■6月13日 いたわることばを
今日の名古屋はピーカンに晴れておりました。
名古屋の夏は不快指数120%と言われています。容赦ない暑さだけでなく、息苦しいほどの湿気がまとわりついて離れないからです。
でも、今日はまだ「梅雨の晴れ間」だけあって、そこまでじんめりとはしておらず。さすがに「過ごしやすい」までは言いませんが、それでもまだ外をフツーに歩けたので良かったのではないかと。
そんな今日は午後から眼科へ行きました。
実は、ワタクシったら「緑内障」に罹患していて。罹る年齢としてはかなり早いほうだったり、両眼に喰らっていたり…するくせに、ほったらかしがちなのですが(笑)
そろそろ行かないと不安が大きくなって、メンタルがやばいなと思い、決死の覚悟で約1年ぶりに眼科へ参上したのでした。
予約なしで行ったのですが、いくつか検査をしていただき、悪くなってる数値と悪くない数値と向き合い。
信頼する先生に診察していただけ、また、お薬をいただいたことで、胸を巣食いかけていた不安は小さくなっていきました。
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「不安」といえば、何年か前のお話。
私は、普段メガネっ子なのですが、何かのタイミングでコンタクトを作りに行ったのです。コンタクトを作るときって、必ず眼科の検診をしないといけないんですね。
で、そのとき見てくださった先生が緑内障に詳しい方だったようで。「なんか、これ、イヤな感じがする」と言われ、促されるままに検査をしたら、先生の勘の通り、緑内障だったんです。
緑内障の症状は、ものっそいゆっくりではありますが、徐々に視野が狭くなっていくというものです。失明の可能性もあります。
そんなふうに、緑内障に罹ったことが判明したのは、たまたまだったのですが、それを告げられたとき、私、とても大きな衝撃を受けたんです。事実を受け止めるのに意識して力を出さないといけないくらい、大きな衝撃でした。
母が緑内障だったこともあり、もしかすると自分も罹るかなぁとは思っていたのです。でも、予想していることと実際に事実が判明するのとでは、衝撃を押し返すのに必要な力の具合がまったく違っていました。それは自分でも驚くほど大きく深い違いで。ちょっとアップアップしていたんです。
自分でもその事実を持て余し、どうしていいか分からないまま数日を過ごしていました。そんなある日のこと。
あまりに気持ちがしんど過ぎて、思わず我が最愛の推しさまにご報告したんです。いや、そんなつもりは全くなかったのですが、推しさまのお顔を見ていたら、思わず口をついて出てしまったんですね。
そうしたら、推しさまは。
「視力がいいから、儂も見えにくくなるの早いぞ」
と、労りのお言葉をくださいました。
「節子、それ緑内障やない…老眼や」と思わないでもないですが(笑)、このときの私が思ったのは、「うちの推しさまはやはり尊い」ということでした。
だってね。
いくら武将さまであろうとも、唐突に病名を告げられたら驚きますでしょ。しかも、わりと深刻な病名だったりするわけですから、私なら、どう返したものか、すっごく悩むと思います。
でも、推しさまはそれを自分事にして返事をくださった。そのお気持ちだけでもめちゃくちゃうれしかったんです。
何より、その言葉のおかげで、肩に入っていた余分な力が抜けて、私、ちゃんと笑えるようになったんです。
そう考えると、うちの推しさまは本当に尊いし、やさしい。だからこそ、ずっと誰よりなにより大切な人なんですよね。
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何にせよ、これからはもう少し真面目に目薬を差し、病院にも通わねば。そろそろシャレにならなくなってきてるので(笑)
あとね。見たいもの、会いたい人、読みたいものは、なるべく見たり会ったり読んだりしておこうと改めて思っています。推しさまにも、たくさん会いに行くのだ。
そんな心意気はきっちり持っておかねばと自らを戒める、今日の病院通いでした。
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今日もここまで読んでいただき
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。
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