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立つ鳥、夢濁さず✨
これまで大々的に、引退します的な発表はしていませんでしたが、2024年をもって、プロロード選手としての人生に一区切りつけることに決めました。
叶えられた夢は、綺麗なまま自分の心にしまって、次に進む準備ができました✨
そして、今週、丸2ヶ月の日本滞在ののち、スペインのアパートに戻ってきました。
ビザ申請が少し長引いたので、少し長い滞在になってしまいましたが、今までなかなか取れなかったなんでもない時間を過ごすことができました☺️
お会いした皆さんも、お会いできなかった皆さんも、ありがとうございました🫶🏻
さてと。
なぜ、今まで多くの選手がされてるような引退宣言的なことをしなかったのか。
というのも、正直にいうと、引退します!って発表することになんだか違和感があったのと、自分としても心のどこかで整理ができてなかったからだと、今になっては思います。
特に、セカンドキャリアとして「これをします!」っていう明確な目標もまだなく、ぽっかり大きな穴と時間が空いて、時間も体力も有り余って過ごす状態で、何かポジティブな発信ができなかったからです。
というのもあって、誰かに会えば「次は何するの?」っていう素朴な疑問を投げかけられるので、それに答える自分を準備できていなかったので、ほとんど自分から人と会うことのない、日本滞在になりました。(会いに行けなかった皆さん、ごめんなさい🙏🏻)
本当は、会いたい人にたくさん会って、感謝とハグをしに行きたかったんですが、その気持ちと裏腹に、まだこんなフラフラした状態で会えないというか会いたくないっていう自分もいて。
でも流石に、年内中には、きちんと区切りをつけないとと思っていたので、このタイミングで、こういう形で思いの丈を書いています。
私が初めてヨーロッパのプロチームと契約したのは、2016年の8月でした。
なぜかというと、2016年のリオオリンピック、その直前のアメリカでのレース結果で、フランスのチーム(現在のFDJ)からオファーが来たからでした。
純粋に、結果で契約をしたいとあちらからオファーがあった、というのが、私のヨーロッパでのプロ選手人生の始まりでした。
今振り返ると、まだ今のような最低賃金や保障など選手の安全、健康、雇用が守られていないというような部分で女子のワールドツアー制度が確立してませんでしたが、
それは逆に、女子レース、プロトン全体として、お金がないからこそ純粋に情熱で選手もスタッフも働いていたなとしみじみ思います。
それが、たった8年前の話なのが本当に信じられません。
なぜなら、今は実際のレースとは別に、「契約」というレースに参戦しない限り、ヨーロッパで走る機会すらもらえないからです。
まずは、例外的な契約を除いて、エージェントと契約しなければそもそもその契約レースに参戦できません。
通常、契約期間は、1月始まり12月末終わりです。その1月からの契約を獲得するためには、5月からエージェントと選手間でのミーティングからのチームとの契約交渉が始まり、6月中にはほぼ確定(チーム移籍もしくは契約更新)、少し契約交渉が手こずれば7月、8・9月に来年の契約が決まっていなければほぼ来年は難しい。これが今の女子ヨーロッパプロトンの現実です。
つまり、5月までの結果が来年の契約金や移籍の対象となるわけです。
何が言いたいかというと、どれだけヨーロッパで契約をとることが難しいかということではなく、
私の場合、どこを向いて、何を目標としてレースをしているのか、したらいいのか、がわからなくなったのです。
レースをしたいのであれば、契約を取らなければいけない。契約を取りたいのであれば、契約レースのルールに則って走らなければならない。
もちろん、そのルールには例外もありますし、いわゆる日本人枠的なスポンサー経由で契約する例もあります。
ただ、前述した通り純粋に結果で、ヨーロッパの選手たちと同じルールと市場で契約レースをすることに、私自身の限界を感じました。
また、フィジカル的にも、UCIポイント的にも、チームでの働き的にも悪くなかったとしても、チームの方針やチームが欲しい選手になることが求められた場合に、頭では理解していても、自分がそのルールにフィットすることができませんでした。
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パフォーマンスを発揮する、結果を出す、良いアシストであることを純粋に評価されなくなったことに、どうしようもない居心地の悪さと自分が好きで情熱を持ってしていることに対して疑問を感じ始めたことと、「契約」というレースに疲れたことが、今回の決断の大きな決め手でした。
そんなこともあり、今年一年、特にパリオリンピック以降は、何がここまでして自転車競技の世界にいたいと私を思わせているのか、ということを内省し、第三者と話すことで客観的に自分を観る時間を多く持ちました。
それで出た答えの一つに、自転車ロードレースというものの中毒性の高さがありました。
