9年目の現在地📍
丸8年、アメリカから始めたプロ生活(その時は今から考えるとアマチュアに毛が生えたようなレベルだったなあ🤔) からリオオリンピック、ヨーロッパで契約、拠点を移して、もうすぐ9年目のシーズンが始まる。
カレンダー的には一応1月からなんだけど
2023年の7、8月(最低でも9月)には2024年の契約が決まり、シーズンオフ〜11月頃からは来年の全てのエキップメントのサイズやいろんな調整のコミュニケーションをとって、12月には2024年のメンバーで最初のチームキャンプ。
というのが、ヨーロッパレースシーンの流れ。
そんな私は、10月末まで続いた長めのシーズンを中国で終えて、
丸1ヶ月何もできない(したくない)くらい疲れていて、引きこもり気味のオフシーズンを日本で過ごして、(事実、丸1ヶ月1mmも自転車に乗らなかった🫠)
11月末にヨーロッパに戻り、
今年までのチームのバイクを全部返却して、
スペインで一時的にAirBnBに滞在して、
新しいバイクを新しいチームから受け取り、5月まで拠点とするためのアパートを探して、契約して、来週からのいよいよチームキャンプ。
という一連の流れを終えて、
普通のヨーロッパ生活とシーズンインのための落ち着いた日々を過ごしております。
そして、こうしてNoteにきちんと頭を整理して文章を書けるくらいには、いろんな意味で回復しています。
こんな感じの契約や移籍の流れ、住む場所(拠点)作り、自転車に乗ること(トレーニングとかレース)以外のこういった生活の基盤作りも何年か続けると、否応なく大体どこでも(どこのチームでも)やっていける適応力は養われていくもので。
やらざるを得ない、というかやらないと死ぬだけの状況に置かれると、普通じゃないことを普通にする(できる)ようになりますね。それにプラスして、自分でトラブル引き起こす(飛行機乗り遅れるとかwww)星の元に生まれたので(※当社比)、生きてるだけで無駄にトラブル解決能力は年々あがります。
なのでいろんなことに対して免疫も耐性もついてると思ってたんですけど、
はっきり言って、個人的に2023年シーズンは散々でした。
頭を整理して、言葉や文字にすることもできないくらい、頭の中もぐちゃぐちゃで、
とりあえずトレーニングして、レース行って、それ以外は何も考えたくない🤯🫠っていうシーズンでした。
とにかく、Struggling そんな1年でした😮💨。
自分ではコントロールできない外的要因と自分のパフォーマンスをセパレートしないとしないと!と頭ではわかってたし、切り替えよう切り替えようとキッカケを探しながら、結局なにも見つからないまま終わった、というより無事に終わってくれたという言い方の方が正しいかもしれません。
メンタルというより、自分から湧き上がってくる気分が、乗ってるか乗ってないかでパフォーマンスがかなり左右される気分屋な私は、今年は最初から最後までずーっと良い波に乗れなかった、そんな感じです。
2022年はリザルト的にブレイクスルーできた1年で、2023年はもっと良い1年にして、オリンピック枠も現実的に考えてムリだろうし、ベストシーズンにして引退しよう!と結構真剣に考えていました。
だから、全日本選手権、アジア大会と世界選手権は、人生で本当にこれで最後だと思っていたので、逆に自分のパフォーマンスを楽しんで発揮できたレースでした。
そして、まさかのアジア大会のTTで2位🥈
ステージレース以外でTTレースを走るの何年ぶり⁈レベルだったので、
ここだけの話、メダル取れるなんてこれっぽっちも思ってなかったんですけどね🫢(そう思ってたのは自分自身だけだったらしいですけど🫣※後日談)
結果的に、このメダルがなかったら自転車の中でロードだけメダルなしだったので、心の中でグッジョブ自分😜って言いましたけどね🤭
その後、さらにサプライズで
まさかのオリンピック枠が来ちゃった😳というわけです。
これは結果論ですが、もし私(2位)と3位の選手が0.5秒差だったんですが、私が3位だったらUCIポイントの国別ランキングでオリンピック枠はなかったのです。
東京オリンピック以降、ナショナルとしてUCIポイントを稼いで、オリンピック枠をパリでも獲得しようということを全くしていなかったですし、
ヨーロッパのチームで走っているとオリンピック枠のためにUCIポイントを稼ぐということは、ほぼ不可能に近いので、正直パリで枠を取るのは無理だろうと諦めていました。
「たかがオリンピック、されどオリンピック」
やっぱり目の前に行ける「かもしれない」っていう人参ぶら下げられたら、何も考えずにペダル踏むしかないですよねー。そういうところは、単純な性格なので🤪
稼げるところで稼いだUCIポイントと運も重なって枠が取れちゃった、そんなところです。
