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いつでも遊びに来てください。

 仕事から帰ると、大抵ウチはたまり場になっていた。広くないアパートなのにだ。
 息子が小学生から中学まで、大抵近所の友達が来て、ゲームなどをして盛り上がっている。
 小学生の頃の夏休みは酷かった。私が留守にしているのを良いことに、うちの冷蔵庫を勝手に開けて物色し、飲み物や食べ物を勝手に飲み食いするという習慣が彼らに身についてしまった。
 私は、
「おいこら! 人んちの冷蔵庫、開ける時は許可を得よ!!」
 と、叱った。
 彼らはすぐに学習した。
 二度と私の前で、冷蔵庫を勝手に開け、飲み食いすることはなくなった。
 
 帰る時、無言で逃げるように帰ろうとする彼らに、
「おいこら! お邪魔しましたは!?」
 と、挨拶の催促をしたら、次からは必ず、おじゃましました~。と言ってくれるようになった。人は学習するものだ。
 
 ウチはたまり場だった。
 他人は立ち入り禁止設定にしているはずなのに、そのルールを守れない息子は、決まって友達をウチへと誘った。なので、襟瀬家は気軽に遊びに来ても良い家として、そういったイメージが幼き頃から近所の子供たちに定着してしまったのだ。
 玄関を開けた時に、脱ぎ散らかした沢山の靴が転がっていないと、逆に物足りなく感じた。
 今日は一人か? と思いながらリビングへと入ると、コタツでくつろいでいる中学生男子が一人いて、TV画面に向かって一生懸命ゲームをしていた。しかし、その中学生男子はうちの子ではない。
 
「ただいま。うちの子どこ行った?」
 
 問いかけると、彼はチラッと私を見てから、ヤバイと言いたげにTV画面に視線を戻す。慌てたようにコントローラーをポチポチとした。多分、逃げ帰りたくても、ゲームがキリのいい所で終われないのだろう。
 
「・・・多分、外か、僕んちで遊んでいます」
 という。なんだそれ。
 人ん家でTVゲームに夢中になっている息子の友人は、なかなか帰っていく素振りをみせない。普通に考えれば違和感のある光景だ。でも私は特に気にはしなかった。彼があたかも私の子供であるかのように、いつも通りの流れで夕食を作り始めた。
 彼は、我が家のコタツに入り、ゲームをしている。他人が見たら、私の子供だと勘違いするほどに溶け込んでいる。
 それはたまに起こる日常の珍場面だった。
 彼はしばらくすると、
 
「おじゃましました~!!」
 
 と言って帰ろうとする。
 私は間髪入れずに、
 
「ちょっと待ったー!!」
 
 と彼の背中に叫んだ。
 ビクンとして怯えたように彼は振り返る。
 
「そこ! こたつの上のゴミの山! 悪いけど、代表で捨ててから帰ってね」
 と、やさしくお願いをする。
 彼は、さっきまではそこにいただろう何人か分の食べたお菓子のゴミをかき集め、すみません。と言いながらゴミ箱に捨ててくれた。
 
「ありがとう。あのさ、もしもどっかでうちの子見かけたら、早く帰ってこいって伝えてくれる?」
 
 やさしくお願いした。
 彼は、はい。と頷き、帰っていった。
 しばらくして、本物の息子が帰ってきた。
 
「おいこら! 学校休んでたのに友達放置してどこ遊びに行ってた!?」
 という私のセリフは、テンプレートになっていた。
 
 
 いつも皆勤賞のように遊びに来る彼は、息子の小一の頃からの友人だ。
 私から言わせれば、親友の域だと思っている。親友の見本は彼らなんじゃないかと、長年観察してきた感想だ。
 息子が不登校の間も、学校とは逆方向のウチまで来て、毎朝インターホンを鳴らして誘ってくれた。大抵息子は腹痛でトイレに籠りっぱなしなので、私が玄関先に顔を出すことになる。
 