それは競技の構造から来るものなのか、特性から来るものなのかはわかりません。どうにかしてでも、この世界に居続けたいと思わせる何かがロードレースにはあると思います。それは選手に対しても言えますが、この業界にいる人にも言える気がします。(※当社比)
もちろん、それは競技を愛してるからということでもあり、裏を返せば、終わりのないリアル人生ゲームに入り込んでるような感覚です。
いくら納得のいくレースや結果を出したとしても、すぐに次のレースがやってきて、そこで良いレースができなければ、つい2週間前のレース結果さえも忘れてしまい、またあの時できたんだからまたできるという、エンドレスのもっとできる!続ければまた挽回できる!(なんの保証もないのに!)スパイラルにハマっていくのです。
人生ゲームで例えると、ルーレットを回すのはボスで、コマである選手やスタッフが動かされて、ボーナスが出たと思えば、破産したり、家を買ったり、家族ができたり、ゴールに辿り着いたら借金が膨らみすぎてたから、その借金返済のために、もう1ラウンド!次のラウンドはうまくいって資産が増えたから、もっと増やすためにもう1ラウンド!みたいな。(例えがわかりにくいかな🤔)
これはあくまで私の個人的な見解ですが、サッカーや野球みたいに毎回1チーム対1チームの試合であれば、よっぽどのことがない限りシーズンを通せば試合に「勝つ」という経験ができます。
それに比べて、ロードレースで勝てる確率は、1%以下でそれ以外の99%の選手は、常にもっとできる、いつか勝てる、そのいつかを信じているのです。私がそうでした。
私もその「いつか」を信じて、真剣に取り組んで、24/7選手としての、丸8年ちょっとヨーロッパでプロとしての生活を送ってきました。
可能であれば、いつまでも身体の続く限り、その「いつか」を追いかけるために、ヨーロッパのプロトンで走り続けたかった。というのが今でも正直な感想です。
はい、私も完全にロードレース中毒でした😬
ただ前述の通り、「契約」というレースのルールと、ロードレース中毒に陥ってる私を俯瞰した時に、これは辞め時だなということに自分の中で至ったのです。
だから、今年のチームで走れなくなった時が私のプロ選手としての区切りにしようと、契約が延長できれば競技人生を延長するけど、できなかった時点で引退しようと決めていました。
つまり、走れれば契約延長できるかもという自分へのモチベーションと淡い期待➕他人の選択に競技人生の終わりを委ねたのでした。
そうしない限り、いつまでもいつまでも、今年は良くなかったけど来年はもっといけるかもしれない、っていうロードレース中毒の症状が出てきてしまうからです。
というのも、冷静に自分のパフォーマンスと年齢、周りのプロトンのレベルを考えると、もうこれ以上のパフォーマンスを出せないというところまで行き着いた。と、コーチと話し合った結果、主観的にも客観的にも納得できました。
丁寧に調整をして、いろんなことを犠牲にして、年に数回あのパフォーマンスを出したとしても、トップ20〜30に入れるかどうかだと思います。
また一歳、年を取ったら、今年よりもさらに感度の高いトレーニングや日常を送って、維持できるかできないかです。
いや、まだ全然できるよって自分にも言いたいし、そう言ってくれるチームメイトや周りのみんながいたのも事実です。でも自分が1番良くわかっていて、自分の会心のパフォーマンスやレース、自分にとっての唯一無二のベストレースをしたところで、ワールドツアーレベルだとたくさんいる中の平凡な成績なのです。
つまり、契約の更新には値しなかった、ということが逆にロードレース中毒症状から良くも悪くも目覚めさせてくれました。
そして、今回自分の競技人生を改めて振り返って、よくよく考えると、
フィクションって言われそうなくらい、本が書けそうなくらい、奇跡のような出会いとかタイミングが重なって、良き競技人生が送れたなあと今は心から思います。
当時は良いこと(時)も悪いこと(時)も、直面している自分自身は必死だったので、長い目で見たり俯瞰する余裕もありませんでしたが、
そもそも東京オリンピック直後にした腸骨大動脈の手術、そこでキャリアが終わっていてもおかしくなかった。
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そこからの復帰とヨーロッパのUCIレースでのポディウムという目標達成、
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アジア大会のメダルも何回か獲ったし、もっと遡れば、仲裁を経て出場したリオオリンピックがヨーロッパにいくターニングポイントでした。
そう、そんな冷静に考えると自分で自分に誇りを持っていい、大きなアチーブメントを達成してたとしても、自分を自分で褒めれることができない(一時的に忘れる)くらい、良い意味でも悪い意味でもロードレース中毒にかかっていたのです。
それぞれの出来ごとは、今だから話せることがたくさんありすぎて、話し出したら一つ一つに一日くらいかかりそうな長い話になるので割愛します(需要があれば、誰か本にしてください😜)。
そういうわけで、2024年をもって、プロロード選手を辞めます。もう辞めてるんですけど、一応契約が12月末までなので。
