さん とみられる30代くらいの女性2人。
小学生と中学生くらいのお孫さん。そして猫一匹。あ まりにも麗しい方々は旅行者?それともウクライナから?席を譲ったからか、とてもなごや かで私の後ろに座っている小学生くらいの女の子は可愛らしい声で終始鼻歌を歌っていた。 大きな鞄やイケア のようなビニールの大袋に荷物をかかえて乗ってくる人たち。各駅にも 同じような人たちが沢山いて列車に乗り込んでくる。私の横の席が空いて、そこに袋をポン と置いた人がいた。
中身をそっと覗いてみた。その中身は食料だった。サンドイッチ、クラ ッカーそんなようなものが入っている。置いたまま別の席に座りすっかりその袋を忘れて2 時間くらいして取りにきた。大事なもの忘れちゃったって照れ臭そうな笑顔でね。
私の席を 女系家族に譲ったのでベルリンに着くまで席を色々移動する事になっちゃって、彼女達はす まなそうに気を使ってくれるけれど、私は全く苦ではないから大丈夫! ウクライナから国境まで何千キロも歩いて移動してきた人々に比べたらこんなの、全くなん ともない事。なぜか私は小綺麗なお婆様と不思議と目が会い微笑みあった。ベルリンについ てわかった。やはり彼女たちもウクライナからの人たちだった。
戦争はひどいことだけど、なぜか列車は明るく暖かい空気だった。みな悲しんだり嘆いてい る場合じゃない。ウクライナ人の友人に聞くとどうもビザの申告なしでドイツに3年住める ということでウクライナから出れてラッキーと思う人もいると後で知った。あまり大きな声 では言えないけれど!
そして私はまた4月の終わりにウクライナ国境近くの街に再びショーで向かうことになっ た。呼ばれたらどこまでも!