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流れ藻 10. 地獄のとき 〜三人目の死者〜
10. 地獄のとき 〜三人目の死者〜
ハルピン劇場のだしものは、生き地獄であった。 さまざまの酷い演出が繰りひろげられた。
奥地から、奥地からと人は流れ込み、ハルピンはあらゆる疫病の坩堝となっていった。
私達の一団にもまともな人間はなく、幼児は一様にハシカに侵されていた。
裕三、良子も高熱が続いた。
谷岡家三兄弟、林田家三児、大塚家啓子ちゃん、その他も衰弱を続けた。
良子は意識も殆どなくなり、乳も呑まなくなった。 脳膜炎を起こしはしないかと恐れながら、日本人会の医者会へつれてゆき、診て貰ったが、首を動かせてみただけで結果は解らず、容体はわるかった。
谷岡家次男、博次ちゃんが脳炎に似た症状を呈しはじめた。眼を宙にあげて、眠りつづけるばかりとなった。
三男孝之ちゃんもロウソクの様に衰弱していった。
そんなこんなで、みんな無我夢中の頃、坂本家長女の四才児が行方不明となった。パンが欲しくて鮮人についてゆき、そのまんまとなったらしい。
大塚啓子ちゃんは二才児で、腸炎の症状となっていた。
林田淑子ちゃん(次女)は、その母にかえりみられないままに、目がつりあがるほど変貌していた。ハシカの内攻から舌端に、尿道に、ジフテリア様偽膜ができ始めていた。
こんな病児等に探し回っても来て貰える医者はなかった。 やっと元歯科医だったと聞いてその人を迎えた。
素人よりは良い筈と注射などしては貰ったが、効き目よりも悪化 の方が速かった。
そんな頃。川井氏は病人の身で男狩されて、若松町から牡丹江へ連れ去られた。
その頃から、街はソ兵相手の商売がドッと動きだした。 満人が道端で品物を売る。バラックのキャバレーが開業する。食べ物店が始まる。ヤミタバコ売りが街角を埋めて、 バザールには色々の物資が動き始めた。
ある日、 カルパス(ソーセージ)売りの満人が私達の隠れ家へ来た。黒眼鏡をかけていた。
「カルパス要(ヤオ)?」
と言いながら、暫くあたりを見回していて、眼鏡を外した。
その男はブヘトの元憲兵隊長だった。
「かたくかたく身分を秘している。お願いだ。」
と言うのだった。
夫人は今、飯店で皿洗いとなって働いているらしい、と云って肩を落としていた。あのエリートの女王の様に美しかった奥さんも追われてハルピンに流れていたのだ。
谷岡博次ちゃんの容態がひどく危うくなった。
「何が欲しい?」
と意識のさめ間に尋ねてみたら、
「コンペイトウ」
と答えたので、私達はバザールをくまなく探して、十粒にも足りない赤、青の星つぶを見つけてきた。
博次ちゃんはニッと笑って口に入れて貰ったが、ほっぺたにくるんだまま眠りについて仕舞った。
次に見たとき、谷岡夫人は、涙を流しながら、静かに静かに博次ちゃんの頬をなでていた。
もう息絶えていたのだった。
「 見てやってくださいな。まだ金平糖が溶けてはいません」
胸を締め付けられる死だった。
三人目の死児なのだ。
三才の弟、孝之ちゃんも容体わるく、兄慎一君とのあと二人の子の為に、この母は悲しんでいることも出来なかった。
そんな母子を杉野夫妻のもとにと預けた。ここに、このままでは続いて孝之ちゃんが危うくなる。手当してもあげられないから。
(11. 「地獄のとき 〜四、五人目の死者〜」に続く