実は、私には憧れのウエディングプランナーさんがいます。これ、今まであまり語ってこなかったことなんだけど。と言うか、clubhouseがスタートして過去のことを人に色々聞かれる機会が増えるまで、自分でも心の奥にすっかりしまい込んでいた感があります。ただなんとなく今、書き残しておいた方が良いような気がして。古い記憶を一生懸命手繰り寄せながら、若干不思議な気持ちでPCに向かってみています。
彼女との出会いは、そうだな、多分35年くらい前。私が幼稚園に通っていた頃です。
私は三人兄弟の一番上で、下に妹と弟がいます。当時はバブル期真っ只中。父は大手の電力会社に勤めていて、母とは社内結婚。当時たくさんいたいわゆる『サラリーマンの中流家庭』で、母は寿退社をして専業主婦となり、郊外に庭付き一戸建ての家を買い、子供たちは週に三回習い事(ピアノやお習字、スイミング)をし、父は東京近郊まで電車に揺られて通勤し、日曜日には庭でバーベキューをしたりキャッチボールをしたりして過ごす、という、これで犬でも飼っていれば見事にバブル期のサラリーマンのパーフェクトなお手本のような家庭でした。(犬、見てる分には可愛いんだけど苦手なんですよね。仲良くしてもらえないと言うか、だいたい吠えられるか追いかけられるタイプなので。)
彼女は、同級生の仲の良い女の子のお母さんでした。その子とは、なんだかよく気が合って家に遊びに行ってました。その子のおうちは平家のアパートで、小さな庭があって、そこで野菜を作ったり季節の花を育てたりしていた。特に春になると庭の隅に菜の花が咲いて、とてもキレイだったのを覚えています。弟さんが一人いて、その子も交えておままごとをしたり、あと、目の前に会社があってそこに一つか二つ年上の女の子がいたので、たまにその子も誘って会社の敷地内でバトミントンをさせてもらったりしていた。
うちのお母さんは専業主婦だから、大体家にいたけれど、その子のお母さんはいつもお仕事でいなくて。
たまに彼女がお休みで家にいると、私たちのためにまるでパティシエが作ったみたいに美味しいクッキーを焼いてくれました。アパートの小さなキッチンの小さなオーブンで焼かれたとは思えないくらい、売り物みたいに整っていて美味しいクッキー。私は、たまに食べさせてもらえるそれが楽しみだったし、少し大きくなってからは、一緒に作らせてもらったりして、それもとても嬉しかった。うちのお母さんに『ねえ、ママもクッキー作ってよー』っておねだりしたこともあった。
そして、彼女は本当に美しい女性でした。すらっとしていて、ロングヘアを80年代の最先端のソバージュにしていて(今、どうやらあの頃のソバージュが『ネオソバージュ』としてリバイバルしてるみたいですね)、いつも凛とした佇まいで。
『ねぇ、◯◯ちゃんのお母さんってなんのお仕事してるの?』
『結婚式のお仕事だよ』
彼女が勤めていたのは、私が育った小さな街に一軒だけあった『宴会場』。そこで結婚式を挙げる人たちのお手伝いをする仕事をしていたそうです。つまり、今で言うウエディングプランナー。結婚披露宴も、謝恩会も、七五三や成人式のパーティも、その街の全ての『お祝い事』を請け負っていた場所でした。先日惜しまれながらも一旦営業を終えられたようなのですが、もう本当に随分と長いこと街の祝宴のいちばんのシンボリックな位置をキープしていたし、ほとんどの市民が一度はおめかしをして訪れた場所なのではないかと思う。
まだウエディングプランナーという肩書きが生まれるずっと前に、彼女は、そこで結婚式の仕事をしながら子育てをしているという、最先端の両立ウーマンだった、ということになります。
一度だけ、お仕事をされている時間帯に、彼女を式場に訪ねたことがありました。確かうちのお母さんが何かを届けたかったんだと思う。フロントで母が彼女を呼び出してもらえるように声をかけて、ソファにかけて待っていたら頭上から彼女の声が聞こえて。声がした方向を見上げてみると、眩しくて柔らかい逆光を浴びながら、ロングヘアを軽く靡かせて、ロビーの真ん中の大階段を颯爽と降りてくる、パンツスーツとパンプスに身を包んだ彼女の姿が見えました。その後ろには大きな窓にかかるジョーゼットのカーテンがあって。またそれがなんとも言えない幻想的な雰囲気を醸し出していた。大袈裟じゃなくて、オーロラの中を降りてくる天女みたいに見えた。
小さな私は、いつものお友達のお母さんとはまた少し違う、その美しい大人の女性の姿に文字通り釘付けとなり、『綺麗・・・』と、彼女から目を離すことができませんでした。
すらりとしてるから、ソバージュだから、パンツスーツだから、パンプスを履いているから、とかではなくて、内面から滲み出ている、強さと優しさというか。あの時代に『仕事』という自分の軸を持って結婚式に向き合っていた姿というか。そして子供たちには愛情と厳しさを持って接していて、しっかりと自分を律しながら、母親業と仕事を両立していることも、幼いながらに彼女が纏う空気として感じ取った、そんな感覚がしています。
確か東北の小さな村の出身だと聞いていたはずで、家にはいくつか、自在鉤とか鍬とかスゲ傘とかの、郷土のゆかりの調度品が飾られていました。つまり、実家の親にも子育てを頼ることができなかった状況のはずで、どうやって子育てとウエディングプランナーを両立させていたのだろう。結婚式創りは今ほど複雑ではなかったにしても、行政の制度もまだまだ整っておらず、女性は結婚したら家庭に入ると言う価値観がマジョリティだったあの時代に。今、どんなに思い出そうとがんばってみても、涼やかな顔でクッキーを焼いている柔らかな笑顔の横顔しか思い出せないのだけれど。
これが、私の中の『憧れのウエディングプランナー像』。
子供を持つ持たないは個人の自由だけど、持ったとしても、自分自身を損なわないと言うか。仕事でも家庭でも、真っ直ぐに自分らしくあると言うか。例えば家にふるさとの情緒ある調度品を飾ったり、季節の花を愛でる心の余裕を持てているかとか。子供や子供の友達のために、手作りクッキーを振る舞えるスキルを磨けているかとか。胸をはって前を見て、美しく自分の道を歩いているか。とか。
その同級生とは度重なるクラス替えの末にいつの間にか疎遠になってしまいました。今は連絡をとる術もないのだけれど、彼女たちが元気でいてくれることを願ってる。もしあの家にまだ暮らしているのなら、今も春には黄色い菜の花が咲いているといいなと思ってる。
私が気まぐれで作るクッキーの味はまだまだあの味を超えられそうにないし、今の自分が彼女と同じように生きられているとは到底思えないけれど。でもきっと私は、あの逆光の中に浮かぶ美しいシルエットをどこまでも追いかけて、これからもウエディングプランナーとして、自分らしく生きていく道を模索し続けるのだろう、と、いま、思っています。