流れ藻 19. 地獄のとき 〜極寒の大地にて〜
19. 地獄のとき 〜極寒の大地にて〜
クリスマスも正月も無い。
子等は、飢えの目で湯気の立つ饅頭を、飾り窓の蝋燭を見るだけだった。
凍死と、飢えとを凌ぐ、最低の線で、あえいでいるだけだった。
物を売る事、歩く事、と。
満人の正月(旧暦)が来ると、私達はひどく困った。約一か月は大戸を下ろして街中は休みとなってしまう。
これでは商売も出来ねばその間の食品を買い貯える金も無い。じっと凌げる貯えは何一つとして在りはしない。 水の手の切れるに似ていた。
何とかその間を過ごす方法を見つけねばと、会社取引先であったハルピン木材の元重役、浅原様を訪ねて、一同の窮状を訴えて、仕事の斡旋をお願いした。四、五度、足を運んで、やっと内職を紹介して頂いた。
谷岡夫人と二人で、この仕事を貰いに行ったのだが、それはラクダの原毛を、各毛種別に選別する仕事だった。
渡された物は、たあいもなく、ふんわりとした、たった風呂敷包み一杯の原毛だった。
ところが、全部仕上げた賃金の意外に多いのに、喜んで二人で貰って帰る事になった。
さて、持って帰ったら、皆は何と云うだろうか。谷岡夫人も、私も、片目づつ眼帯で、二人で一人前の目で、雪道を踏み踏み帰ったのだった。
「アラこれっぽっち、わけないわ」
と、掌一杯づつの原毛を分配してから仕事は大変だった。
食事台を置いて、主婦達はそれを荒毛、柔毛、ニュ毛、股毛、ゴミ、の五種類に分類せねばならない。ゴミの目方まで金額になる訳で、必死に作業を続けた。
久しぶり、外出せぬ母達に子等は家庭を取り戻したようにはしゃいで、喜んだ。
量目を競い合う頃、咳をする、子がさわる、クシャミが出る、と云う案配で、フワッと商品が吹き飛ぶ、人の物と自分の物とが入り交じる、ふるい合う、などの有り様で、仕事を終える頃には、みんな血眼、病眼(やんめ)の疲労困ぱいぶりとなった。
それでも代金にいくらかの見舞い金を頂いた帰路は足が軽かった。
谷岡夫人と共に、心嬉しくて、久しぶり二人共口数多くなっていた。
これで子等を食べさせてゆける、その安堵は絶大なものだった。ぎりぎりの金を得たために・・・
大地に春が来る迄と、歯を食いしばって極寒に耐えた。
苦力(クーリー)達の荷馬車(ターチョ)に乗せて貰ったりして行商を続けた。
住所の便所は凍てて、その氷は、玄関迄、あふれ凍り、捨てても置けなくなり、商いを終えて、夜夜を尿氷を割って捨てる作業となった。
呑み水は遠方から交代でバケツで運び込むのだった。
体力を無くしていた私は、眼球に星が出来、手は物をつかむと自力ではほどけなくなった。
知覚も無く、失禁に近くなっていった。
視力はだんだんなくなり、商品を眼の前で盗み去られてもわからなくなった。
失禁のままの凍った氷柱のクンツ (支那ズボン)の足で、 どうにか辿り帰った日から、しばらく商売にも出られなくなった。
自力では動かぬ躰となったが、二人の子が生きていてくれるから、自分などどうなってもよかった。
子の命だけを希った。
(20. 「地獄のとき 〜春の訪れ、銃声〜」に続く)