そして、2024年も続ける(続けないといけない)理由ができちゃったことと、続けるならヨーロッパでというエゴと、2023年シーズンのパフォーマンスと個人的な感情の部分で気分良く辞めれない、という超個人的なエゴの部分がありまして、
スペインのチームをノックしたら、ぜひ🤝ってことで、2024年はザ・スペインなチームでレースすることになりました。
というわけで、
2024年、私の物理的な現在地は、スペイン🇪🇸です。
ちなみに、絶賛スペイン語(結構真剣に🧐)勉強中です。
話は少し戻りまして、
前述のとおり、今年は本当に散々な1年で、何をやってもダメって言っても言い過ぎじゃないくらいダメで😮💨
正直にいうと、怪我なく無事に1年のレースカレンダーを終えて、バイクを返却した時は、心からホッとしたというのが本音です。
もちろんレースごとにも、まとまったレースブロックごとにもどうにかして立て直さないとと、あれやこれや改善できることをやっても、レースになると全然ダメで、振り返っても本当に散々(何回言うねんwww)でした😩。
言葉で説明するのが難しいんですが、5月からのカレンダーが全てステージレースだけだったというのもあって、
こう、毎レース、今日は何日目!という感覚よりも、
初日から「あと何日、あと何日、、、」みたいに折り返してもないのに、あと何日で帰れるみたいなネガティブな感覚でしか捉えられなくなってしまっていて、「ああ、これはもう今年はダメだ😔」っていう自分の中でリミッターを作ってるような感覚というか。
とはいえ、2年ぶりにまたナショナルチャンピオン(ジャージ)に袖を通せたのと、
アジア大会のTTの銀メダルは、悪いシーズンの中でもできたという個人的アチーブメントでした🫡
予期してなかったけど、「あったら幸せ🫶🏻」そんな感じ
個人的には、ダメダメで散々なシーズンだったとはいえ、シーズン終盤にかけて9、10月はチームとして結構勝てたレースが多くて、勝ちに貢献する仕事もアシストもできたし、特にシーズン最後の中国のレースは、まさにCherry on top of the cake 🍰 でみんなで勝ってシャンパン飲めたし🍾
私のサクセスはなかったけど、チームメイトのサクセスを一緒に共有できたのは本当に良かったなあって良い思い出です☺️
なので、個人的に散々だったのは、全て厄年のせいにしました。
実を言うと、良いシーズンが送れたら今年で引退してもいいかな、なんて思ってた1番の理由は、
ただ好きな自転車、レースをしたい(もちろん仕事として、楽しいことキツいこと含めて)だけなのに
毎年毎年、契約できるかできないかのストレスを抱えながらシーズンの半分くらいを過ごさないといけない、そんなこの世界で生きることにちょっと疲れてしまったからです🫠
私が初めて、フルシーズンでヨーロッパでプロとして契約してもらった2017年、ほとんどの選手が月500€で走ってた頃からたった7年で、ワールドツアー制度が始まったことでほぼ男子同様の選手労働環境が整ってきて、
選手の最低サラリー(雇用契約だと€35,000 セルフ雇用契約だと約€50,000)が決まって、女子のトップが稼ぐ金額は日本円にすると4000万超えるような世界になってしまいました。(たった7年で😳)
おそらく、ここら辺でワールドツアーの制度的にはこれ以上大きな変化はない感じですが、これからますます選手間の競争、若年化や契約金で良い選手の取りあいは加速していくだろうなという感じがします。
ほぼほぼ、ワールドツアーと契約しようと思ったら、エージェントに入っていないと不可能に近いし、エージェントとチーム同士で選手のトランプゲームをやってるような感じなので、エージェントなしでダイレクトにチームと交渉するというのは、よっぽどタイミングやスポンサー関係のコネがない限り無理です。(エージェントに入るのさえも、どこも抱える選手がいっぱいで難しいのが現状)
そして、いくらチームメイトに信頼されて貢献するアシストをしたとしても、自分のUCIポイントや結果を鑑みずにドメスティックとして働いたとしても、チームメイトやスタッフからいくら好かれたとしても、チームの権限を持つ人からいらない👋🏻と言われれば契約(職)を失う、
そんなことの繰り返しに年々(今年は特に)、心からバカじゃねーのって叫びたい衝動に駆られて、何のためにやってるのか自分を見失ってしまって、特に心が疲労しきってしまったのです💔
チームメイトやスタッフと一緒にレースするのは楽しいし、チームメイトが勝つためにアシストすることもやりがいを感じるんだけど、
いくら良い仕事をしたとしても、毎年毎年、契約できるかを心配しながら不安を感じながら、自転車に乗ることに疲れちゃったのです。
本当に強いワールドベストな選手は別ですが、それ以外の残りの数少ないワールドツアーのスポットをみんなで取り合いし続けているのがプロの世界です。
