ゴメンナサイとありがとう
昨年の12月から始めた「感謝の周波数」が3か月続いている。そもそも「感謝の周波数」って何!?って思われるだろう。私も始めた当初は、その日1日を振り返り「感謝の出来事」を言葉にしていく。というものでした。
単純に「感謝」でした。心に響いたこと、感動したこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、お世話になったこと。本当にただ「ありがとう」と思ったことを言葉にしていました。
これを始めた理由として一つ言えば、「ありがとう」から感じるプラスの波動を世の中に満たしたい。だから「感謝」のうしろに「周波数」をつけてみた。これもただ単純にそう思ったからです。
あえて言うならば、私自身が「周波数音楽作家」として、やはり「周波数」という言葉には敏感で、周波数的な音の意味や必要性も常に感じているからです。
さて、3か月続いて気づいたことがあります。それは、一つの現象が実証として私の目の前で起こり始めたのです。実は一つ一つの現象はバラバラのようで、実はある方向性を示し現実をカタチ創るため必要な「流れ」のようにも感じ始めています。
それは、私が創ろうとする現実に向かって、その「流れ」に必要なマインドを固めるため、或いは軌道修正のためのプロセスとして起こっているのかもしれません。
「世の中をプラスの波動で満たしたい」感謝の周波数の投稿文は、毎日SNSにアップしています。それを音声として後日収録し、その時の心情を声にして綴るという作業になります。
その音声収録の際の決まり台詞がこんな感じです。
結局、この台詞を3か月収録の度に言ってきて、プラスの波動が私自身の引き寄せ的な要素となっている感じでしょうか。とても不思議な感覚です。
また、これまでの私の人生を振り返ったある年代で、そこには霧がかかったようなネガティブな感覚があり、ある意味その感情のままストップしたような出来事やワンシーンが脳裏に残っていました。しかし、それらもまるで感情が逆転するように、プラスの波動として転じたのです。
それどころか、そのネガティブ要素が実は気づき学びのためのシナリオであったのだと、逆転ホームランのような感情が沸き上がります。
そして、「ゴメンナサイとありがとう」に行きつきました。
「感謝の周波数」とは、、、
「感」は感じる。
「謝」は謝る。
また、「謝る」は「言」に「射る」
言葉で声に出してゴメンナサイを言う。
そして、「ありがとう」
「有難う」有ることが難しい、難が有る。
「感謝」とは、、、
「ゴメンナサイとありがとう」がセットなのだと、、、
不義理をしてしまったこと、迷惑をかけてしまったこと。悲しい思いをさせてしまったこと。それらは、ただの行為や現象ではなく、そのあとの人生のどこかのタイミングで、きっと深い「愛」に続く学びなのだと気づく時が来るのだと感じています。
いっぱい「ゴメンナサイ」をしても構わない。その後でいっぱい「ありがとう」が言えればいい。それが本当の意味の「感謝」なのだと、私自身がこの3か月で気づかせてもらったことです。
私自身の体験ですが、長年の不義理をしていた身内との間で、心苦しさと申し訳なさで距離を置いてしまっていたところ、先日身内の集まりがあり緊張しながら、15年以上ぶりぐらいに会いに行ってきました。
そして、言葉を交わし、たくさん「ゴメンナサイとありがとう」を伝えると、太陽の光が射し込み、晴れた霧の中から見えたのが「愛」でした。本当は何も変わっていなかったのに、自分の思い込みが長年の不義理という感情を作っていたようでした。
本当の意味での「感謝」を体現させて頂いたという思いです。
そして、人生には色んなシーンにおいての自分の立ち位置が生まれます。その中において人間関係の大きなテーマが「許し」なのだと感じるところです。
それは、「ゴメンナサイとありがとう」を言う側と言われる側においてのシーンであり、人生最大のテーマのようにも感じます。
最後までお読み頂き感謝です♡