-10℃のマスク
職場はとても暑い。
私は特養で老人介護の仕事をしている。
施設は常に快適な温度で設定されている。
快適な温度とは、利用者様が快適に過ごせる温度のことだ。お年寄りは寒がりな方が多いので、冷房もガンガンに冷えているわけではない。
しかし、私たちは体力仕事で、動き回れば汗が吹き出し、全身にダラダラと滝のように流れ落ちるのだ。とにかく暑い。
夏は着替えを2セット持っていき、私の場合はお着替えタイムを2回しているのだ。
特に、入浴の介助時の暑さといったら悲惨だ。
サウナの中での作業をイメージしてもらえると分かりやすい。
さらに、今年はマスクも常に装着しなければならないので、ただでさえ暑くて熱中症に気をつけなければという状況なのに、マスクで顔までカバーするとなると、体感温度はさらに上昇するのだ。
「マスクさえなければ、まだこの暑さがマシになるのに・・・」
私は額の滴る汗を拭いながら、同僚に愚痴った。
「このマスクなら、結構涼しいよ! 紙マスクしてるなら、断然これの方がいいよ。洗えるし、生地も薄くてひんやりするよ。試しにつけてみ」
同僚は、手持ちのマスクを持ってきて、私に差し出した。
私は、そんな夢のようなマスクがあるのか、と1枚お試しに貰って付けてみた。
すごい!!
着けた途端、顔がひんやりする!!
「なにこれ! 全然ちがう! ありがたい!」
私は感動した。
「でしょ? しかもそれ、何度も洗えるからコスパもいいと思うよ!」
教えてくれた同僚に感謝し、私は早速そのマスクを買って家に帰った。
3枚入りで、400円。
それで少しでも涼めるのなら、確かにコスパが良い。
明日からの暑さに、少しは希望の光が差すのを感じた。
自宅に戻ってから、私は息子と娘にマスクの事を自慢した。
つけた瞬間、ヒヤッとして、涼しくなる不思議なマスクだと。
「冷感マスク、すっごく涼しくなるよ! これ、ホントすごいの。どんな仕組みになってるか不思議なんだけど、あなた達の分も買ってきたから、学校に付けて行くといいよ!」
小4の娘は瞳を輝かせ、
「すごーい! 涼しいんだ~! 良かったね、お母さん!」
と言ってくれた。
高2の息子の反応は、全くない。
全くないというより、その場で固まっているといった感じだろうか。
「貴方も学校へ着けてくといいよ。すごく涼しいから、全然ちがうから!」
私は反応のない息子に、その冷感マスクの素晴らしさを拙くプレゼンした。
「そんなマスクが、この世に売っているの? お母さんは、そこまでして涼みたいの!?」
息子は引き気味に私を見てそう言った。
確かに息子は寒がりだ。
冬は制服のスボンの下に分厚いズボン下を履いていく、超寒がり高校生だ。
だとしても、今は7月、蒸し暑い夏だ。
寒いなんて、ありえないだろう。
毎日息子は汗ふきタオルを持って学校へ行くじゃないか。水筒にはキンキンに冷えた氷入りのお茶を持って行くくせに、どうしたというのだ。
「俺はそこまでして涼しくなりたくないよ! そんなマスク、物凄く高いんじゃないの!?」
「全然、3枚入りで400円。洗えるマスクだから、コスパいいと思うけどな・・・」
息子は何をそんなにムキになるのだろう。
「俺は、そんな怖いマスク絶対着けたくない!!」
なぜか息子は叫んだ。
私は不思議に思いながらも、カバンから冷感マスクを取り出し、息子に差し出した。
「まずは1度試しに着けてみ。感動するから」
息子はそのパッケージを手に取り、じっとそれを見つめている。
「冷感マスク? ・・・あ~! なんだその冷感かよ!」
びっくりしたなもーう!と異常に安心している。
今までの強ばった表情から一転して、大爆笑し始めた。
「俺は霊感マスクだと勘違いしてたよ! そのマスク着けると、幽霊バンバン見えて涼しくなるのかとマジで考えた! ウケる~!!」
息子は腹を抱えて笑っている。
えー!?
おいおい、こっちが腹を抱えて笑いたいよ! って言うか、かなり引くわ。
「あなた、異世界物のアニメ見すぎなんじゃないの? 普通そんな勘違いする? こっちの体感温度下がるわ・・・」
小4の娘でも理解したというのに、高2の息子よ、貴方どうかしている。
「普通、冷感と言ったら霊感って思ってまう! あー俺、暑さで頭がおかしくなったか!?」
息子はバツが悪そうに言い訳をする。
私は、
「そんな事もあるよね・・・」
と、理解したフリをしておいた。
そんな『 霊感マスク』あったら怖い。
でも、そんなマスクがあったら、毎日がホラーで、寒くて寒くて、マイナス10℃ぐらいの体感になりそうだ。
冷感マスクなんかよりも、極寒レベルで涼めるに違いない。
恐ろしさに背筋が凍り、鳥肌たって震えるほどだろう。
そんなマスクがあったら、入浴介助の時だけでも使ってみたいところだ。