そして、皆さんに1番聞かれるのが、
次はどうするんですか?日本に戻るんですか?っていうのと、武井コーチはどうするんですか?っていうこと。
次ねえ🤔
日本にいた数ヶ月、わかりやすく言うと定年退職したって言うのがしっくりくる感じの生活と個人的な心境を送っていました。
やることがないわけでもないけど、そのやることに危機迫られていないというか、切迫感がないというか。良くも悪くもストレスがないというか。
11月からUCI(世界自転車連盟)が開催するコーチングプログラムにも参加している途中ですが、それを受ける過程でますます自分の向き不向きや、特性、自分にしかできないことはなんだろうと考えさせられる機会が増えています。また、セカンドキャリアに用意されているポジションのようなものがあるわけではないので、自分自身でやりたいことを見つける(というより、作る)しかないなあと思っています。
そして、住む場所はいろんな意味で生きる体力の続く限りヨーロッパ(今のところスペイン)で住もうと思っています。私と関わったことのある方はわかると思いますが、言葉にするのが難しいのですが、日本に住むのがなんとなく水が合わないんです😅
そして、何より大好きな自転車に思いっきり、うわーって乗れない交通事情が、1番大きな理由です。
もちろん、地元の大阪も関西も好きだし、便利だし、オーガナイズされてるし、本当に住みやすい国だって思います。
ただ、こう自分が送りたいライフスタイルをしようと思った時に、居心地が悪いなあって。家族と物理的に離れすぎるのは申し訳ないのですが、
こう、なんとなく違うなあって思いながら日本で生活するよりは、健康で元気な間は、少し大変でも海外を拠点に暮らそうかなという感じです。
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子供の頃からそうなんですが、なんか違うなあっていう自分の中の小さな違和感を無視するということができなくて。
それが今回の(今までも)いろんな決断に繋がるのですが、例えば、働いてる職場(私だったらワールドツアーのプロトンや所属チーム)や住んでる場所、周りの環境や人、そういうほぼ毎日関わらなければいけないコトやモノに、なんか違うなあって思いながら所属することに強いストレスを感じてしまうのです。
悪く言えば、一定の場所にずっと入れないと思われそうですが、もちろんそれが自分の力で変えられることなのであれば、その努力はします。ただ、どこかに所属している限り、やはり変えられないことは変えられないことはたくさんあって、常に自分にとってのベストを求めてしまうのです。
なんか違うなあ、もうちょっとこうした方がいいのになあと思いながら、
ちょっとの違和感を(我慢っていうと言い方が悪いけど)無視、最終的には感じないようにすることができないんです。
だから、今年で引退するので、お仕事先紹介してくださいって言ったら、日本の会社であなたは働けません!って皆さんに口を揃えて言われました。。。
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なので、選手辞めたら次何するんですか?って聞かれても、約10年24h/7days 自転車中心の生活をしてきた私には、もうちょっと時間が必要です。
まずは、スペインに戻って、自転車に乗って、山歩いたり、走ったりして、自分の心地よい日常を取り戻していきます。体力が有り余って、それを発散する場所が日本ではなさすぎて。。。
あとは、引き続きUCIでのコーチングクラスの研修が続いてるので、最後までちゃんと修了証をもらえるように頑張ります💪🏻
そして、最後に皆さんに聞かれる、「武井コーチは、どうするのか?」って話😂
皆さん、ご本人に聞いてください😂
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とりあえず、私としては選手とコーチとしての関係は、これにて終了。
これからは、今は、次の私のキャリアマネジメントのマネージャーであり、ただの友達であり、ルームメイトっていう感じです。
今までもコーチと選手という関係であっても、異性ってだけでそういう風に見られたこともありますが、本当にただの同居人であり、コーチ以上でも以下でもありませんので😂
私はレース活動する時に移動や遠征で、コーチ兼マネージャーとしてメリットがあったから一緒にいましたが、これからはただのルームメイトか友達としてのメリットしかないのですが、なんで一緒にいるのかって聞かれた時に何て答えればいいんだろう、めんどくさいなあ答えるのって思っていましたが、
私が思ってることを言葉にしてくれてる本を最近見つけて、気になる方は読んでください。👇🏻
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ただ、ご存知の通り、少し変わったというかクセのある方なので、その一緒にいる=同じ考えというか同じような人間だと思われることがものすごく嫌なのも事実で🤦🏻♀️
その辺は海外にいると一緒にいたとしても、個人として扱ってくれるし、そういった点で非常に楽なのもあります。
