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流れ藻 4. たどりつく



4. たどりつく

汽車はチチハルに至り、やはりチチハルに降ろされた。

長い旅を終わった解放感でホームに並んで足元に荷を置いた。

一瞬ヤレヤレとした気持ちを吹き飛ばすようにサイレンがうなり、空襲を告げた。

時間は分からない、夜だった。ホームでの急な措置に迷っていたら、スピーカーが、うまく誘導してくれて、荷物はそのまま、線路をこえる、そしてまっすぐ、とスピーカーにつれられて駅内に入ってギョッとした。

(とっくに戦争ははるかブへトに残して来たつもりでいたのに)

構内は黒い布で遮光され、ほの青い防空燈の下で、ウジャウジャと群集が、右へ左へと逃げるあがきにひしめいていた。

(ここにも戦争が)

ガックリするいとまもなく、スピーカーは続けて駅頭に散在する壕の位置を教え、タコ壷のありかを知らせ、さらに郊外へ逃げるとなお幾多の壕のある事を報じていた。

亡者の様な群集の青い顔、顔、顔に押しまくられて駅外へ押し出されたら、右も左も真っ暗で、スピーカーの云った最寄りの壕を探して歩いた。

黙々と、不平も云わず、泣きもせぬ裕三の手をしっかり握って、三つ目の壕でやっと親子三人の這入れる隙間をみつけて、足で蹴り込むように裕三を入れ、それにかぶさって伏せた。爆音はするが方角はわからない。

三人ひとかたまりに伏せている土の底でコオロギが鳴いていた。

どれだけもたたないまに旅の疲れで裕三は軽い寝息をたてはじめていた。

このまま少し眠らせてやろうと思っていたら解除のサイレンで、先客にふみつけられて這いだしたら、裕三の靴は片足なくなっていた。

一番お気に入りの、足にあった皮の編みあげだったのに、探してもその辺りにはみつからなかった。片足は裸足の子になっていた。

駅に集まってみて、かなり遠くまで走っていたのがわかった。


途中タコツボの底から声がして、

「どなたかあーお助けくださいー男の方ー」

としわがれた老人の声がするので覗いてみたが、タコ壷式壕とは思ったより深いもので、とても子連れの女の手で引き上げる事も出来ない暗闇の底から老婆が手を伸ばしていた。

誰も他人の事など耳も傾けない修羅場なのだ。 私にもどうしてあげる事も出来ない。

そのまま歩いていたら大塚中尉に出会ったが、到底引き返せる距離ではないし頼めもしない。


全員が駅に揃うのに相当時間が掛かった。

プラットホームの荷物を取りに行って、当然の事ながら、その中の数十個が盗み去られているのに驚いた。

一番困ったのは大塚家の出産用品入りのトランクだった。夫人の予定日がもう来ているのだった。

私のは水牛の皮で大きいため盗られていた。中型のトランクも一緒に消えていた。残ったものと云えばおしめかばんと雑品入りのボストンになってしまった。

惜しいなどと思う暇はなかった。その時としては食品があり命があれば上々だった。

再び駅頭に出たが、夜をそこで明かすより仕方なかった。

目が慣れると片隅に軍の指令所があった。

目の速い裕三は、

「兵隊サンだ」

とかけて行ったと思ったら、ブカブカの運動靴を履かせて貰って戻って来た。

「みんなにお水汲ませてくれるよ」

と云うので、水筒をもって水を充たしに走った。

夜明かしをしている間に誰もシブコブの顔となった。その辺りは凄い湿地だった。蚊柱がワンワンたっているではないか。

病人の川井氏もコンクリートに寝ていた。 顔のハンカチのぐるりを蚊にたかられ放しで眠っているのだ。

満州の夏は白夜に近い。
曙が空を染めたとき、予報もなくサイレンも鳴らず大きな爆音がした。

陽が昇ろうとする地点から地平線スレスレに旭に染まった大きな翼を見た。

戦闘機だ。あまりの大きさにびっくりした。あまりの近さに驚いた。怪物のように大きい。

サイレンが鳴らないから友軍と思ったが、人が駆け出すので続いて間近の壕へ飛び込んだ。

バシーッ。左頬を打たれる様な衝撃を受けて耳がツーンとした。どこかに、何かが落とされた。

静まって駅へ戻ったら、構内は閉じられていて立入禁止とされていた。

ウロウロしていたら、泣きながら笠井兄弟が

「母さんがいない」

というので、一緒に連れて、松岡一家と会い、人目につきよい駅頭にたつことにした。

(皆んなに会える様に)

そこで村上さんに出会った。この人は会社の下請け業者でブへトから同じ汽車で逃げた人だった。この人の自宅はハルピンに在った。

村上さんと居る処を、満鉄林務区の人が南下避難部隊をトラックにのせて来ていて、私達と村上氏をみつけてくれた。

ブヘトでの知遇の林務区の人と村上氏とで私達一行を満鉄母子寮へ収容してもらう手配がされて、私達母子と松岡一家、笠井兄弟が空トラックで先発してあちらで待つ事で、後は村上氏がまとめて引率してゆくとの話しで、拾われた。

