私を褒めるために書く日記
今朝の私が作ってくれた弁当が、とても美味しく感じられた。いつもならこの量で満足するはずが、なんだか物足りない。なんならもう一つ弁当を食べられそうな勢いだ。
甘いものはさほど好きではないけれど、自宅の冷蔵庫の中にあった饅頭をデザートに持ってこればよかったと、残念に思った。
午前は理由あっていつも以上の働きをした。
例えば通勤時の道路にて、警備員さんが赤と白の二つの旗を同時に扱い、上りの車と下りの車の通行指示を出しているのを見かけることがある。
私はその警備員さんが、赤旗と白旗の二刀流をしているスゴさに感心させられた。
「一人二役してるじゃない! カッコイイ!! 」と。
その警備員さんは、安全に車が流れるよう的確な指示を出すことに集中していたのだと思う。
「二刀流のオレ、カッコイイだろ?」 という気持ちでドライバーに見せつける為に旗などは振っていないはずだ。
私もそれに似た仕事をした。
よくあれだけの仕事をやり切ったと思う。
午前中だけで一日分以上だ。なのに未だ気を張っているからか、昼休みになっても不思議と疲れが感じられない。不平不満の感情はおとなしく、新たな発見をした時のようなキラキラとした塊があった。
私ってスゴすぎるんじゃない!?
という気持ち良さだ。そのキラキラとした塊が胸の大半を占めている。これは達成感だけで生まれるものなのだろうか。それだけじゃ足り無さそうだ。もしかすると私は、世の中で言われるドMというやつなのかもしれない。
午前の私はゾーンに入っていた。
無駄は一つもなく、行動の一つ一つが計算されていた。
例えば、やるべきことが点だとして、そのいくつかの点を時間軸に当てはめながら、絡まらないように美しく結びつけていく。しかもスピーディーかつ冷静にだ。
しかしこんな働き方は体力的にも精神的にも何日も続けるのは難しい。それにやったとて対価は変わらないアホらしさだ。だのにドMだからかキラキラの塊がこの胸の中に出てくる始末。それに続くように生まれた新たな感情に、私は筆を執った。
このパフォーマンスをやってのけた私を、誰かに褒めてもらいたい……。
それは小さな子供が保育園で頑張ったことをパパやママに褒めて欲しくて一生懸命話す行為と似ている。
しかし今更中年の私が母親に電話して話したところで、「え? いきなりどうしたの? 病んでるのかしら……」と母は戸惑ってしまうだろう。
だから私は自分を褒めまくる為、頑張った記念にそれを文字として残そうと思ったのだ。
けれども、少しだけ瞼が重くなってきた……。
書くか寝るか饅頭食うか。
その三つの欲求の中で、饅頭が食べたい私がダントツに勝っていた。
今すぐ食べたいが、生憎饅頭は自宅の冷蔵庫の中だ。
『まんじゅう、私の分残しておいてね』
と、子供たちの胃の中へと全ての饅頭が消えてしまわないように警告文を送ろうとした。
でも、あの子たちがそんな無慈悲なことをするはずがないと信じて、椅子の上で仮眠を取った。
自宅に帰ると、さすがに疲れを感じる自分に戻っていた。この身体、さほど若くは無いのにかなり酷使してしまったようだ。
冷蔵庫を開ければ、私の分の饅頭は無事にチョコンと待機していた。
数日前の私がなんとなく買っておいた饅頭は、どこの店にもある、安くて簡単に手に入る普通の饅頭だ。
さほど甘いものが好きでは無いのに、あの日なぜだか買い物かごへと饅頭を入れた私。まさか今日、こんなにも饅頭を欲する身体で食べることになろうとは思ってもいなかった。
もしやあの時の私は、今日を予測してこの饅頭を買っていたのかもしれない。
その鳥肌ものの第六感に、さすがは私、私ってすごい! と感心させられた。