また個人的には、決して、完璧主義人間なわけではないのですが、目標や目的を見つけたときのそれにコミットする能力とフォーカスするパワーが、普通ではなくて(※当社比)。。。。
これは子供の時からそうなのですが、自分もやってる、自分ができてるんだから、あなたもできるでしょ、あなたたちもやってください的なオーラと圧力をかけてしまう傾向にあるんです。それで今まで何度失敗してきたことか。。。
頭ではダメだそれは良くないってわかっていても日常的にそれを近くにいる人にも求めてしまって、同じ温度感もしくは熱量で日常を生きてる人じゃないと、相手を潰してしまう悪いことしか想像できないんです🤦🏻♀️
というか、まずは次の目標やキャリアを見つけるまでは、そっちに必死でプライベートなことまで考える余裕もパワーもまだ当分の間なさそうです🤷🏻♀️
早くパートナーを見つけて欲しいって思ってるであろう親(もう諦めてるかも😅)には、親不孝な娘でごめんなさいって感じです🙇🏻♀️
ま、というわけで今の私はそんなところです🫡
オリンピックとか、ヨーロッパでのプロ生活とか、
こう、自分自身でも夢であり、アスリートみんなが夢に描くことを、達成、経験できた私のこの約10年間は、もちろん山あり谷ありジェットコースターにずっと乗ってる感覚だったけど、それはそれは幸せな競技人生だったなあって振り返って思います。
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そもそも、BIKE SHOP FORZA、武井コーチとの出会い、からの
プロになるために後援会を募って寄付してくれた皆さん、契約社員としてリオオリンピックまで支えてくださったSAXOBANK JAPAN、国内活動のために支えてくださったスポンサーの皆様、この最初の最初のサポートがなければヨーロッパにいくことはできていませんでした。本当にありがとうございました。
それからは、チームとの契約により縛りが多くなり、大々的にスポンサーをして頂くことが難しくなったこともありましたが、それにも関わらず、サポート、応援、支援してくださった皆様も、本当にありがとうございました。
こうして数えきれないスポンサーや皆さんのおかげで、今の私がいます。一人一人の顔を思い浮かべながら、一区切りつけるために、頭も心も整理するために、今日ここに思いの丈を書いています。
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自分自身が経験したこと、失敗、成功、伝えられることはたくさんあります。それとは裏腹に、私と同じ経験を、次の世代に心から勧めることができないのも事実で。
日常の小さなストレスから、結果や走りでも認めてもらえない悔しさ、うまくいかない焦りとか不安、契約のストレスetc…数えきれないネガティブなことがあったとしても、やっぱり純粋にチームメイトとレースすることが好きだったからこそ、全てのネガティブを忘れることができました。
だから、たくさんの大小のネガティブを超えるくらいの、心の底から湧き出るポジティブなモチベーションやインセンティブがない限り、経済的にも精神的にも日本人がヨーロッパで戦うことは、本当に難しいと思います。
それでも、やりたい!っていう覚悟がある若い選手には、私が伝えられる何かはたくさんあります。だから遠慮なくコンタクトをとってください。
具体的に何をどうしたいのかという目標をある方は、いつでもお待ちしております🙂
最後に、
もう辞めようと決めた大きなきっかけは、いくらアシストとして良い走りをしても、良い結果を出しても、UCIポイントを獲得しても、なんの評価もされなかったこと。ロードレース界の、絶対的にチームのボスが権限を持つというルールに、最後の最後まで納得できなかった私には、「違和感を無視して、好きなレースをしたい(というより、させてもらうという)エゴ」と「ただただ好きな自転車に乗りたい個人の幸せ」を天秤にかけた時に、自分の幸せを追求する方が勝ったっていうタイミングだっただけです。
あのパリオリンピックの走りを全く評価されなかったこと、それが一番の最後のクリティカルパンチでした。
評価軸が、順位や自分・同僚の選手・ファンではなく、チームのボスで、
その評価の低さや変えられない相手に対して、言葉では表現できない悔しさと絶望を顔面パンチで受けたのです。
だから、あの日のポジティブな思いを、自分で色褪せさせないためにも、次に進む決心ができました。
ただただ、不安なのは、
次のステージでそれと同じくらい情熱や熱量をかけられることを見つけられるのかということですが。
まあ、それはぼちぼちやっていきますので、暖かく見守ってください☺️
まずは、好きな自転車に、時間もパワーも気にせずに、死ぬほど思いっきり乗りたいと思います。
これまで一緒に思いを乗せて競技人生を走ってくださった皆様、細かいこと言わずにいつもただただ応援してくれた家族、私の競技人生にいなかったら今の私がいなかったBIKE SHOP FORZAの皆さん、武井コーチ。
改めて、ありがとうございました。
これからもご縁があったら、一緒に遊んでください🫶🏻
全てを力に変えて。
次のステップに進みます!