トラックで母子寮へと向かった。

寮近くで降ろされて、そこで皆を待つ事になった。

二時間もたった頃に、一同は次々に荷物と共にトラックで運ばれて来たが、先着していた私へみんなの白い眼がむけられてびっくりさされた。

訳は、私達だけで出し抜いて、楽な車でラクをして、いい事をしたと云うので、折角保護して連れていた笠井兄弟も、その母夫人に云わせれば余計なことしてくれなくていいといった調子であった。

これ等残りの一団が散り散りバラバラで、なかなか見つからず閉口したと村上氏が語ってくださった。

見つからない筈で、杉野夫人等グループは駅指令所から電話してもらって、憲兵隊の知人に水瓜を持ってこさせて壕の中で食べていたのだと云う。

「喉が乾いたんですもん。皆様にもと思って沢山持ってこさせたのよ。」

との親切心には唖然として、怒る気もしなかった、という具合で、村上さんが色々手をかして下さり到着に及んだらしい。

こうして一団が到着した中から、大塚主計中尉の異様ないでたちと、妊婦の夫人のこぼれそうなお腹が目立った。

大塚中尉(社員)はその頃チチハル入隊の命をうけていて、出発途中に頭を負傷して、入隊を延ばして貰っていて、この避難騒ぎと一緒になった訳で、中尉正装で、頭には白包帯、胸に白兵子帯で、十文字に長女啓子ちゃんをおぶり、予定日をすぎた妊婦の手を引いて、軍刀をガチャつかせてトラックに乗っていたのだ。
その姿で昨夜も、朝も、タコツボのあちこちを走り、逃げていたのだ。
名は好雄と書き、これを、よしお、と読むのだそうだが、旧家の生まれで、名の通り好青年ではあった。

こうして同行男子二人のうち一人は入隊する人で、一人は重病人だった。

勢い、無力の女子供に力を貸すハメになったのは、社外の、同じ避難の村上氏ひとりになっていた。

(唯、元下請業者という関係で)

怒りを押さえての彼の話しには、

「下請けじゃないか、何でもしてくれて当たり前、それもいい。
 この非常時だ、同じ土地から逃げた身だ。日本人同士だ。
 力になって当たり前だ。
 出来るだけしてあげる積もりも持っている。
 それなのに何と云うことか」

目を充血させての語りには、乗車降車の両駅では、苦力 (クーリー)以下にコキ使う態度の連中にも、女では持てないからと思って運んでもあげた。

ホームで盗まれた荷まで、彼のせいだとなじられた。

馬鹿なことに、あきれた荷物の数なのだ、と云うことで、

「奥さん、貴方達の荷、たったそれだけですか」

と手元をみられた。

「初めから持てるだけですし、x上ホームでなくしましたしね」

と云うと、益々腹が立つと云って、二三の人だけが法外な荷をもってきたのだという。

誰をあてに、誰をたよりに、 一体自分が乗り合わせなかったら、あの人達はどうする積もりでいたのか、と呆れて立腹して居られた。

「もう知らない、ここから自分で運ぶのだと今、言い渡してきましたよ」

と云う具合であった。女の欲の深さ、業の強さ、ひどいもんだ、とこのたった一人の頼り甲斐のある男性を怒らせて仕舞った。

そこから母子寮まではすぐだったが、私達を白眼視した一同も、力を会わせてでも大荷物を運ばねばならなくなっ た。

やっと寮前にあるガレージに運び込んで、そこにある貼り紙を見て困惑した。

そこには、ブヘト出立時と同じく両手に持てるだけの荷物と共にでなくては収容せぬと太書してあり、ここまで運んだ大荷物は村上氏を怒らせただけで、減らすか捨てねばならなくなった。

瞬く間に、その作業で、ガレージは特売場を呈した。
訪問着が、絵羽織が、ラクダ毛糸が、帯が、と捨てられ、拾われしていた。

自分の持ち物より少しでも高価な品と入れ替える魂胆の人々が競い、まぜ繰りかえしていた。

後々の為には賢い行 動なのであろうが、浅ましくて、やりきれなかった。

こうして総体としては幾分減ったが、バカ多い人から他に分散される結果にすぎない。女の物欲のすさまじさを、 この戦火の片隅でまざまざと見せつけられて、哀しかった。

荷物を盗まれた私だったが、拾ってまで我がものにする気持ちはその時とうてい持てなかった。

(明日の命もわからないのに)

物持ちの御披露の如き慈善バザーの幕が閉じると、欲しい物をもっている人への追従まで始まって、一体どういうのだろう。

改めて自分のものとした自分の荷物を持って、やっとの事で一群は並んで母子寮の門を潜ったのだった。

(5. 「母子寮」に続く)

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