特に、私レベルのアシストのヨーロッパ人選手は、たくさんいます。
そこで、日本人が欲しいとかスポンサー関係で日本人枠がない限り、もしくはめちゃくちゃ強くない限り、日本人をとる理由はないんですよね。
今でこそ、プロトン内でも顔も知れてるし、どれくらい走れる選手だって選手内で認知されてるので大丈夫ですが
実際、数年前まで日本人?走れんの?みたいなファーストインプレッションを持たれてるのを感じましたし、日本人より自分たちが優れていない訳がない。みたいな偏見を感じたことも多かれ少なかれありました。
最近は、どう思われても別に自分のチームメイトのために仕事するだけなんで、何にも感じなくなりましたけどね。
とはいえ、年々、エージェントなしで契約を取るのはほぼ不可能に近くなっているし、「いいアシスト(仕事)をすること」と「契約をとる」ことがイコールではない場合があるのが現実です。
実際、私もスポンサーを持ってこれば契約してもいいと言われたりしたこともあります。
でも、絶対にスポンサー絡みやお金を要求されるチームとは契約しない、私の選手としての力量を買ってくれるチームとしか契約しない、というマイポリシーがありまして。
契約金の多い少ないはもちろんありますが、「お金、スポンサー持ってくるのでチーム入れてください🙏🏻」という契約は、しないでここまでやってきました。
本当、日本人ってだけでシマノスポンサー持ってきてよ、とか言われるんですよ。
私はあくまで、他の選手と対等に、いち選手としてチームと関わりたいし、日本人だから契約できたんだろ?とか絶対思われたくないし、という私のエゴですけどね😤
(いろんなことに対する反骨精神と雑草魂だけで生き残ってます🫡)
なので、
日本国内だけでレースをしてた頃に、ヨーロッパ行った方がいい、ヨーロッパ行かないと何も始まらない的なアドバイスをもらったことを、
こうやって自分が自分のやり方でヨーロッパで生きてきたことや経験を照らし合わせて振り返ると、
簡単にヨーロッパ行った方がいい、今すぐに行かないと!
と軽々しくアドバイスはできません。
あくまでこれは個人的な考えですが、
レースやトレーニングというサドルの上に座ってる時間が、フィジカル的にはキツかったとしても、なかなか上手く行かなかったとしても1番楽しい時間で、
それ以外のプロとしての生活(それは、ビザ、契約、住むところ、日常etc… の精神的な安定)こそ、
きちんとやればできることなんだけど、メンタル的にハードで、ヨーロッパという日本から遠く離れた異国では1番難しいことだからです。
それを踏まえて、それを含めて、ヨーロッパでのレースも生活も含めて、
それでもヨーロッパで戦いたいですか?って自問自答した上で
私は、YES と心から思えて、実際に行動を伴って、淡々とステップアップしてきたから今ここにいるんだと思います。
逆に、同じ年齢の日本人が経験できる普通の幸せとか普通の暮らしは諦めないといけない(というか物理的にできない😅)けど、これを犠牲と思うか特別と思うかは人それぞれだし、
私の場合、日本での借り暮らし的な生活は1カ月もすればいろんな意味でお腹いっぱいになって、
自転車選手としてのヨーロッパでの暮らし(死ぬほど自転車乗って、24h/7days そのために世界が回る修行僧のような生活)が、今では私の普通となって、
愛おしく感じられるようになってきたことに、選手としても人としても年齢を感じる今日この頃です。
できる限り長くワールドツアーでプロ生活を送れればいいんですけどね。
年齢には逆らえないですし、前述の通り、レースとトレーニングだけしてればいい世界ではなくてですね。
それ以外のこの特殊な世界のストレスフルなことには、そろそろ疲れたなっていうのが本音です。
そして、何より
自分の中で、主要なビックレースはほぼ全部出場して、自分で見てこの脚で走って、たまに良い結果も残せたし、
実際女子ツアーのレベルがここ数年で加速度的に上がってきていて、ここからブレイクスルーを起こすのは、もう無理かなと感覚的に自分でもわかっていて。
もう、十分良くやったなあっていう、やり切った感はあります。
だから、パリオリンピックの枠が取れなかったら辞めようと思ってたところで、枠が転がってきて、
エージェントなしで契約を取るのが難しい実情にも関わらず、24年の契約ができたのは何か不思議なご縁だと思っています。
だから、このスペインで契約ある限りチームに貢献して、やり切って終わろうかなと心の中では決めています。
選手としてのボーナスイヤーだと思って💜
これが私の選手としての”9年目の現在地📍“です。
全てを力に変えて。
#今日のエリさん #今日のエリNote
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