「行けますか?」
 
「ごめん。今日も行けそうにないわ・・・」
 
 毎朝の、おはようの代わりの挨拶みたいになっている言葉を交わすと、彼は悲しげな表情で頭を下げ、去っていく。
 夕方になると、友達が3人か4人ぐらい遊びに来る。その中にはいつも彼がいた。口数の少ない彼だけど、息子に対する心配の気持ちだとか、そういう色は痛いほど私にも伝わっていた。私は、私の生活の領域に他人が入り込むのがとても許せない人間なのだが、特にその彼だけは、家に入られていても苦痛を感じない存在だった。
 
 夏休みには先生との個人面談がある。どれだけ宿題が終わっているか、終わったものを見せながら先生と二者面談をする。
 しかし息子は怖くて学校へと行けない。
 そこで、救世主の彼が登場する。
 その日は彼の面談の日ではないというのに、炎天下の猛暑の中、学校まで付き添ってくれたのだ。
 さらに、
 
「僕が教室まで着いていくより、一人で来たことにした方がカッコイイから、僕はここで待っているよ」
 
 と、真夏の猛暑の中、自転車置き場で面談が終わる1時間近くを待ってくれていたという。その話を聞いた時、夢かと思った。この世に人の為に何かしてくれる他人が存在することに驚いた。それをしたところで彼に何の得があるのか。なのにもかかわらず、その行動。そんな人間関係もあるのかと、泣けるほどに感動したのだった。
 そんな彼らのエピソードは、数え切れないほど他にもあった。
 

 今では、息子は高校2年生。
 親友の彼と同じ公立高校へと通っている。
 息子から聞く学校の話には、かならず彼が登場する。その彼の名を聞くことは、私の日常に定着し、根がはっているほどだ。
 
 私には、親友と呼べる人間がいるのだろうか。そもそも親友とは何なのかが分からない。
 Googleで検索してみた。
 
『とても仲が良く、心から理解し合える友人』
 
 ・・・でしょうね。そんな想定内の回答には、なるほどとは唸れない。その解説以上にしっくりとくる『親友』を表す一文は、ないのだろうか。
 私にそういう存在がいるのかいないのか、よく分からない。多分いない。彼らを見ていると、いるような気がしない。


 つい最近、早退して仕事から帰ってくると、息子と彼がコタツに入ってゲームをしていた。
 
「おおう! 久しぶりの人がいる!!」
 
 久々にその存在を見て、かなり喜んでしまった。疲れすぎて職場から帰ってきたが、今から半日だけなら出勤できそうな元気をもらえた。
 お久しぶりなのは私だけだったようで、頻繁に遊びに来ているらしかった。
 私の勤務時間帯の変更で帰りが遅くなり、ただ顔が見れなかっただけのようだ。
 私が一日プレイしただけで怖くて放置していたバイオハザードのゲームも、彼が全部クリアしてくれていたらしい。それぐらい、今も彼はウチへと上がり込んでいたのだ。
 
「じゃあな!」
 彼はコタツから出て、
「お邪魔しました~!」と言ってそそくさと帰ろうとする。
「ちょっとまったぁ~!!」
 私は彼の背中に叫んだ。
 
 彼はビクンとする。
 息子もビクンとした。
 
 私は買い物袋からシュークリームを取り出した。
 
「これあげる」
 
 彼が甘いもの好きなことは長年の観察から承知している。
 怯えたような目でビクついていた彼は、私からそのシュークリームを受け取ると、満面の笑みを浮かべた。なんてかわいいのだろう。
 
「ありがとうございます!」
 
 息子と彼は、お互い顔を見合わせ笑った。
 
 この先、彼らはこのまま続いていくのだろうか。社会人になると人間関係もガラリと変わるものだ。それでも、続いていくのだろうか。
 興味深いので、これからも様子観察させていただこう。
 
 
 
 
 

 
 
 
 

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